ロシアW杯が酣だ。リーグ戦が終わりベスト16が出揃った。日本の相手はFIFAランク3位のベルギー。テレビ番組では、ベルギーの強さだけが強調されている。日本のFIFAランクは61位なのだから当然と言えば当然なのかもしれない。でも番組に出て来るサッカーOBたちは、日本の勝ちか引き分けを予想している。ベルギーの圧倒的な強さを認識しているOBたちは日本が負けることを前提にして、日本人としての手前オベンチャラを言っている様子が手に取るように分かる。ところが、トルシエもオシムも見方が違う。トルシエは、西野監督になって甦った日本の攻撃性を評価している。日本には失うものは何もないのだから、攻撃性を発揮出来れば負けるはずがないとコメントしている。オシムは、勝つ可能性は日本の方が少し高いと見ている。1度もタイトルを手にしたことのないベルギーは強い野心を抱いている。両刃の刃だ。そこに日本が付け入る隙がある。日本の攻撃性が噛み合えば日本の勝利も見えてくると言う。結局、日本のOBたちは本心では「勝つ訳ないでしょ」と言っているが、トルシエもオシムも「勝算は充分日本にある」と言っている。増々7月3日真夜中の試合開始が楽しみになってきた。この試合だけは夜を徹して応援しながら観ようと思う。
サッカーW杯で決勝トーナメント進出が決まったサムライブルーの本田と長友が 情報の漏洩について指摘・懇願した。大切な情報は漏洩しないでと。決勝トーナメント進出を決定付ける対ポーランド戦のスタメン情報漏洩のことだ。スタメンは前夜西野監督からチーム全員に発表された。勿論極秘情報だ。ところが、翌日の複数のスポーツ紙に極秘情報が丸々掲載された。そして当日何と掲載通り、西野Jは先発6人を入れ替えて対ポーランド戦に臨んだ。サムライブルーは裏方さんを含め結束が強いと言われている。ハリルから西野に代わりコミュニケーションも良くなった。しかし反面、西野Jになってから、情報が駄々漏れだという。西野が極秘情報を限定した者にしか伝えない方法も考えられるが、それは止めた方が良い。何故なら西野Jの強みは、チーム一丸なのだから。今のところその犯人が誰なのか確証はないという。でも、間違いなくチーム内に犯人はいる。犯人が捕まるのは時間の問題だろう。サッカー協会は確証が得られれば、犯人を公表し追放すべきと思う。
今日は強風の中でゴルフをしたので、疲れてサッカーW杯対ポーランド戦は見ずに寝てしまった。夜中に起きて結果を知った。日本が自力で決勝トーナメントに進出するには、勝つか引き分けが絶対条件だった。だが0-1で負けているのに、負け側の日本は攻めなかった。西野監督はセネガルとのフェアプレーポイント差に託したからだ。結果は西野の目論み通りフェアプレーポイント差で決勝トーナメント進出を果たした。日本中で賛否両論が渦巻いている。西野監督は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で決断したに違いない。結果オーライだから、西野監督は満足していると思う。一方選手たちは、やり場のない悔いの残る複雑な気持ちを味わったに違いない。ところが、日本のH組と対戦するG組でも無気力試合が行われていたとのこと。G組1位で通過すると決勝トーナメントの第2戦で優勝候補のブラジルと当たることになる。ベルギーもイングランドも選手を大幅に入れ替え、主力選手を温存するとともに、両者共負けの2位狙いを指向したようだ。結果はイングランドの無気力負け。世界中から賛否両論のアメアラレ。自分はこう思う。負けている日本が攻めないのはフェアプレーではない。フェアプレーポイントとは裏腹だ。たとえ0-2になったとしても最後の最後まで、攻め続けてほしかった。その方が、現場で戦う選手にも観衆にも悔いが残らなかったはずだと思う。何れにしても西野監督の決断の評価は、対ベルギー戦の結果で決まると思う。
最近、川越や佐原などの「小江戸」の人気が上昇している。そう言えば、津和野や尾道などの「小京都」の人気は陰り始めている。何故だろうかと思っていたら、繁盛戦略コンサルタントの佐藤さんが的を射た記事を書いていた。佐藤さんは、観光地としては「小江戸」に軍配があがるとしている。以下はその抜粋。全国各地の「小京都」が集まり「小京都」としてのあり方などを話し合う全国京都会議という組織がある。加盟条件は、京都に似た自然景観・町並み・佇まい、京都と歴史的な繋がりがある、伝統的な産業・芸能がある、の何れかを満たすこと。でも、加盟は京都好きな女性の集客を当てにしたお墨付きのようなもの。一方、江戸との関わりが深い町や江戸の風情を残す古い町並みが「小江戸」と呼ばれている。正式な組織はないものの「小江戸サミット」という会議を開き、PR方法などを話し合っている。「小江戸」人気の上昇と「小京都」の下降を次のように分析している。「小京都」は、遠い京都に行くのが大変だった時代の代替地だった。だが、交通機関の発達で本家の京都が近くなり、すぐにでも行けるようになってしまい存在価値が無くなってしまった。一方「小江戸」は、本家の江戸は消滅してしまったので、江戸情緒を味わうには現地に赴かなければならない。結果として、観光地としての人気は高まっている、と。本家のある京都と本家の無い江戸が、地方の観光地の人気に影響を及ぼしているという意見が面白く感じ、このブログに書いてみた。
自分は本来犬も猫も嫌いだ。小学校に上がる前の頃、親戚のチョビという名の犬に噛みつかれた。それ以来、自分にとって犬は嫌いというよりは怖い存在になった。一方猫は次の瞬間何をするか分からない。やっと親しくなったと思っても、いきなり爪を立ててくる。信用の置けない存在といえる。でもカミサンの影響で今は猫派になった。しかし、猫の事ばかり書くのも不公平だから、偶には犬の事も書いてみようと思う。ブラジルのニュースが面白い。離婚した夫婦の犬についての親権だ。本来、離婚協議で犬は「モノ」として見做されるが、離婚された男も飼い親としての権利を認めたとか。訴訟を起こす方も凄いと思うが、その親権を認める裁判所の判断も凄いと思う。でも、もっと凄いと思うのが「犬の十戒」。十戒といえば「モーゼの十戒」。モーゼの十戒とは、モーゼが神から与えられたとされる10の戒律のこと。だから「犬の十戒」とは、神から与えられた戒律なのだと考えるべきものなのだろう。そのなかで、自分が一番気に入ったのは第5。Talk to me. Even if I don’t understand your words, I understand your voice when it’s speaking to me.(私に話しかけてください。あなたの言葉は理解できないけど、私に話してるあなたの気持ちは理解しています)。この「犬の十戒」を知って、自分は犬も好きになりそうな気持になった。
プロ野球で審判誤審の珍事があった。22日のオリックス対ソフトバンク戦。延長10回ソフトバンク中村外野手の打ったボールが右翼ポール際に飛び込んだ。審判の判定はファール。だが工藤監督がリクエストを要求。リプレー検証し、判定が覆って2ランホームランになり、3対5でオリックスが敗けた。ところが試合後、福良監督が再度ビデオを見るよう抗議。その結果、審判団はリプレーのホームラン判定が誤審で、ファウルであったことを認めた。二重の誤審をした訳だ。お騒がせのご意見番張本は「審判が下手になった。審判は判定を覆すべきではない。線審を置くべき」と言ったとか。いまプロ野球はデジタル化により変貌しつつある。第一世代は「判定は全て審判の眼」、第二世代は「ビデオによる判定」、第三世代は「PITCHf/xシステムによる球種計測」、第四世代は「スタットキャストによる選手とボールの動きの高速・高精度分析」。日本は今年から第二世代に入ったが、米国はすでに第四世代に突入している。デジタル化がもたらすものは、判定の正確さだけではない。球種を計測することにより、投球術が向上する。スタットキャストを使えば、打つ方も捕る方も技術の向上に役立つことになる。野球とデジタルが共存するだけでなく、デジタル化は野球技術の先生にもなるのだ。これを使わない手は無い。でも張本は第一世代に引き戻そうとしている。老兵は静かに去るべきだと思う。
6月13日から苦しんできた。ブログ「Windows 10 Version 1803更新のトラブル」に書いた通り、パソコンがクラッシュしたからだ。電源ボタンを押してもWindowsが起動しない。真っ黒な画面のままなのだ。途方に暮れて富士通のサービス部門に訊いてみた。親切に教えてくれたが、OSが動かないのが原因とのこと。対処法を訊いた。データは吸い出せるが、パソコンは初期化する必要があるとのこと。でもデータの吸い出し費用は高額だ。コストパフォーマンスを考えてデータの吸い出しは断念した。更なる問題はパソコンを初期化出来るかだ。パソコンの知識など殆んど無い自分が悪戦苦闘した。その結果何とか初期化は出来た。ところが、ワードやエクセルが消えてしまっている。自分にとってワードもエクセルも無いパソコンなど無用の長物に近い。再び富士通に質問。ワードやエクセルを取り戻す方法を教えてくれた。自分の気持ちとしては奇跡的に取り戻すことが出来た。すごく嬉しかった。更なる問題は、パソコンの応答が異常に遅いこと。これが諸悪の根源だと思った。偶々NortonのWindows 10エラー修復ツールの宣伝を見た。藁にも縋る思いで、試してみた。結構効果がありそうにみえる。一時はパソコンを買い替えようと思ったが、しつこくトライしたことが功を奏した。オマケにトラブル対応の心構えも身に付いた。今は「災い転じて福となす」という心境に達している。目出度し、目出度し。
昨年3月に道路交通法が改正された。主な改正点は、準中型運転免許の新設と高齢運転者対策の推進の二つ。問題は準中型運転免許の新設だ。準中型免許とは、普通免許と中型免許の間に新設された、車両総重量7.5トン未満で、最大積載量が4.5トン未満の自動車まで運転できる免許のこと。簡単に言うと、普通自動車から2トントラックまでを運転出来るということ。政府の広報は良い点ばかりを宣伝する。これまでは、車両総重量11トン未満までのトラックを運転するには中型免許が必要で、取得要件は、満20歳以上で2年以上の普通免許保有が必要だったが、準中型免許は、運転経験を問わず18歳以上であれば総重量7.5トンまでの自動車を運転することが出来る。準中型免許で運転できるトラックは、宅配便やコンビニの配送、建設や土木などの資材運送をはじめ、幅広い分野で利用されていると。良い事ずくめだ。ところが、落とし穴があった。消火活動に使う殆んどのポンプ車が、改正後に普通免許を取得した消防員には運転が出来ないのだ。消防車製造の国内大手は「モリタ」。モリタによると、この重量制限内でポンプ車に水槽を付けるのは技術的に難しいという。水槽無しだとホースを消火栓につないで水を引く必要があり、水槽付きのポンプ車より初動が遅れる危険性があるという。でも、もっと大きな問題は全国的な消防団員の減少だ。60年前に較べ人数は半減している。それに今回の道路交通法改正が追い打ちをかけている。消防法の特例は出来ないのかと思うのだが。
裁判所の判断は判例に基づくものが多い。過去との整合性を大事にするあまり、変化する時代に合った判断を下すものは殆んど無いのが現状だ。ところが、米国の最高裁が画期的な判断をした。州政府がネット通販業者から日本の消費税にあたる売上税を徴収することを認める判決を出した。これまでの判例では州内に店舗や物流施設など物理的な拠点を持たない業者に対して、州は売上税の納付を義務付けることが出来なかった。判事は「物理的な拠点を求めるルールは、小売業者の公平な競争を阻んできた」と指摘。ネット通販が広く普及した時代に即した素晴らしい判断だと思う。日本ではアマゾンの売上が毎年大幅に伸びている。アマゾンは便利だから自分も使っているが、アマゾンが伸びると、小売業者が次々と潰れていく。米国のトイザラスが潰れたのが典型例だ。でも将来もしアマゾンが潰れると、周りは小売業者が無くなっていて買い物難民が続出する事態になる恐れもある。日本では、イオンの進出で周りの小売店が廃業し、イオンが去ると住民は買い物難民になってしまった事例がある。大規模店舗法を復活せよとは言わないが、国会や最高裁の知恵の出し所でもあると思う。
6月15日から始まった民泊が大混乱だ。民泊仲介サイト最大手のエアビーアンドビーが、6万件以上あった掲載物件のうち4万件以上の表示を止めたとのニュースが流れた。政府は違法施設の宿泊は認めないと言っていたから、てっきり、違法施設だらけなのかと思っていた。ところが、事実は相当違うようだ。慶応大岸教授が解説をしている。民泊法が成立したのが昨年の6月。そして今年の6月に施行。今日までに1年もの猶予期間があったのに、行政が後手を踏んだのが原因。一つは切り替え時期の混乱を見越した手を打たなかったこと。もう一つは、法律の常識を覆して、法律の効力を施行日より前に遡及したこと。施行日より前に遡及した原因は、自民党議員から違法民泊を取り締まるよう強く要求された観光庁役人が、ビビッて5月下旬になって態度を豹変させ、民泊仲介サイトに対して違法施設への予約の取り消しや、合法物件への予約の変更を求めたためだと言う。何の事はない。単なる人災なのだ。犯人は民泊関連の自民議員と観光庁だ。自分は観光庁発足当時から、頼りにならないものと思っていた。要するに、当事者意識が無い。達成目標は単に世情におもね夢を語るだけだし、責任も負わない。だが、日本には真の観光庁は必要のはず。でも、今こんな組織のナ~ンチャッて観光庁は、全く不要だと思う。
近視は一種の現代病だ。近代化が進んでいる地域で子供たちの近視が増える傾向があり、2050年までに世界人口の約半数の50億人が近視になるという推計もあるという。子供の頃、親から「暗い所で本を読むな。眼が近過ぎる」と言われたものだ。自分の視力は、小学生の時に2.0まで見えたこともあったが、中学生の時に読書に餓え家中の本を読み漁った時期があり、その結果ド近眼になった。近視の主な原因は、これまでの研究で遺伝的な要因と環境因子であろうことは薄々分っているが、詳しい原因はあまりよく分かってはいないのが現状だ。英国のブリストル大学の研究グループが最近の研究成果を発表した。それによると、遺伝的な要因は考えにくいが、教育に費やす時間が増えるほど近視になるリスクが高くなることが分かったとのこと。近視の原因が環境要因だということが分かるだけで、教育の時間がどの程度、近視や近視の進行に影響を与えるのかはわからないという。何の事は無い。親の教えの域を出ていない。研究成果はゼロなのだ。何故研究結果を発表したのか理解に苦しんでしまう。でも少し良い点もある。勉強している時間の増加はすなわち屋外で過ごす時間の減少であり、それが近視を引き起こしている直接の原因ではないかと考察している。屋外は12万ルクスもあるが、教室は明るくても500ルクスしかない。更に独自の考察を加えれば、暗に「子供は外で遊んだりスポーツをしなさい」と奨励しているのかもしれない。
昨日は大阪を震度6弱の大地震が襲った。そして今夜はロシアW杯対コロンビア戦が予定されている。マスコミは地震被害とサッカー特集一色だ。こんな折突然、加計理事長の緊急記者会見が開かれた。1年以上も雲隠れして、国会審議を停滞させ、国会招致にも応じなかったのに、突如緊急会見をすると言い出した。しかし会見の連絡をしたのは2時間前で、会見に出席を認めたのは岡山の記者クラブ加盟社のみ。これでは、今まで加計問題を追ていた記者も、文科省担当記者も、獣医学部が開設された愛媛県内の記者も会見に出られない。会見内容は「問題とされる日時に自分が安倍首相と会ったことは、記憶も記録もありません」だけ。20分間が過ぎると、学園業務があるとの理由で一方的に質疑打ち切り。あれ程世間を騒がせた事件なのに、余りにも一方的過ぎる。会見の狙いは「加計理事長は会見をした」というアリバイ作りそのものだ。さて、このタイミングでの会見は誰が設定したのだろうか。1年以上も雲隠れしていた加計理事長が、自主的に設定するのは不自然だ。政治的な意味合いを考慮すれば、内閣府の入れ知恵とみるのが妥当。このアリバイ作りで状況証拠は真っ黒になった。結局この事件は、刑事訴訟法第336条「被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」という推定無罪で逃げ切られてしまうのか。
あのフィル・ミケルソンが、48歳の誕生日に男子ゴルフ全米オープンで前代未聞の違反を犯した。13番グリーン上でパットし、まだ動いているボールを先回りして打ち返した。ゴルフルールでは「自分のボールが動いている間はそのボールをストロークしてはならない」との規則があり、違反で2打の罰が加わった。ミケルソンは「以前から一度はやろうと思っていた。ルールは知っているが、バンカーに落ちるよりはマシ。ルールを戦略的に使っただけ。無礼な行為と思われるのなら、謝る」と確信犯的行為を認めている。極めてシビアとなったコースセッティングへの抗議の意思表示だったのかは分からないが、それにしても世界を代表する大選手がこのような愚行に走るとは開いた口が塞がらない。48歳の大選手が・・・、ということで孔子の論語の一節を思い出した。「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」。ミケルソンは四十にして惑っている。心の欲する所に従えども、矩を踰えなくなるのは孔子でも七十なのだから、48歳のミケルソンが矩を踰えるのは宜なるかなとも思う。
日本列島のほぼ全域を描いた最古級の地図が発見されたという。14世紀中ごろの室町時代に描かれたらしい。日本扶桑国之図という。現存する最古の日本地図は仁和寺所蔵の1305年の「日本図」とされているが、残念ながら西日本が欠けている。日本扶桑国之図には、北海道は入っていないものの沖縄までも記載されている。地図そのものは、伊能忠敬のように精密ではないが、国内68カ国が描かれ、地図の欄外には国名と郡名、人口や田畑の面積、寺の数なども記されている。しかも、京都から各地への幹線道路が記載されている。まさに都人の為の鳥瞰図と言えそうだ。そこで地図の在り方を考えてみた。真っ先に思い出したのが「話を聞かない男、地図の読めない女: 藤井留美訳:主婦の友」だ。日本扶桑国之図は男脳で書かれている。鳥瞰図的な発想がある。鳥瞰図的だから、細部には拘らない。でも、配置関係は大事にする。その典型例だと思う。そこで思った。自分は鳥瞰図派なのだろうか、それとも伊能忠敬派なのだろうかと。間違いなく、自分は鳥瞰図派だと思う。自分の目を中心に周りを見るのではなく、自分の頭の上空高くから、辺りを見回すことこそ、常々大事だと思っている。でも「地図という存在」があったからこそ、鳥瞰図的な発想が可能になったのだと思う。地図の無い時代に日本扶桑国之図を描いた人は、当時稀なる鳥の眼を持っていたようだ。身震いを覚えるほど感心した。
小池都知事の経歴詐称が問題になっている。「カイロ大学を首席で卒業したこと」が真実なのだろうかと。ましてや「本当にカイロ大を卒業したのか」も疑わしいと噂されている。自著のプロフィル欄には「76年にカイロ大を首席で卒業」と記載されているとのこと。でもいま本人は「昔の話なので覚えていないが、先生から非常にいい成績だったと言われ、自書に首席と書いたと思う」と言っている。いい加減だ。それなら自分もいつもどこでも首席だった。本人曰く、少なくとも選挙公報には「カイロ大卒」と記載しただけなので問題は無いと言っている。実際どうでも良いことと思うが、一言苦言を呈したい。経歴を詐称したとすれば、単なる嘘つき女。そんな女は幾らでもいる。単に一庶民であれば大した問題ではない。でも、経歴という後ろ盾を含めて当選を果たした都知事には、問題が大ありだ。都民は単にユリコ旋風に踊らされていただけではない。カイロ大学という異国ムード、首席という賢さのイメージが投票率を上げたことは容易に推定される。このケースでは、事実認証が第一だ。カイロ大に小池という卒業生は存在するのだろうか。76年の首席卒業生は誰なのだろうか。調べれば直ぐ分かることだ。まずは本人が立証すべきもの。もし嘘であれば、化けの皮か、厚化粧かは分からないが、剥がれてしまい信頼も名声も失われてしまうだけのことと思う。いつの世も為政者の化けの皮は剥がれるべき、剥がすべし。
世界的にトランス脂肪酸による心臓疾患のリスク増加が問題視されている。WHOが排除の方針を発表したが、農水省は放置しているので、未だに幅広い食品分野で使用されている。農水省は、日本では欧米に較べトランス脂肪酸の摂取量が少ないからと言い訳しているが、そうだろうか。今や、トランス脂肪酸はパン、ファストフード、ケーキ類などに多量に使われている。日本人は知らず知らずにトランス脂肪酸を飲み込み、心臓疾患患者へとまっしぐらなのが現実だ。農水省が国民の健康など全く配慮していないことは間違いない。だから、敢えてこのブログにWHOの警告を載せ、その一助になろうと思う。WHOのREPLACE提案は下記の通りだ。REview:工業的に製造されるトランス脂肪酸の原材料および必要な政策転換について展望する。Promote:トランス脂肪酸をより健康的な脂肪や油に切り替える。Legislate:トランス脂肪酸を排除するための規制措置を講じる。Assess:食料品に含まれるトランス脂肪酸の量およびトランス脂肪酸の消費量の変化を評価、監視する。Create:政策立案者、生産者、供給者、国民にトランス脂肪酸が健康に及ぼす悪影響に関する認識を促す。Enforce:政策と規制のコンプライアンスを強化する。これは一時の単なる流行ではない。科学的検証に基づいた世界的な健康維持運動なのだ。世界的な見識と言える。結果として間違いなく、農水省は時代を逆行していると言える。猛省を望みたい。
米国のテレビ番組の刑事ものをD-lifeでよく観る。「キャッスル/ミステリー作家のNY事件簿」や「Major Crimes ~重大犯罪課」が面白い。この中で、しょっちゅう出て来るのが司法取引。犯罪に関わった者が事件捜査に協力すれば刑を軽くするという制度だ。早急な事件解決の重要なファクターになっている。外国やテレビの中だけの世界かと思っていたが、日本でも今月から「日本版司法取引」が導入され現実化してきた。司法取引には大きく分けて2種類ある。自分の罪を認める代わりに罪を免れたり刑罰を軽くしたりする「自己負罪型」と、他人の事件の捜査や公判に協力する見返りに不起訴や軽い求刑を約束させる「捜査公判協力型」。米国では両方を認めているが、日本の制度は後者のみ認めている。対象となるのは主に経済犯罪と暴力団などの組織犯罪。殺人や性犯罪は対象外だ。刑事裁判の証人に刑事責任を問う証拠にしないことを約束して証言させる「刑事免責制度」も始まった。適用第1号は覚醒剤密輸の裁判員裁判。覚醒剤の入手ルートなど事件の全容解明のため適用したという。いよいよテレビの世界なのか現実なのかが分からない時代になってきた。
パソコン画面に突如「あと10分でUpdateが始まります」との表示が現れた。取りあえず、パソコン作業をしていたので、4時間後に変更して作業を終えた。パソコンを切るため「更新して再起動」をクリックしたら、長時間にわたるUpdateが始まった。ところが、何時間経ってもパソコンが再起動しない。仕方なく、電源ボタンを長押しし終了させた。その後、再び電源を入れるとPIN番号を入力し「ようこそ」という画面になってからフリーズしてしまった。普段からパソコンはトラブルが多い。突然フリーズしてしまったり、上手く繋がらないことがある。でも、デスクトップ画面が表示されていれば、何とか修復は出来るものだ。しかし、今回のトラブルは手の付けようが無い。デスクトップの表示まで辿り着けないのだ。そこで先代のパソコンを引っ張りだし、パソコンメーカーの富士通にメールでアドバイスを求めた。でも今のところ埒が明かない。とことん困っている。因みに、更新内容はWindows 10 Version 1803。調べてみると、従来の更新方法とは違うようだ。どうやらWindowsの進化に対しパソコンメーカーの対応が遅れているようだ。大きなバージョン変更の時は、このようなトラブルが生じることが多い。Microsoftとパソコンメーカーとの連携は、もっと上手く出来ないのかと嘆いている。
袴田事件の再審を認めた静岡地裁の判断が、東京高裁により棄却された。東京高裁は本人のものではないとするDNA鑑定結果と本人が着ることの出来ない小サイズの遺留着衣を根拠が乏しいと退け犯人と断定した一方で、本人の拘留は否定した。奇妙な判断だと思う。自分は神様ではないから、犯人なのか犯人ではないのかは分からない。でも、東京高裁の考え方には偏りが有り過ぎていることは分かる。冤罪の臭いが強い検察側に寄り過ぎている。再審請求は阻止しろという司法の天の声に従順過ぎるようにもみえる。確かにこの事件でのDNA鑑定法は特殊だ。味噌樽に浸かっていた着衣から特殊な試薬を使ってDNAを取り出した。これは確立した鑑定方法ではないから信用出来ないと言う。その論法だと、DNA鑑定法がいくら改良されても、証拠判定には使われないことになる。現在のDNA鑑定で、同じ型の別人が現れる確率は4兆7000億人に1人とされている。極言すると、東京高裁のこの裁判官は、別の裁判で最新のDNA鑑定により犯人と同定された場合でも、4兆7000億人に1人の別人の可能性があると言い出すかもしれない。弁護団は最高裁に特別抗告する方針とのこと。最高裁は適切かつ的確な判決を下すことが出来るのだろうか。
エンゼルスの大谷投手が右肘の内側側副靱帯を損傷し故障者リストDL入りしたとのこと。損傷は中程度。PRP注射治療を受け3週間後に再検査をする。最悪の場合靱帯再建手術が必要となり、復帰には1年以上を要することになる。残念ながら、オールスター戦への出場は絶望的で、ベーブ・ルース以来100年ぶりの「2桁勝利、2桁本塁打」の偉業達成も厳しくなった。でも幸いだったのは損傷が中程度で済んだことだ。マルドナド捕手が大谷投手の異変に気付き、監督にSOSを送り降板させた。マルドナド捕手のSOSが無ければ、完全断裂に至っていたかもしれない。不幸中の幸い。良き女房役と出会った。大谷が家族的雰囲気のあるエンゼルスを選んだのは大正解だったと言えるだろう。大谷以外も日本人投手の怪我人は多い。ダルビッシュは右上腕三頭筋の腱炎で、田中は両太もも裏の軽い張りで、前田は右股関節の張りのため、揃ってDL入り。こうもDL入りが続くと、日本の高校野球の投球制限を早急に厳しくすべきと思うのだが。
G7首脳会議はうまく纏まるはずが無いと思っていた。結果は案の定。問題が山積みのなか、議論の焦点は米国の保護主義。難産の末にまとめた首脳宣言を、途中退場したトランプが後からツイッターで承認しないとちゃぶ台返し。鉄鋼や自動車の輸入制限は、世界経済だけでなく米国経済にもマイナスになることは、世界中の誰しもが認識している。でも、我を通すトランプの言動は予め予想は出来た。ドラえもんに出てくるジャイアンだと思えば、ある程度納得がいく。常識が通用しない国だと熟々思う。しかし、G7で全く納得のいかないこともあった。何と日本は「プラスチックごみによる海洋汚染の問題の具体的な対策を各国に促す合意文書に署名しなかった」のだ。年間800万トンにもおよぶプラスチックごみが海に捨てられていて、漁業活動や生態系にも大きな影響を及ぼすことが懸念されていることは「プラスチックから紙へ」にも書いた通りだ。政府は「プラスチックごみを減らしていく趣旨には賛成しているが、国内法が整備されておらず、社会にどの程度影響を与えるか現段階でわからないので署名ができなかった」と弁明している。本来ならば、国内法が整備されていない遅れを認識し、その影響も分からないことを恥と思うのが常識のある国の考え方だと思う。日本の恥を引き連れて安倍が帰国する。さて、国民は如何に反応するのだろうか。
昨年3月に改正道路交通法が施行され、施行後1年間の認知機能検査の結果が公表された。75歳以上の免許更新時に行われ、記憶力や判断力がチェックされる。第1分類:認知症の恐れ、第2分類:認知機能低下の恐れ、第3分類:問題なし、のいずれかに判定される。認知機能検査を受けた人は210万人。第1分類:認知症の恐れと第2分類:認知機能低下の恐れが61万人もいた。第1分類:認知症の恐れの人は全員、医師の診察を受けることになった。結局認知症と診断されて免許取り消し・停止になった人は1892人だった。少なくとも2千件弱の事故や事故死を防ぐ効果はあっただろう。また、免許を自主返納した人や更新せずに失効させた人が計2万人以上いたとのこと。自分は今72歳なので、もうすぐ認知機能検査の対象になる。いやなテストだと思うが、年を取れば通らざるを得ない関門だとも思う。もし、認知症の恐れとか認知機能低下の恐れに判定された場合、自分はどのような対処をするだろうか。実際にその状況にならないと分からないが、多分自分は免許を即返納すると思う。怪我を避ける我が身の可愛さよりも、他人を傷つける罪悪感が勝っているように思う。
昨日の続き、片山問題の是非。極めて詰まらない問題だが、何故このような問題が世間を騒がすのだろうかと考えてみた。まずは昨日のブログで経緯を読んでほしい。片山選手に落ち度はあるのか?少しある。ゴルフ協会の対応は正しいのか?少し正しい。アマの対応に理解出来るのか?全く理解出来ない。と自分は思う。最近ゴルフのテレビ中継を見ていて面白いと思う人がいるだろうか?残念ながらいるはずが無い。スポーツの真髄は、生き物のように次の瞬間は生きているかいないのかが分からないというところにある。だが、最近の(以前からも)ゴルフ中継は、勝負が付いた後に編集されて放映されるのが常だ。結果を知っていて、観るスポーツほど詰まらないものは無い。何故このようになるのだろうか。答えは簡単だ。スポンサーのエゴ。CMの効果を最大限にするために、結果を伏せる。ところが、結果はネットですぐ分かる。それを観ている一視聴者である自分は、そのスポンサーに厭らしささえを覚える。宣伝効果としては本末転倒だ。更に、このアマのことを思う。この輩はゴルフを振興する直接のスポンサー自身ではないだろうし、単に会社の金でスポンサーという肩書きを得て、振る舞っているだけだろう。こんな輩がこのような行為に出るのは、学校で言えばモンスターペアレントそのもの。青木も石川もモンスターペアレントに対処しているだけ。日本のプロゴルフ協会は、隆盛を願うには、基本的にやるべきことがもっと違う事があるだろうと思うのだが。
日本ゴルフツアー選手権のプロアマ戦で、片山晋呉選手の同組アマへの対応が物議を醸している。真相は分からないが、報道によると以下の通り。1番ホールのグリーン上で片山はアマのラインを読んであげなかった。ホールアウトした後、アマ3人は次のホールに進んだが、片山は1番ホールに残りパットの練習をしていた。アマが促し片山は2番ホールに来たが、ポケットに手を入れたまま「まだ先が詰まっているじゃないですか」と言った。するとアマの1人が大声で「帰る」と怒鳴りだした。クラブハウスに戻ったアマは「青木会長を呼べ」と騒ぎ出した。すると青木会長は咄嗟に判断し、事態を公にして謝罪した。その後片山と石川選手会長が揃ってアマに謝罪した。報道記事を読み解くとザッとこんな感じだ。プロアマ戦に招待されるアマはスポンサーか関係者に限られている。出場するプロ選手には、アマへのホスピタリティが義務付けられている。これらを総合して考えても今回の騒動は極めて奇妙な感じがする。片山は少し非礼的なところがあったが、青木会長を呼び付けるほどの非礼さとは思えない。青木会長も石川選手会長も対応が極めて丁重過ぎる。それに較べこのアマは余りにも威張り過ぎている。そこで思う。日本男子プロゴルフ界はスポンサーに対し余りにも遜り(へりくだり)過ぎている。一方スポンサー側は余りにも傲慢過ぎると。パッとしない男子プロゴルフ界がスポンサーに遜る訳は分からなくはないが、単に謝罪で終わる問題では無いと思う。明日もこの続きに言及してみようと思う。
政府が海に浮遊するマイクロビーズによる汚染対策に乗り出すという。マイクロプラスチックによる海の汚染が国際的な問題となっており、生態系や人体への悪影響の懸念に対応するためだ。マイクロプラスチックのうち超微小なものがマイクロビーズ。マイクロビーズは汚れを落とす効果があるため洗顔料や歯磨き粉などに使われている。だが、マイクロビーズは排水処理施設で取り除くことが出来ない。大部分が海へ流れ込んでいる。プランクトンや魚が誤飲し食物連鎖に影響したり、有害物質が人体にも取り込まれる恐れもある。マイクロビーズを使用していた化粧品業界は、殆どが問題を察知し自主的に製品化を取りやめたようだ。立法化が後追いとなり、後手を踏んでいる。5mm以下のプラスチックをマイクロプラスチックという。量はマイクロビーズに較べ圧倒的に多い。生態系への影響はマイクロビーズと同じだが、対策は殆ど取られていないないのが現状だ。EUではプラスチック製の食器類やストロー、綿棒などの使い捨て製品が禁止され、木や紙に替えるよう法律が整備されつつある。木や紙に替わって現れたのがプラスチックだが、今やプラスチックを木や紙に戻す時代になっている。ところが、日本ではプラスチックの使用を制限するどころか、反対に製紙工場の生産能力の縮小が進んでいる。デジタル化、ペーパーレス化の進展で紙の需要減少が止まらないためだが、今後姿を変えて再び需要が増すのは間違いない。政府は早急に国策として、プラスチックから木、紙に転換する方針と政策を示すべきだが。実態の無いお題目政策ばかりの政府に、実効性のある政策立案は可能なのだろうか。
理化学研究所と医療ベンチャー会社が、大量に毛髪を増やす技術を開発したと発表した。頭皮から採った髪の毛のもとになる細胞を培養し、毛を作り出す毛包を大量に作り、その毛包を移植するという技術だ。今まで毛のある頭皮を毛の無い頭皮に移植する技術はあったが、毛の数は増えないので、はぎ取った部分は毛が無くなってしまうので実用的ではなかった。培養して毛包という器官を大量に作り出すのが、この技術のポイントだ。毛が生える仕組みはこうだ。毛包の中には、毛乳頭細胞と毛母細胞がある。毛乳頭細胞が指令を出し毛母細胞の分裂を促す。毛母細胞はケラチンというたんぱく質を蓄積しながら次々と死んでいき、上に押し出されて髪の毛になるという具合。因みに、世にある毛生え薬は毛母細胞を刺激して発毛を促すものが多いようだ。今回の技術開発の成果として、背中に毛が生えたラットが放映されていた。如何にも確実に毛が生えると思わせる効果抜群なアピール方法だと感じた。国内には、脱毛症に悩む人が1800万人以上いるという。この技術が実用化されれば、ハゲに希望のヒカリを与えることになるかもしれない。
10日投開票の新潟知事選で自公候補が苦戦している。自公支持の花角英世と野党推薦の池田千賀子が横一線で競り合っていた。新潟知事が自公になるか野党になるかで政治情勢は大きく変わってくる。自公が勝てば、柏崎原発の再稼働の可能性は極めて強まるし、安倍3選の道筋も見えてくる。だから、たかが地方選の一つなどとは思ってはいけない。ところが、花角候補の応援に駆け付けた地元の商工会長が「新潟県に女性の知事はいらないんです」と発言した。これに女性が大反発。大きく野党へと傾きつつあるとのこと。この女性蔑視発言が決定打になるかもしれない。結局地元の名士で票を稼ごうとしたが、反対に票を減らす効果しかなかったようだ。よくある話だ。昨年の都議選では、安倍首相の応援演説中に帰れコールが起こり、安倍は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」とやり返した。これが自民の命取りになった。新潟知事選は天王山だ。安倍は本来選挙応援に行くべきだと思う。でも、行けない訳がある。理由は都議選の二の舞いになるだけではない。花角英世は元大阪航空局局長だ。森友学園のゴミ問題に関わっていた。安倍が応援に行けば森友問題が再燃するに決まっている。行きたくても行けないのが安倍の本音だろう。自業自得の典型例と言えそうだ。
井筒八ッ橋が聖護院八ッ橋を提訴したとのニュース。聖護院の1689年創業との宣伝は根拠が無く不正競争防止法に違反すると、井筒が創業年が入った広告の差し止めと600万円の賠償を求める訴訟を起こした。事の発端は、最近聖護院が外国人観光客向けに創業年入りの英語の広告を前面に打ち出したこと。井筒の94歳のオーナーの気に触れたようだ。八ッ橋の売上げは京都観光土産の約半分を占めるメインの商品。八ッ橋組合には14社が加盟している。売上げは、聖護院が23億円で井筒が29億円と競っている。オリジナルはどこか分からないが、各老舗は元祖、本家、総本店、本舗、本館と名乗っている。聖護院八ッ橋も井筒八ッ橋も食べたことはあるが、味の違いは分からない。ましてや創業年を気にして購入したこともない。井筒のオーナーは何故訴訟に踏み切ったのだろう。売上げが追い上げられている焦りかもしれない。八ッ橋メーカーは先祖から仲が悪いのかもしれない。井筒の役員が老齢のオーナーの頑固さを制することが出来ないだけかもしれない。オーナーは老齢により正気が無いのかもしれない。でも、ひょっとすると、両者が結託した八ッ橋の宣伝のためのパフォーマンスなのかもしれない。いずれにしても、たわいの無いコップの中の嵐と言えそうだ。
鉄道の直通運転が増加している。東京駅が始発だった東海道線は、今や宇都宮線・高崎線・常磐線とも接続し、熱海から宇都宮まで繋がっている。確かに東京上野ラインが出来て、例えば松戸から八つ橋の藤沢に通勤する人にとっては、上野と東京の乗り換えが無くなるから相当便利になったはずだ。私鉄も地下鉄もJRも相互乗り入れを推進している。一見便利に見える。だが、一度一カ所でも支障が生じると、全面的な運行障害をきたすことになる。極めて脆い基盤の上に作られている。謂わば現代版砂上の楼閣とでも言えそうだ。一方で始発電車が無くなり、困る人もいる。必ず着席したいと願う人は多い。着席を望むには個人個人にそれなりの訳がある。直通化はそういう諸事情を全て切り捨てている。謂わば弱者切り捨ての論理の上に構築されている。直通化は弱者に優しくないシステムになっている。いま東海道線の東京駅始発は早朝と深夜にしか無い。せめて昼間でも1時間に2本程度の始発を入れれば、弱者にも優しいシステムに変身するのだが。
書斎からの視野が急に拓け明るくなった。物理的に然程明るくなった訳ではないが、気分的に明るくなった。数年前には古びた家屋が目の前にあったが、取り壊されて駐車場に変わった。そして昨日はその隣家が取り壊されたて空き地になった。自分にとって明るく感じるだけでなく、支障が無い自由さを感じるようになった。障害物が無くなると、今まで隠れていたものも見えてくるものだ。そうか、我が家からは、今まで見えていたはずなのかとの一種の感慨が湧いてくる。こう感じると空想は止めなく広がっていく。たった2軒の取り壊しで風景が変わり心象も変わっていく。以前から自分の書斎から眺める風景はダサいと感じていた。蜘蛛の巣のように電線が覆い、隣家も迫っていた。一言で言うと「圧迫されている」という感じ。それが解き離れるのだ。そこで、更にこう思う。何故電線は我らを地上に縛り付けようとしているのだろうかと。電線が消えれば、その束縛も解ける。誰しも自由な空へと羽ばたけるのだと。西欧の都会は電線の地中化がとっくの昔に進んでいるが、日本は遅れている。こんなところに解があったのかととも思う。小池都知事は数千億円をかけて日本橋の上の高速道路を地中化するという。間違いなく、間違っている。電線の地中化こそ文化を進める術なのだと思う。