東京都のコロナ感染者数が遂に4千人の大台を超えた。自宅療養者も初めて1万人を超えた。重症患者は昨日より7人増えて95人となり、重症患者用の病床使用率は24%となった。感染者数の増加に較べ重症患者は増えていない。菅首相はワクチンの効果だと自慢している。だが、高齢者の重症者が減っているからといって、その事実を軽く捉えてはいけないと国立国際医療研究センターの大曲国際感染症センター長が語っている。この1年半で治療法が変化した。人工呼吸器ではなく鼻から酸素を送り込む「ネーザルハイフロー」という呼吸療法を使うケースが増えた。これを使う人は、重症者にカウントされないが、酸素が足りずに身動きもとれない状況にある。重症者と同じように苦しんでいる人が、重症者の何倍も存在するのだと言う。ネーザルハイフローは、鼻から高流量の酸素を流す。加温加湿するので高流量にもかかわらず鼻が痛くならないし、マスクを使用しないため、飲食やコミュニケーションが可能になるメリットがあるという。重症患者状況を的確に判断するためには、技術の進歩に合わせ、ネーザルハイフローも重症患者扱いにする必要がある。政府には「デルタ株は感染力は高いが軽症だ」という誤った認識を正す責務がある。
国内のコロナ感染者が過去最多の1万人を超え、東京都も3日連続で3千人を超えた。関東3県と大阪にも緊急事態宣言が出されることになり、菅首相が1時間にも及ぶ会見を行なった。でも相変わらず、ダラダラと経過を説明し、誰の心にも響かない内容だった。しかも相変わらず、肝心の質問には真面に答えない。現在の人流増を如何に抑えるかが、問題の核心だが目標も手段も答えられなかった。感染者が過去最多になった理由と責任を問われたが、デルタ株の所為と言うだけで責任には触れなかった。五輪続行の是非についてもノー回答だった。国民が知りたい答えには一切答えない。そのくせコロナを収める自信があると嘯く。テレビに石を投げたい気分になった。そこで思った。会見に出ている記者達は以前よりも厳しい質問をするようになったものの、意味不明のガースーはぐらかしを容認しているのが問題だ。記者達も相当フラストレーションを溜めているのだろう。でも、我慢しているのは内閣記者クラブから外されることを恐れているからに違いない。今こそ、記者達が一致団結して反旗を翻す時だと思う。もし、反旗を翻せば、全国民が応援する。一見強面の官邸の威光など一気に崩壊するはずだ。最大のコロナ対策は記者達の反旗にあると思い至った次第。
コロナ専用治療薬として抗体カクテル療法が注目されている。中外製薬のロナプリーブの製造販売が特例承認された。ロナプリーブは新型コロナから回復した人の2種類の中和抗体「カシリビマブ」と「イムデビマブ」を組み合わせて点滴投与する初のコロナ専用治療薬だ。治験では入院や死亡などのリスクが約7割減ったとされている。だが、抗体を使った医薬品は製造が難しく、供給量が限られるため高額になりやすい欠点がある。従って、即戦力にはなりにくい。一方、既存薬からの転用は色々ある。抗ウイルス薬であるレムデシビル、抗炎症薬であるデキサメタゾン、リウマチ薬であるバリシチニブがコロナ治療薬として承認されてきた。でも、適用対象は重症患者に限られていた。ところが、日本では承認されていないが、アフリカや東南アジアで「新型コロナの奇跡の治療薬」として評価されているのが、大村博士が発見したイベルメクチンだ。イベルメクチンは世界中で容易に安価に入手出来、原則として人体に対してほぼ無害であるという特性もある。自宅療養に使用出来るので米英が期待を寄せている。問題は厚労省の意向だ。イベルメクチンは安価なので製薬会社も厚労省も乗り気ではないようだ。その中で興和が治験を開始したという。菅は抗体カクテル療法を持ち上げているが、即戦力を目指すならばイベルメクチンを優先すべきだと思うのだが。
遂に新規感染者数が3177人になった。昨日の2848人の時には「人流は減っている。五輪の中止はない」と断言していた菅だが、今日の3177人にはとうとう取材拒否をした。田原総一朗は「5000人を超えれば菅内閣は崩壊する」と言っているが、いよいよ風前の灯火になってきた。菅にはコロナ対策に打つ手が無く、コメントも無くなった。でも一方で五輪結果にはご執心のようだ。金メダル1号になった高藤選手には直接電話して祝意を表した。その後もSNSでメダリストたちに「おめでとう」を振りまいているという。安倍前首相が、星野源の「うちで踊ろう」の動画に合わせ、家で犬とくつろいでいたのとソックリだ。くつろいでいる場合か、と批判の嵐だった。菅には、SNSで遊んでいる場合かと言いたい。ピーターの法則というものがある。能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世するが、極限に到達すると無能化するという法則。菅はすでに無能化している。官房長官という悪代官止まりで良かったのに。菅はピーターの法則の典型例と言えそうだ。
東京都のコロナ新規感染者数が2848人で過去最多となった。菅首相はコロナ関係閣僚会議後、記者団に「30代以下が約7割を占めている。40代、50代の中で入院が増え、デルタ株の割合も急速に増加している。まずは4連休含め現状分析をしていく。さらに各自治体と連携しながら強い警戒感を持って感染防止にあたっていく」と述べたという。デルタ株の割合が増え、若年層が感染の主流になっていることは、テレビ報道で国民の誰もが既に知っている。菅はさも最新データを披露している積もりかもしれないが、最も最新情報に疎いのが菅だと証明しているようなものだ。国民は過去最多となった現状に対して菅がどのような手を打つかを知りたいのだ。でもいつも答えは「これから検討する」だ。おまけに「強い警戒感を持って感染防止にあたっていく」とは「何もしない」と同義語だということも、国民は知っている。菅が会見を繰り返すほど、国民の無力感は増していく。
黒い雨訴訟で広島高裁が原告勝訴を言い渡し、政府が上告するかが注目されていたが、菅首相は上告を断念すると発表した。国は1976年、黒い雨が激しく降ったとされる「大雨地域」に限定して援護区域を指定し被爆者を認定した。黒い雨訴訟はその区域外で黒い雨を浴びたが被爆者と認められなかった84人が起こした訴訟だ。84人は被爆者として認められたが、この区域で黒い雨を浴びたとされる人は1万人以上いる。政府の今後の救済範囲が注目される。この裁判の判決には画期的な内容がある。これまで、被爆者は自分が被爆したことを証明しなければならなかった。だが、この判決では、政府側が被爆していないことを証明しなければならなくなった。時間が経過し、科学的に証明することは双方にとって極めて困難だ。今後国民の泣き寝入りは激減するはずだ。それにしても菅首相はよくぞ決断したと思う。菅内閣の低支持率と秋の衆院選が無ければ、決して有り得ない上告断念だったと思う。コロナは厄をもたらしたが、素晴らしい上告断念という贈り物ももたらした。
最近近所で犬の散歩をする人がめっきり増えた。コロナ疲れで、犬に癒やしを求める人が多くなったためなのだろう。でも長期トレンドでは、2010年の飼い犬が1190万頭だったのに、2020年は850万頭となり3割も減っている。一方短期トレンドでは、コロナ禍で14%増えたという。犬を飼うには、お金と手間がかかる。長期トレンドで犬が減り続けているのは、日本の平均賃金が減り続けているので、犬を飼う余裕が無くなったためと言われている。反面子犬の価格は倍増している。2019年に改正動物愛護管理法が成立し、激安ブリーダーが駆逐され、誠実なブリーダーも飼育に手間がより掛かるようになったためだと言われている。価格が倍になっても犬を買い散歩させる人が増えた。貧富の格差が拡大しているようだ。今や飼い犬はステータスになりつつあるようだ。
五輪競技が始まった。コロナの所為で練習が制限され、日本選手は圧倒的に有利な立場にあると言われている。ところが、蓋を開ければ、初日から金メダル候補とされた選手が次々と予選落ちした。あろうことか、400mメドレーで世界1位の瀬戸選手が予選で敗退した。敗因は過信だと思う。予選は流してと思う気持ちが徒になったのだろう。瀬戸には今まで己の身から出た醜聞があった。結局身から出た錆だと思う。内村選手は金メダルを取るために鉄棒一本に絞った。ミスさえしなければ金メダルは確実と言われていた。でも途中で落下し予選敗退。3日前の練習でも同じところで落下していたという。意識すればするほど緊張しミスするものだ。「さとり」の諺を思い出した。内村は最強選手ではあったが、悟りの境地には至っていなかったということだろう。五輪に5大会連続出場し、ロンドン銀、リオ銅の三宅選手がジャークで失敗し、記録無しに終わった。35歳の女性だ。「ご苦労様」の一言に尽きる。ロートルに金をせがむのは酷だ。実績は期待を膨らませるが、実態は萎んでいるかもしれない。未来の可能性を秘めた青い選手を発掘することこそ、五輪選手選考の要だと感じた次第。
今日は東京五輪の開会式。五輪開催には反対だが、一応テレビで開会式は見ることにした。何故なら小林ディレクターを解任したものの、お祭りは実行すると言うので、その力量を知りたかったからだ。結論として、チャチでダサかった。この程度のお祭り行事に、何故曰わく付きの危ない輩を徴用したのだろうかと、五輪組織委の闇を疑がってしまう。6万人も収容出来る競技場のフィールド内でのたった一人の演技に対し、誰が感動するのだろうか。観客にとってはケシの実を見ているようなものだ。来賓らは何が行なわれているか理解出来なかったに違いない。全てがテレビ観客のために作られていたと言っていいだろう。でも映像の継ぎはぎが多かった。着いて行けなかった。橋本組織委員会長とバッハIOC会長の挨拶は、ノンベンダラリとして辟易させた。聖火ランナーに何故不自由な長嶋を起用したのか疑問が残る。唯一感心したのは、1824基のドローンによる浮かぶ地球だ。それでも、何故2020基にしなかったのかの疑問は残る。採点すると、構成0点、バッハ挨拶-20点、浮かぶ地球+50点、総計+30点という結果になる。優良可で表せば、不可だ。不可を多く取ると落第するが、五輪セレモニーに関しては退学処分が最適だと思う。
またもや五輪開閉会式に携わるクリエイターが、過去の問題によって解任された。音楽担当の小山田圭吾、文化プログラム担当ののぶみが辞任に追い込まれ、ショーディレクターの小林賢太郎は解任された。小山田は学生時代の障害者いじめで、のぶみは腐った牛乳を教師に飲ませた過去を、小林はユダヤ人大量虐殺をパロディ化したことが問われたようだ。当初自分は、過去の過ちをほじくり出した魔女狩りだと思っていた。ところが、違う。小山田の悪行は陰惨だ。同級生の障害者にウンコを食わせ自慰を強制した陰惨ないじめだ。しかも、大人になってから嬉々としてしゃべり、笑いながら反省の弁を述べている。日本のマスコミは「いじめ」としか報道しないが、海外のマスコミは「いじめを具体的に」報道するので実態が判明した。日本のマスコミがこれらの馬鹿者を野放しにしていると言える。のぶみは暴走族軍団の総長で33回の逮捕歴を持っていた。小林のユダヤ人大量虐殺パロディ化は中山防衛副大臣がユダヤ人人権団体に通報して、問題が発覚した。しかも、これらの輩を採用したのが、渡辺直美をブタ扱いして解任された「クリエーターの天皇」と言われた元電通の佐々木宏だったという。この話には更にオチがある。武藤事務総長は「我々が選んだわけではない」と開き直り、出席理事全員が式典の取りやめを主張したのに、そのまま実施することを決断した。無責任集団極まれり、という訳だ。
テドロスWHO事務局長がIOC総会で「日本のコロナ対策は素晴らしい」と持ち上げた。更に日本語で「東京五輪は世界に希望を与えるイベントで、世界を一つにする力がある」と言ったとか。テドロスは一体何処を見て言っているのだろう。日本の感染者数が欧米より少ないのは、政府のコロナ対策によるものではない。手洗い・うがいを励行し、他人との接触を避ける日本人の気質によるところが大きい。政府のコロナ対策で顕著だったのは、飲食店いじめをして経済を疲弊させたことくらいだ。テドロスは一方で「パンデミックに歯止めをかけることに世界は失敗している」と語っている。元々WHOのパンデミック宣言が遅れたために世界中に広がってしまったのだから、テドロスは「自分が失敗した」と言うべきだった。一方バッハIOC会長はテドロスのスピーチを絶賛した。コロナ対策に責任を持つ機関の長が、五輪開催の正当性を主張してくれたのだから。でも、これは出来レースだ。WHOとIOCは従来から同盟を結んでいるのは有名だ。同じ穴の狢同士が褒め合っているに過ぎないのだ。斯くして、コロナは五輪により世界中に再拡大し、パンデミック一色に覆われることになるのかもしれない。
菅首相が米紙に「五輪を止めることは一番簡単で楽なこと。挑戦するのが政府の役割だ」と言ったとか。国民の命と暮らしを守ることが政府の役割であり、政府が国民を顧みず勝手に挑戦してもらっては困る。五輪が始まる前から、すでにバブル方式は破綻している。ひょっとすると、菅の本心は「国民を危険に曝すことは簡単だ。国民よりも秋の衆院選で生き残ることだ」だったのかもしれない。更に菅はインタビューで「感染者数なども海外と較べると1桁以上と言ってもいいぐらい少ない。ワクチン接種も進んで、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている」と説明したとか。これにも誤りがある。コロナの危険性は医療崩壊にある。決して海外と較べ1桁低いのは理由にならない。ワクチン接種も進んでいない。海外選手は日本のワクチン接種率の低さに驚いているのが現状だ。緊急事態宣言を発令したものの、感染対策は緩んでいて感染者数は激増の一途だ。従って、五輪を開催する環境は全く整っていない。何よりも問題なのは、菅が医療崩壊を想定していないことだ。国民が危険に曝される直前であることは間違いない。菅の一連の発言は一言で言うと「嘯いている」ということだ。
かつて自分が勤めていた化学会社に渋沢栄一の血筋を引く人がいた。自分より1学年上だった。頭が良く取締役まで昇進した。当時は、渋沢の血筋を引いていることに驚いたが、後で渋沢は子沢山だし名門家と姻戚を結ぶことが多かったと知った。だから、大手企業にはその手の血筋がワンサカいるのが当たり前だったのかもしれない。DIAMONDonlineに渋沢栄一の玄孫である渋沢健経済同友会幹事の記事が載っていた。題は「大谷翔平選手は渋沢栄一の「論語と算盤」を読んでメジャー行きの目標を達成した」との記事。現代風に翻訳すると「論語」とは道徳で「算盤」とは経済のこと。「論語と算盤」が出版されたのは大正5年。渋沢は「道徳と経営を一致させることが極めて大切な務めである」と言っており、それはイコール「よい金儲け」だと。正しいと思うが残念ながらその思想は今の経済界には引き継がれていない。でも、その思想を引き継いだ者がいる。MLBエンジェルスの大谷翔平だ。大谷翔平はかのマンダラートに「論語と算盤」を読むことと記している。大谷はどのような影響を受けたのだろうか。著者は「論語と算盤」の「と」が重要だと言う。もし「か」であれば、二者択一になっていた。大谷にとっては投手か打者かということだ。でも「と」の効果は違う。異なる二つのものを融合すれば、新しい未来が開けてくるということだ。即ち「投手と打者を両立すること」だ。話八百としても、この話には真実味がこもっている。
菅政権の支持率がとうとう30%を割った。落日が迫っている。安倍前首相は菅政権を支持するとは言っているが、本人の再登板も匂わせている。その上で、ポスト菅として岸田、茂木、加藤、下村の4名を挙げている。安倍を含めこの5名の誰かがポスト菅となれば事態は益々悪化する。それならば菅続行の方がましだと思ってしまう。一方でポスト菅に浮上した意外な人物がいる。衆院に鞍替えしようとしている林芳正元文科大臣だ。林は華麗な経歴を持つ政策通で、何よりも大きなスキャンダルやミスといった失点がないのが特徴だという。自民多しと言えども、スキャンダルの無い政治家を探すのは極めて困難な状況と言えそうだ。自民内の論理はそんなものだが、多くの人が自民に愛想をつかし脱自民を願っている。でも社会党みたいな立憲民主などには任せられない。ということで、保守亜流が注目されている。ひょっとすると、維新の会と小池新党の保守合同が立ち上がるかもしれない。保守系の二大政党制となれば、自浄作用で真面な政策論議が出来るようになるのかもしれない。
今日の政治の特色は3Sだ。3Sとは「説明しない、説得しない、責任をとらない」。権力者が説明し、説得し、結果責任をとるというのは民主主義的統治の大原則だ。でも、安倍一強政権と引き継いだ菅政権が8年も続き、その大原則が破壊されてしまった。その破壊の温床になったものは何なのだろうかと考えてみた。国会で自民が圧倒的な議席数を確保し続けてきたこと。小選挙区制になり、党トップに権力が集中したこと。縦割り行政を無くすため官僚の人事権が官邸に移り、官邸主導体制が強固になったこと。しかし、当初の理念通りにこれらを活用すれば、真面な政治が出来たはずだ。ところが、安倍はこれらを悪用し続けた。今や政権を監視する機能も働かなくなってしまった。菅は安倍の3Sだけを引き継いだと言っても過言ではない。国民にとって出来ることは、選挙で自民の力を削ぐことしか残されていない。でも選挙で自民に鉄槌を下したとしても、その先の展望が開けないのが国民の悲劇になっているのが現状だ。情けない限りだ。
今までブログを書いていて文字数を考慮したことはない。でも、振り返るとブログ開設当初は短文で、最近は長文になりつつある。発信する気持ちを表現するために文字数が必然的に増えてしまった。一方で文字の多さは自分の成長の証しだとも思っていた。当初は100文字程度だったが、今は原稿用紙1枚分以上になっている。恐らく、何かを伝えるためには、原稿用紙1枚分程度の情報が必要なのだろう。でも、長い文章は読み手に苦痛を与えることも多い。そこで考えた。無駄な文字を極力減らして短くするべきだと。そこで、今日は短い。五輪の観客について、県知事の要望で、宮城県は有観客になったが、仙台市長は無観客にすべきと反対している。プロ野球は有観客なのに何故五輪は無観客にするのかという意見がある。プロ野球は宮城の地元の人しか見に行かないが、宮城スタジアムで行なわれる五輪のサッカーには、全国の人が集まる。しかも恐らく感染拡大中の関東の人々が押し寄せるはずだ。プロ野球と五輪は同列には語れない。県知事が正しいか、仙台市長が正しいかは一目瞭然だ。
東京都に4度目の緊急事態宣言が発令された。これを受け、参院内閣委員会の閉会中審査で尾身会長は「人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつある」との認識を示した。更に「PCR検査の拡充や二酸化炭素モニターの設置、下水でウイルスを高濃度で検出する技術など日本には優れて技術がある。科学技術への投資を拡大して感染拡大の抑制を図るべきだ」との考えも示した。至極ごもっともな発言ではあるが、五輪はもう1週間後に迫っている。一方欧米は1年以上前から、科学的にコロナ感染対策に取り組んできている。尾身発言は1周遅れ、いや1年遅れの発言で如何にも陳腐だ。でも、その陳腐発言に急かされているのが政府のコロナ対策だ。言わば、政府のコロナ政策は世界から2周遅れとなっている。尾身の1周遅れ発言は情けない。恐らく菅に忖度を重ねて、遅れに遅れたに違いない。分科会会長として失格だと思う。でも、もっと酷いのは菅が率いる政府の対策だ。尾身が失格の烙印を捺されるのであれば、菅政権には極刑の宣告がなされるべきかと思う。
菅首相の杜撰なワクチン供給契約と無謀な接種回数目標のため、ワクチン接種現場が大混乱だ。とうとう政府は自治体に今後の予約停止を通達した。しかも「今後の予約停止」には、既に予約済みのもののキャンセルも含まれているから、杜撰極まりない。1回目の接種を終えたが2回目はいつになるか分からない2回目難民が続出しているという。自分もそのうちの1人になりそうだ。市役所から接種券が届いたのが5月中旬で、翌日の5月17日にはかかりつけ医で予約した。申込者は多い。そして2ヶ月間も待たされて1回目が今日で2回目は8月4日の予定だ。クリニックへ行くと、医師が「市からワクチン供給を減らすと連絡があった。予約済み分は供給してほしいと嘆願したが、何しろモノが無いの一点張りで受け入れられなかった。従って、2回目はいつになるか分かりません」と言う。その後市の広報で「1回目済みの人を優先させて供給する」と報道されたが、どうなるかは分からない。まさか自分が2回目難民になるとは夢にも思わなかった。自分は政府の杜撰さにとても腹を立てている。2回目難民の数は相当多い。不満は菅政権と自民へと向かう。ワクチン難民パワーは衆院選で鉄槌を下すことになるはずだ。
五輪の開会式はまだだというのにバッハ会長は何しに日本へ来たのだろうか。バッハは「ここまで準備の整った大会はない」と褒めあげたが、準備が整ったのは会場施設だけで、肝心のコロナ対策は穴だらけだ。挙げ句の果てに「最も大事なのはチャイニーズピープル」と、中国人と言い間違えた。すぐに「ジャパニーズピープルの安全だ」と言い直したが、議場には気まずい空気が漂ったという。この言動だけで、五輪さえ開催出来ればよく、日本の事情など眼中に無いことが覗える。更に、東京都は緊急事態宣言により都民に対し不要不急の外出や旅行・帰省の自粛が求められていて、皆我慢しているのに、バッハは広島を訪問するという。勿論広島は「真に平和を望むなら、五輪もコロナも関係ない時に訪れてほしい」とバッハを歓迎していない。新幹線を貸し切っての大名旅行だ。反対を押し切って広島へ行くのは、7月16日はIOCが世界に休戦を呼びかけるオリンピック休戦の初日で、世界で最初に原子爆弾の被害を受けた場所に行ったということをアピールしたいが為だろう。決して被爆者への慰霊でもなく、核兵器廃絶のためでもない。バッハにとっては五輪以外は全て五輪の道具に過ぎないという訳だ。まさにこれを五輪貴族と言う。日本には権力志向のバッハに立ち向かえる人材はいない。日本はバッハに蹂躙されっぱなしになりそうだ。
西村大臣と河野大臣の危なっかしい発言が続き、世論を揺るがしている。西村は酒類提供を銀行圧力で停止させると発言し、大批判を浴びている。ところが、それを指示した菅は「承知していない。西村がそんなことを言うはずがない」とハシゴを外した。一人矢面に立たされた西村には乱を起こす道しか残されていない。この際、上下関係・信頼関係が崩壊したのだから、西村は洗いざらい暴露すべき立場にある。今後どう出るかが興味深い。河野も同じ状況にある。ワクチン接種の混乱について、今頃になって「実は4月からワクチン供給量が減っていた」と言い訳して、大批判を浴びている。菅と和泉の杜撰なワクチン供給契約で、供給が不安定なのは関係者間では初めから分かっていたことだ。それなのに菅の強引な接種範囲拡大指示を止められなかったので、現場が大混乱している。全ての元凶は菅にあるが、河野はそれに目をつぶって、ワクチン供給相の仮面を被り続けてきた。それが裏目に出て、今やワクチン不足の犯人と見做されている。ワクチン供給の使命よりも、ワクチン供給相の肩書きに固執した結果に違いない。今や河野も西村の歩く道を後追いすることになる。乱を起こすには今しかない。政治家としての度胸が試されている。
新型コロナウイルス対策で酒類の提供停止に応じない飲食店に対し、取引金融機関から圧力を掛けてもらうよう求める政府の方針決定に、内閣官房のほかに、財務省と経産省、金融庁も関与していたことが判明した。これは西村コロナ相一人で出来ることでは無い。菅首相の指示であることは明白だ。それでもシラを切るとは菅も往生際が悪過ぎる。現代は情報網が発達しているから、ウソはすぐにバレてしまう。一昔前の政治家は隠すのに長けていた。口を利いてあげる場合の見返り要求は「庭に大きな石が一つ欲しいんだよ」と呟けば「1億円くれれば」という意味だった。銀行筋から圧力を掛けるには、頭取を呼びつけて「酒屋がなかなか言うことをきかなくてね」と呟くだけで、事は済んだ。しかも、直接的ではなく相手の忖度によるから、言質も証拠も無く捕まることもない。恐らく菅らは一昔前の認識で事を運ぼうとしたのだろう。しかし悲しいことに隠語が使えないし、理解する者もいない。菅は「銀行から圧力を掛けろ」と言わざるを得ない。すると取り巻きは何の考えも無しにホイキタサッサと動いてしまう。今更菅が「承知していない」と否定しても後の祭りだ。一昔前の大政治家のように物事を支配出来ると勘違いしている菅を筆頭とする閣僚たちには、政権から退場すべき時期が来ている。
取引先の銀行から圧力を掛けて、飲食店への酒類供給を止めようとした西村経済再生相の言動が波紋を広げている。勿論即座に世論がNOを突きつけた。自分は第一感で、菅首相の恐怖政治に西村が感染した結果だと思った。菅は己の意向に会わなければ即座に官僚のクビを切ることで有名だ。圧力で恐怖を与えれば何でも意のままになると思っている。西村はその手法に感染し銀行の力を使って強引に酒類供給を止めようとしたと思っていた。西村発言の後、菅は西村発言を問われ「どういう発言なのか承知していない」と回答した。しかし、真っ赤なウソだった。西村発言は新型コロナウイルス感染症対策本部で作られた案で、西村個人の案ではなかったのだ。しかも、その会議の本部長は菅で自身も参加していたのだ。またまた菅は国民に対しウソをついたのだ。でもマスコミは菅の報復を恐れて、これ以上追及しない。もし追及しても、菅は「内容は知っているが、西村が実際にどう言ったのかは承知していない」と、例のご飯論法で切り抜けるに違いない。政府は西村発言を撤回したが、現実には国税庁酒税課が酒類業中央団体連絡協議会各組合に対して、休業要請に応じない飲食店との酒類取引停止を求める依頼書を配布した。これは未だに撤回されていない。見え透いたウソを平気でつく菅を、首相の座に置いておいて良いのだろうか。国民はこの顛末を次回の衆院選まで忘れるべきではないと思うのだが。
五輪について1都3県の無観客開催がようやく決まった。でも何故北海道や福島県などを省いたのだろう。コロナ感染を考えれば、全面的に無観客にするのが道理だ。菅政権はいつもチマチマした方針を出す。コロナ対策然り、五輪感染然りだ。そのチマチマがダラダラと感染を拡大しているというのに。インド型の感染拡大は脅威だ。政府は相変わらず酒類の販売を規制するという。酒を飲むと声が大きくなり、コロナを吐き散らすだろうからと言う。その規制は当然だ。でも、問題はその規制の方法だ。西村コロナ相は「酒の提供を続ける飲食店に対して金融機関への働きかけを要請する」と宣った。これは間違いなく、ナチス的行為だと思う。酒の提供を阻止するために、酒屋に圧力を掛けて良いのかと言う問題だ。答えは簡単。西村は踏み間違えた。このバカは圧力こそ力と思ったに違いない。圧力は力では無い。道理こそ力だ。いま西村は「経済破壊大臣」と揶揄されている。揶揄こそ現実だと思う。
カミサンが「今回はどうしても行って欲しい」と言う。毎日書道展へだ。この書道展では、毎日賞、秀作賞、佳作賞、一般入選が展示される。今年はカミサンが何と秀作賞を受賞したのだ。「一生にもう2度と無いだろうから、今回は見に来て!」と懇願する。でも、自分は電車不安症で、車内が混んでいると脳貧血を起こし倒れることが多いから、極力遠出は控えている。と言うよりも拒絶している。でも、たっての頼みとのことで行くことになった。半分決死の決行だ。行きはコロナの所為か空いていて、何とか熟すことが出来た。目的地は国立新美術館。途中で東京ミッドタウンの茅乃舎で、美味い出汁の利いた煮麺を食べた。そして美術館で書道を鑑賞し帰路に着くことになった。今タクシーのGOの宣伝攻勢がされている。2千円もディスカウントされるので、帰りはこれを利用すると決めてスマホにアプリを仕込んでおいた。アプリでタクシーを国立新美術館前に呼んだ。数分で来た。便利なものだ。タクシーは六本木の暴力団黒塗りの車列を横目に、首相官邸、国会議事堂、警視庁、二重橋を通り、目的地の東京駅に着いた。初めて通った道だった。今日は書道鑑賞というよりは、東京巡りに感動した次第。
東京五輪が開催する方向で決まり、今は有観客か無観客かのせめぎ合いだ。海外では有観客が多いのに、五輪は事実上ほぼ無観客に決定した。海外と日本の違いを、感染症が専門で新型コロナウイルスに関する発信を続けている岩田健太郎神戸大教授が解説しているのが興味深い。サッカーUEFA EURO2020のイングランドでは、抗原検査を観客の入場条件としていて、9万人収容のスタジアムに6万5千人を収容して開催された。ワクチン接種率も高いが、毎日新たに3万人近い感染者が見つかり、毎日300人ほどが入院している。コロナによる死者はガンや心臓発作に比べれば死者の割合はそれほど大きくないから、イギリスでは「コロナと共に生きてゆく」と態度を決めたからだと言う。F1のオーストリアGPでは、3日間でのべ約13万人の観客が訪れたとのこと。その理由を岩田教授は「ヨーロッパでは、コロナ対策をしっかりやった後、経済やイベントのご褒美がついてくる」と言う。一方日本は感染者が増えているのにGoToをやって真逆のミスをしていると指摘している。カリフォルニアでは、まだコロナが下火になっていないが、経済活動を全面再開しマスク不要の緩和も行なっているが、それはワクチン接種を促すための方便だと言う。一方日本では、感染者が増えたから緊急事態宣言をと、なんのビジョンもなく、場当たり的な対応をしているだけと指摘している。岩田教授は「日本には対策のビジョンがない。これは科学的にも、理性的にも本当によくない」と締めくくっている。横浜港のダイヤモンドプリンセスでのコロナ感染の時から、もし岩田教授が陣頭指揮を執っていれば、今頃日本は大手を振って五輪開催に邁進していたに違いないと思わざるを得ない。
菅首相の大号令でワクチン接種が進み始めたかに見えたが、早速問題が出てきた。接種する体制は出来つつあるが、肝心のワクチン供給が滞っている。計画に見合ったワクチンが現場には来ないのだ。とうとう予約を停止する羽目に陥ってしまった。田村厚労相は「6月末までに約9千万回分を供給したが、接種回数は5千万回ぐらい。市中に4千万回分が目詰まりしているようだ」と釈明している。でも問題の解決は簡単だ。供給量と接種回数を把握するだけで解決する。あとは小学生でも管理できる程度のものだ。ところが、国はファイザーからの供給量も、自治体への出荷量も公表しない。接種回数については、国が一元管理するワクチン接種記録システムVRSで把握可能であるはずだが、入力が自治体毎にバラバラなのでリアルタイムで把握出来ないという。一方河野ワクチン相は「モデルナ製ワクチンは6月末までの供給量が当初計画の4000万回分より大幅に少ない1370万回分だった」と明らかにした。しかし、市中に4千万回分も目詰まりするはずがない。接種回数はVRSで正確に掴めているはずだ。5千万回ぐらいというのはかなり膨らましている数字だろう。これらの情報から憶測するとこう結論付けられる。ワクチン供給量が元々の計画より半減しているからと見るべきだ。和泉補佐官と大村審議官と菅首相のワクチン供給契約が余りにも杜撰だったことに起因するのだろう。それを隠すため、国は総出で目詰まりとかVRSで目くらましを図っているのが現状だと憶測出来る。
都議選の結果、議席数は自民25→33、都ファ45→31、公明23→23、立民→8→15、共産18→19となった。議席数だけ見れば、自民と立民が勝ち、都ファが負けたとなるが、評価は違う。自民は負け、都ファは善戦、立民は事実上の負けだという。選挙前の予想では、自民が50と圧勝し、都ファが惨敗し、立民は共産との棲み分けで伸ばすと言われていた。従って、予想と結果のギャップが評価になっているようだ。自民は敗因として、菅の応援の無気力さと小池都知事の入退院パフォーマンスと分析している。でも、もし菅が応援演説に力を入れたら、もっと大敗していたに違いない。この都議選の争点は、五輪問題、コロナ対策、都財政悪化にあったはずだ。でも、結果として何ら方向性は見い出せなかった。政策の方向性を決めることの出来ない、無用な選挙だったと思う。国政選挙についても、同じようなものだ。このような選挙をいくら繰り返しても、世の中は何も変わらない。張り切っているのは候補者だけで、有権者も世の中も取り残されている。困った世の中だ。
大統領に就任する以前から「バイデン認知症説」が囁かれていましたが、もはや隠せなくなっている状況との報道がある。イギリスで行われたG7サミットに出席するために訪欧したことを、すでに忘れているという報道だ。大統領選の時も認知症が問題視されたが、ジョージ・ワシントン大学医学部のケビン・オコーナー博士が診察し、問題なしと太鼓判を捺した経緯がある。日本ではあまり報道されないが、先のG7では認知症らしき挙動で醜態をさらしたと言われている。ジョンソン英首相が南ア大統領を紹介した後に、バイデンが南ア大統領の紹介がまだだと言ったとか。プーチン大統領との会談について説明するときに「米ロは一緒に問題解決に当たれる。例えばリビア問題」と、本来シリアと言うべき所をリビア、リビアと繰り返したり。麻生財務相のような失言も困りものだが、麻生のは意図的だ。それに較べバイデンは麻生式失言ではない。高齢者特有の大脳皮質の衰えに原因がありそうだ。世界のリーダーであるべき米大統領が認知症であれば、極めて問題だ。隠せば事態は益々深刻になる。早急な再診断が望まれる。
五輪開催の是非について、日本の新聞は殆ど態度を明らかにしないが、海外メディアは状況を的確に把握し、是非を明確にしている。日本の大新聞は自身が五輪サポーターだから、すでに五輪組織に飲み込まれジャーナリズムとしての機能を果たしていない。一方海外メディアはジャーナリズムの神髄を果たしている。英The Guardianは、生命を危機に晒す今大会の開催は本当に正当化されるかを日本政府とI O Cは問わねばならないと批判を展開している。大会を開催するのであれば、感染拡大を食い止めるためのルールを確実に施行する必要がある。日本政府は日本人の声に耳を傾けない。「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として実現する」という菅首相の約束は、楽観的どころかまったく間違っていると的確な見方をしている。独Frankfurter Rundschauは、スポーツ大国の1つが参加を辞退すれば、各国に連鎖反応が起き中止に追い込めるだろうと中止に前向きだ。仏Liberationは、IOCの暴走を止めるべきだ。公衆衛生や人命の価値は、コカ・コーラ社の広告の価値よりも低いのか。IOCに五輪の開催に関して自由な権限を与えることを拒否する、と手厳しい。一方スペインEl Mundoは、聖火リレーも始まり、施設は建設済みだし、予算も確定しテレビ局やスポンサーはすでにキャンペーンを開始しているからと、開催を肯定しているメディアも一部ある。まるで日本の新聞と同じだ。世界には日本と同様にジャーナリズムが存在しない国もあるということか。
千葉県八街で児童5人が死傷する悲惨な交通事故があった。トラックが下校帰りの児童の列を襲った。トラック運転手は飲酒運転。飛び出した人を避けるため急ハンドルを切ったとは言っているが、防犯カメラには写っていない。飲酒の居眠り運転だったに違いない。現場は抜け道になっている。スピードを出す車が多い割には、児童多しの立て看板があるだけでガードレールもグリーンベルトも無い。日本の何処にもある光景だ。日本の道路行政の貧困さを象徴する道路事情だと思う。テレビニュースでは菅首相が現場視察し献花する様子が放映された。菅はガードレールの設置を指示したという。でも悲惨な児童の交通事故と菅首相の現場視察の対比がミスマッチに感じた。何故当面の国家的課題が山盛りの菅首相が直々現場視察したのだろうか。第一感として五輪とコロナの汚名を隠すための偽善行為だと思った。第二感は秋の衆院選に向けた売名行為。第三感は菅特有のパッチワーク。菅は実務の政治家だ。7年に及んだ官房長官時代には、地方の陳情を万遍なく熟し対応していた。まさに大義は無いがパッチワークの達人なのだ。でも、今は一国の首相。リーダーだ。高所から見て国を治めるのが仕事だ。この悲惨な事故を知った時にまずすべきことは、全国の通学路の安全性の再確認と確保の指示であるはずだ。菅には首相役が重過ぎる。
英国ではサッカー欧州選手権試合で、感染対策が設けられていたというのに2千人のサポーターが感染したという。それでも政府は五輪開催を強行しようとしている。丸川五輪相は7万人の五輪のボランティアに対し、2回のワクチン接種が間に合わないので「1回目の接種でまず一次的な免疫をつけていただく」と素っ頓狂な非科学的なことを言い出し、世界の笑いものになっている。一方JR東日本は五輪期間中は運転時間を延長し午前2時まで運行すると発表した。小池都知事が、8時以降の人流増加は感染者数が増えるので「8時にはみんな帰ろう」キャンペーンを発表しているというのに。感染防止を進めるべき政府がJR東日本に圧力を掛けた結果に違いない。また、日本郵政は公道での聖火リレーに伴う交通規制の影響で、配達が半日から1日遅延すると発表した。因みに日本郵政は五輪と聖火リレーのスポンサーでもあるが、優先順位を間違えている。1日も遅配が生じるなら、政府が聖火リレーを中止させるべきものだ。日本では、政府だけでなくJRもJPも崩壊状態にある。