猪瀬知事が開き直ったり謝罪したりと右往左往している。米国でのインタビューで「イスラム教国が共有するのはアラー(神)だけで、互いに喧嘩しており、階級がある」と、オリンピック立候補地のライバルであるイスタンブールを批判した。国際オリンピック委員会IOCは、他都市を批判したり比較したりすることを禁じているので、すかさず事実確認に乗り出した。猪瀬の第一声は「真意が伝わっていない。通訳が間違えた」と強気の一点張り。インタビューをしたニューヨーク・タイムズの記者が、発言の真意は伝わっていると証言したため「雑談でイスタンブールについて述べたことがクローズアップされたことは残念」と修正。五輪招致活動としては大きな問題に発展しそうになり「不適切な発言があり、お詫びしないといけない。訂正したい」と謝罪に至った。猪瀬は石原に似て、他人を小馬鹿にして見下すところがある。都知事選で430万票を獲得したのは自分の力だと勘違いし、俺が俺がと態度がデカい。起こり得るべきして起きた失言と言える。だがこの失言の代償は大きい。IOCとイスラムを敵に回してしまった。覆水は盆には返らない。2020年東京五輪は儚い夢と消えつつある。
福島原発事故に伴う放射性物質汚染土壌の中間貯蔵施設案が環境省から提示され、福島県の専門家会議が開かれた。環境省は楢葉、大熊、双葉3町の計9カ所を中間貯蔵施設の建設候補地に挙げ、平成27年1月の供用開始を目指しているとのこと。大方針では中間貯蔵施設から更に最終処分場に移すことになっている。だが中間貯蔵施設には地元が反対しており、最終処分場は候補地すら検討されていないのが現状だ。この専門家会議が指摘した最大の問題点は、中間貯蔵施設が設計上最終処分場に見えるということに尽きる。中間貯蔵施設から最終処分場に運ぶための掘削についての方法も説明もないからだ。環境省は指摘を受けてから、これから考えると言う。環境省が中間貯蔵施設という名の最終処分場を建設しようとしていることは見え見え。環境相は長くとも数年で替わる。取りあえず、という石原の無責任さが生んだ施設案と言える。中間貯蔵施設にしろ最終処分場にしろ、解決策を当てにならない国に任すべきではない。国民の一人ひとりが自分の問題として向き合ってこそ進む問題だ。その意識なくして解決の目処はない。自分の解決策は決めているが、他の人はどう考えているのだろうか。聴いてみたい。
今年のゴールデンウイークは、間に平日3日を挟むため前半と後半に分かれた。世間では海外組が減少し、近場の国内組が増加したらしい。我が家は国内組の前半組になった。シンガポールからマレーシアに転勤になった長男が帰国し全員集合の日となった。今日は長男と近くのショートコースでゴルフを楽しんだ。自分は上手くなったと思っているが、長男もなかなかの腕前。子供たちが子供の頃に一緒によく遊んだ記憶が蘇えってきた。親は何時まで経っても親で、子供は何時まで経っても子供だ。40歳を過ぎた長男と遊びながら、子供が転びはしないかと気遣う自分が可笑しかった。何故なら転びそうな者は、今ではすっかり自分に替わっているのだから。今日はこれから全員集合の夕食が始まる。そして前半戦が終える。後半は休養だ。そして連休明けには軽井沢テニス合宿が待っている。充実したゴールデンウイークが始まった。
今年はホームランがよく出る。野球は沢山点が入る試合の方が面白いので「飛ぶボール」は良いには良いのだが、昨年との変わり様が激しすぎる。2010年までは4社が供給していたボールをミズノ1社に絞った。表向きの理由はWBCとMLBの公認球に合わせるため。そして2011年から「統一球」という名の「飛ばないボール」になってプロ野球人気も下降線をたどってしまった。やがてWBCが始まり、統一球とWBC公認球が別物であることが判明し、統一球とは何だったのかが選手の内で話題になった。更に統一球はMLB公認球とも違う別物とのこと。更に更にその飛ばないボールの統一球が、突然今年は飛ぶようになった。一体統一球とは何だったのだろうか。本来はMLB公認球と同じ性能にすべきものだったはずだ。本道を踏み損ね、ミズノと結託した加藤コミッショナーの責任は重い。プロ野球を世界レベルに引き上げるべく仕事をするはずのコミッショナーが、反対に投手の足を引っ張る仕事をする。球のなせる業か、はたまた金のなせる業なのか。
核拡散防止条約再検討会議のための準備委員会で、核の不使用を謳った共同声明が発表されたが、日本政府はこの声明に賛同しなかったとのこと。日本は世界で唯一の被爆国で、原爆の悲惨さを十分経験している。その日本が核不使用に賛同しなかったことに違和感を覚えた。共同声明には「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類の共存のためになる」と謳われている。「いかなる状況下でも」という文言が曲者だ。事実上北朝鮮は核保有国になった。日本は米国の核の傘の下にいる。もし北が日本に核攻撃してくれば、米国の反撃を頼りにすることになる。核も選択肢の一つに違いない。「いかなる状況下でも」に日本が賛成しては自己矛盾となる。今回の政府の判断は妥当だと思う。そもそも、核を持たない国が核を使わないという声明に賛同すること自体が誤りだ。核を使わないと声明すべきは核保有国だけ。そして核を持たない国が声明すべきは将来にわたって核を持たないということだ。核拡散防止条約再検討会議は見当はずれも甚だしい。
登校児童の列にクレーン車が突っ込み小学生6人が死亡した事故の裁判で、被告本人と勤務先の会社と被告の母親が連帯して損害賠償金を払えとの判決が出た。事件の概要は下記の通り。28歳の被告が、てんかん患者であることを隠し就職して車を運転していた。事故当日薬を飲まずに出勤し仕事で運転中に発作により事故を起こした。母親は以前から子供がてんかん患者であることを隠し、当日薬を服用していないことも知っていた、というもの。果たして母親が連帯責任を負わなければならないのだろうか。てんかん患者であることを隠して運転免許を取得したことは、被告本人の罪だ。但しある条件を満たせばてんかん患者も取得出来るのが今の法律だ。てんかん患者が運転中に発作を起こすと極めて危険。極力運転は避けてほしい。だがいつも発作を起こす訳ではない。薬を飲まなければ必ず発作を起こすというものでもない。免許取得後、母親は子供がてんかん患者であることを一貫して隠し続けた。これが幇助と認定されたらしい。母親が子供の病気を隠し子供を庇うのは当たり前のことだ。母親は子供が必ず事故を起こすので積極的かつ強引に隠蔽工作をしたという訳ではない。隠すことは倫理的に間違ってはいるが、法律には触れていない。ましてや子供は28歳で、母親から見れば子供だが法律上は立派な大人だ。裁判官はマザコン育ちで母親の権力が絶大だったのだろうか、と疑いたくなる判決であった。
ブラック企業とは入社を勧められない労働搾取企業と定義出来る。選別型、使い捨て型、無秩序型の3パターンがある。選別型では、新入社員の半分がうつ病などで辞めていくユニクロが有名だ。使い捨て型では、過労自殺を引き起こしたワタミなどの外食産業。無秩序型では、労働の買手市場をいいことにパワハラやセクハラを放置する企業など。一方ブラック企業の定義には当てはまらないが、ブラックリストに載る心底腐った経営をするブラックな企業もある。例えば三菱自動車。1970年代から30年間もリコールに繋がる不具合を隠し続けたが、2000年にとうとうバレて社長が辞任。その後も懲りもせず「空飛ぶタイヤ事件」を起こし、大型トレーラーのタイヤ脱落事故で何人もの犠牲者を出した。この被害を大きくしたのもリコール隠しの為せる業だ。そのため、二度とリコール隠しがないようにと、情報を共有出来る新品質情報システムを導入した。ところが現在も軽自動車からエンジンオイルが漏れる不具合を過小評価し、国交省からはリコール隠しと疑われている。不具合を隠すことが企業風土になり、延々と40年以上も悪い伝統を守っている困った会社だ。リコール自動車とでも改名しないと、悪しき伝統からは抜け出せないような気がする。
四川省雅安市の地震被害は、死者約200人、被災者170万人以上とのこと。中国政府は発生直後に海外からの救援隊を断った。自力で十分対応出来ると言う。しかし被災者の生存率が下がる72時間が経過したが、ニュースには瓦礫の下を探す救援隊の姿は見られない。テントや衣類や食べ物も未だに行き渡っていないようだ。ただ目立つのは兵隊さんの数の多さと李首相一人の奮闘ぶりだけ。中国政府は何を考えているのだろうか。少なくとも第一に国民の命を助けるという考えはなさそうだ。まずはともかく政府の前向きな姿勢をアピールするのが一番らしい。それにしても一体誰に対するパフォーマンスなのだろうか。既に72時間が過ぎたので人命救助からインフラ復旧に軸足を移すらしい。いま世界中が中国の地震被害への対応に注目している。中国の国家としての評価は増々下がりそうな気配だ。
香川、吉田や宮市のいるイングランド・プレミアリーグで、来季の試合から審判のゴール判定を補助するホークアイを導入することが決まった。2010FIFAワールドカップでの誤審は酷かった。FIFA大会では使われ出したが世界各国のリーグ戦ではプレミアリーグが初めての導入とのこと。ホークアイとは、ウインブルドンテニスで審判の判定に不服な時に「チャレンジ」と異議を申し立てるとCGが出てきてIN/OUTを判定するアレだ。コートの周りに設置した10台のハイスピードカメラで撮影し、画像処理により瞬時にボールの接地点を表示したり統計をとったりすることが出来る。サッカーに使えば、ゴール判定だけではなく、選手の動線や動いた距離やボールの動きを数値化出来る。選手にとっても監督にとっても役に立つ道具になるに違いない。審判はミスジャッジをすると即分かってしまうので今まで以上に真剣にジャッジを下すようになるだろうし、観客もミスジャッジの後味の悪さを味わ合わずに済むことになる。願ったり叶ったりのホークアイ導入と言えそうだ。
茶道は型から入り、型で終わるような気がする。御持て成しの心に達するには数十年かかりそうだが、それまで生きてはいられまい。茶道の教科書には代表的な所作は書いてあるが、初心者が失敗し易いことは書かれてはいない。点前に入る前に水屋で棗の正面を確かめるために、棗を左右に大きく動かしたので中のお茶の山を崩してしまった。茶杓で掬ったあとも綺麗に山が残るのが理想らしい。山が大切だ。水指を運ぶ時に指がカエルにように開いていた。女形になった心境で指は開かない所作が望ましい。湯を茶碗に汲む時に左手が脚の付け根になく膝頭を5本の指で覆ってしまっていた。自信を持って背筋を伸ばし姿勢を正せば脚の付け根に来るのだが、これがオドオドしている初心者には難しい。客側の時茶碗の底銘を見るため高くかざして見てしまった。高価な茶碗を万が一にも割らぬよう膝に肘を当て屈み込むよう拝見することになっている。日常の所作とはかけ離れている。後片付けの時、茶碗を洗うのは食器洗いと同じと思い、茶筅を建水の中に置いてしまった。水屋には茶碗用、お手拭用、建水用の3種の専用の布巾がある。茶碗は上水道、建水は下水道の認識が必要であった。只唯一失敗しなかったのは、畳の縁を踏まないこと。これは子供の頃から躾けられていたのでなんとかクリヤー出来た。茶道の稽古が茶番に終わらぬよう努力は続けたい。茶道は日本人としての日常の基本的な所作なのだから。
テニス仲間のMさんから鳥の写真とBIRDERという雑誌のコピーを頂いた。このブログで自分が鳥に興味を持っていることを知ったらしい。柴田さんという人が雑誌に「鳥を見て人生が豊かになる5つの理由」を書いている。柴田さんは鳥を見つけることに最大の興味を持っているようだ。Mさんは写真を撮るのが好きで、どうやら鳥の美しさにトリつかれているようだ。自分は鳥が餌を食べる様子を見るのが好きだ。餌に近づく時の鳥の気持ちを察するのが好きだ。同じ鳥好きと言っても三者三様で楽しみ方が違う。しかし三者に共通している点もある。普段は余り気付かない自分の周りの自然の中に、注意深く目を遣ると、思いがけないファンタスティックな世界を見つけ出すことが出来るということだ。鳥についてカミサンとの会話も増えた。「鳥を見て人生が豊かになる」ことは間違いない。
茶道の点前を習い始めて4ヶ月が過ぎた。今年の初釜の数日前に薄茶点前を教えてもらったことからスタートした。一応見掛けだけは何とか熟せるようにはなってきた。3月には盆略点前も習った。そして今月は棚点前も習いだした。茶道はバリエーションが非常に多いが、取りあえず一通り基礎となる点前は身に付けたいと思っている。来月からは風炉になる。まだ初心者だから拝見の所望はないが、今回はその練習もした。茶杓について適当な名前を春の季語から選んで付けなさいと言われ、竹製の茶杓を見ながら咄嗟に「竹の秋でございます」と答えた。地域新聞に載っていた俳句絡みの小説を読んで俳句に興味を持ち歳時記を読んで偶々知っていたからだ。茶道は季節で変わるから俳句の世界とも通じている。また、点前の練習に入る前に花を生ける。これが結構難しいが面白い。まさにセンスが試される。自分では良しと思っても必ず先生が少し手を入れる。すると同じ花なのに見た目が全く違ってくる。先生のセンスに感心し、来月こそはと思う。茶道は御もてなしの心で華道と通じている。茶道は実に奥が深い。探検はこの先もまだまだ続きそうだ。
理化学研究所等の研究グループが、急性骨髄性白血病に効く化合物を見つけたと発表した。この病気は、骨髄の中を白血病細胞が占拠してしまうため正常な血液が作れなくなり、出血や貧血の症状や臓器組織の破壊による様々な症状を引き起こす。しかも現在の抗がん剤では、良くはなるが完治せず再発して死に至る確率の高い厄介な病気だ。研究チームは、白血病幹細胞に特に多く存在するたんぱく質に着目し、それと強く結びつく化合物をコンピューターで数万種類の中から探し出したとのこと。この研究の成果は、白血病幹細胞を含むすべての白血病細胞に効果があること、悪性度が高いとされる遺伝子異常を持ったタイプに有効であること、と言う。しかも単なるモデル実験ではなく、実際に再発している患者由来の検体を用いてマウスの生体内において白血病幹細胞をほぼ全てを死滅させる実績を作った。新たな白血病根治薬の実現はもう目前だ。また、この研究の成果はスパコンや世界最高の放射光を生み出すSPring-8があってのものとも言える。研究基盤技術が如何に重要なものかを教えてくれた研究でもある。
相次ぐ発煙事故で運航停止しているボーイング787が5月にも再開されそうだ。米連邦航空局(FAA)長官は、FAAの要求を満たせば4月中に電池の設計変更を承認すると言っている。ところが事故調査は難航し事故原因は未だに解明出来ていない。解明出来ていないが、ボーイングは改善案をFAAに提出し、試験飛行を行いデータをFAAに提出した。これをFAAが認めれば運行再開が認められるという。何か変だ。原因は電気回路か電池自体か電池の製造工程なのかも解っていない。何故電池の設計変更でクリヤー出来るのか、摩訶不思議。一方ボーイング737については、FAAは機体が制御不能になる恐れのある部品を緊急点検するよう命じた。FAAによるこの種の命令は極めて珍しい事らしい。かなりヤバい状況にあるのかもしれない。我が家は5月にボーイング737を使う旅行を計画している。いよいよ他人事ではなくなってきた。
科学技術振興機構の研究チームが画期的な電子顕微鏡の生体観察技術を開発した。電子顕微鏡は電子線を透過し易くさせるため高真空にする必要がある。殆んどの生体は真空環境では死んで水分が抜け体積が収縮し表面形状も変化してしまうので、生きた状態を観察することは不可能だった。研究チームはハチなどの幼虫が生きたまま観察出来ることに注目しそのメカニズムを突き止めた。ある種の化学物質に電子線を照射すると厚さ50~100ナノメートルのナノスーツが形成され、それが水分の蒸発を防ぎ真空下での生存を可能にするという。まるでミクロの世界の宇宙服だ。出来なかったものが、出来るようになると、今まで見えなかった世界が見えてくる。生きたままで生体の電子顕微鏡観察が可能になると、生物学、医学、バイオミメティックスなどの分野で、革新的な技術開発が進みそうだ。ナノスーツは科学発展のための重要な基盤技術に位置付けられることになると思う。日本の科学者畏るべし。
子供の頃、映画のポスターに描かれていた三国連太郎の顔が、自分の父にそっくりだと家族で話題になったことがある。自分は三国の映画を観たことはないが、三国が何かの話題に上ると時々父を思い出すことがある。その三国連太郎が亡くなった。息子の佐藤浩市は三国との親子関係は疎遠だったそうで、三国を父とは呼んだことが無いとのこと。何とも皮肉な話だ。三国は日頃から「戒名はいらない。散骨してほしい。誰にも知らせず密葬で」と話していたという。自分は「戒名は自分がつける。散骨してほしい。家族葬で細やかに。延命処置はするな」とカミサンに言っている。三国に良く似ている。自分は浩市以上に三国連太郎と近い関係にあるような気分になった。
マスターズゴルフが始まった。石川遼は何とかファイナルラウンドに進んだが、2日目のタイガー・ウッズの15番ホール(パー5)は圧巻だった。タイガーの第3打は直接ピンに当たり不運にもボールは小川に転がり落ちた。タイガーは1打罰を払い打ち直しを選択。その打ち直したボールはピン横50cmにピタリとついた。まさに神業と思った。プレイ後タイガーは距離を微調整するため2ヤード下がってドロップし打ち直したとコメントした。この行為にはペナルティが課せられる。だがペナルティを加えず申告したので、過少申告となり失格処分となるはずだ。ところがマスターズ委員会は無意識の過失であるハリントン・ルールを適用し2打罰を加えて試合を続行する措置をとった。今後この措置が問題視されることになるだろう。原因はタイガーがゴルフルールを良く理解していなかったことに尽きる。何故委員会は失格処分にしなかったのだろうか。タイガーだからか、或いはタイガーを見たい観客のためか、大会を盛り上げるためか、は分からない。今後ゴルフに限らず超有名選手に手心を加え不公平な処遇をすることをタイガー・ルールと言うようになるかも知れない、と思うのは自分だけだろうか。
昨秋初めて彦根市を訪れ、昔の面影が数多く残っていて落ち着いた町であることを知り甚く気に入った。そんなこともあり彦根市のニュースがふと目に留まった。「桜田門外の変の再来か」というニュース。彦根城は井伊直弼の居城で、桜田門外で直弼は薩摩藩の浪士に暗殺されたことは誰でも知っている。「再来か」とは、直弼の地元である彦根市の市長選に、直弼を暗殺した薩摩浪士の子孫が立候補したことに端を発する。その子孫に対し再選を目指す現職市長が「直弼の敵が市長になるのはおかしい」と厳しく批判したビラをばら撒いたため大騒ぎになった。ところが現市長は、市長を9期36年間務めた直弼のひ孫を破り市長になった人物で、薩摩浪士の子孫は直弼のひ孫とは家族付合いをしていた昵懇の仲。難癖を付けるとは、こういうことをいうのだろう。彦根市は観光客誘致や世界遺産登録などやるべき課題が多い。個人の出自などを争点にするようでは、成るものも成らない。彦根市民は賢明な選択をすることになるだろうと思う。
予てから一度はホキ美術館に行ってみたいと思っていた。今日は天気も穏やかで、新緑を堪能し春の息吹を感じるチャンスと思い千葉市の外れにあるホキ美術館を車で目指した。ホキ美術館は、ホギメディカルの創始者である保木将夫氏のコレクション展示のために建てられた日本初の写実絵画専門美術館。森本草介の作品を中心に写実の名品が揃っている。作品は写実絵画というだけあって実に細かいタッチで描かれている。画家は1年に数点しか描くことが出来ないほど時間をかけて1枚の絵と向き合い、こつこつと緻密に創り上げているという。絵を見ると納得する。感心したのは、モデルの髪の繊細さと森本画伯のモデルの滲み出る気品さ。作品を堪能した後には更に素晴らしい光景が待ち受けていた。美術館の隣にある千葉市昭和の森公園だ。この公園は日本の都市公園100選に選定されたでけではなく、国際クロスカントリー大会の会場としても有名だ。広い、綺麗の一言に尽きる。新緑が綺麗だった。狭い日本にいるとは思えず外国に行って時間が止まってしまったかのような感覚を覚えた。絵画と公園に満足し、その後菅原工芸硝子と九十九里浜を経由して帰路についた。菅原工芸硝子のショールームはセンスの良い作品で満ち溢れており、外房の海も何時とはなく静かに波が寄せていた。心の洗濯とはこういう事を言うのだなと心底思った一日であった。超満足。
サウジアラビアで、友人を刺して麻痺させた男の裁判で、賠償金の支払いが出来なければ麻痺させるという判決がなされたとのニュースがあった。まさにハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」が現代も生き続いていることに驚いた。ハムラビ法典が出来たのは、バビロニア時代だから今から3千年以上も前。中東は歴史の中に生きている。宗教対立が今も続いていることも分かるような気がする。「目には目を」は報復を肯定する思想と思っていたが、そうではないらしい。倍返しなどしてはならず同害が処罰の上限であると、エスカレートさせないために決めた規定とのこと。この法典はその他にも、男女平等や人権擁護、社会正義や弱者救済なども謳っており、歴史的に優れた法典であることを改めて知った。後日サウジアラビアは、このような判決はなかったと否定した。いくら優れた法典でも、同害処罰はよろしくない。少しホッとした。
最近、鳥にも興味を持っている。鳥といっても鳥インフルエンザではない。我が家に遊びに来る鳥のことだ。餌台を作った時に期待した鶯やメジロは来なかったが、毎日ヒヨドリが餌を食べにやって来る。始めは餌台の上に小皿を置き、そこに米とパン屑を置いたらパン屑だけが無くなっていた。次に小皿の上に半分に切ったミカンを置いてみたらヒヨドリが来た。しかしすぐにミカンを落としてしまうので小皿を外し楊枝を刺して固定してみた。だがそれでもミカンを落とすので餌台に釘を打ち込みミカンを刺すようにした。この釘方式は調子がいい。ヒヨドリはミカンを落とすことなく皮だけを残し上手に平らげる。もうすぐミカンの季節が終わる。リンゴやバナナを試してみたらこれも平らげる。とりあえず通年で餌の確保は出来そうだ。鳥を観察していると面白い。ヒヨドリはまず庭の上にある電線に留まる。周りの様子を見ながら松の木に降りてくる。また様子を見て梅の木に降りる。常に様子を見ながら梅の木の中で3回場所を替え餌台に近づいていく。最終確認をしたあとで、餌台に移る。しかしすぐには食べない。暫らく周りを見回してからやっと餌にありつくことになる。これらの行動が毎回繰り返されている。鳥は用心深い。慣れというものがなさそうだ。「慣れない」ことが、自然界の護身術なのかもしれないと思った。
サッチャー元首相が亡くなった。サッチャーさんと言われても、女性の英国首相で鉄の女と言われていたことくらいしか覚えていない。ところが亡くなってからの追悼文がやけに多く、それで偉大さを再認識した。規制緩和による金融ビックバンで英国を金融立国にしたこと、レーガンとゴルバチョフの仲を取り持ち米ソ冷戦を終結に導いたこと、財政赤字を克服し英国経済を立て直したこと等、数え上げたらキリがないほど数多くの偉大な仕事を残した。細かく見れば、公共事業の民営化、財政歳出の大幅削減、法人税の引き下げと付加価値税の引き上げ、金融の規制緩和、国民健康保険料の値上げと年金増額抑制等々を行ない英国病を克服した。これらは日本が今やるべき政策でもあるが、一向に進む気配はない。サッチャーさんが如何に偉大で、日本の政治家が如何に小粒かが良く分かる。いま日本人は日本病に罹り政治も経済もじり貧の一途を辿っている。サッチャー語録に「言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあれば、女に頼みなさい」というのがある。日本にも鉄の女が出現することを願いたい。
中国で鳥インフルエンザH7N9の感染が拡大している。中国国内の感染者は24人、うち死者は7人とのこと。鳥インフルエンザというとH5N1騒ぎを思い出す。鳥から人間には感染しにくいが豚などを介して変異し人間に感染し易くなる言われていた。一度感染し易くなると爆発的に広がるためパンデミックと恐れられている。数年前メキシコで豚由来の新型インフルエンザH1N1のパンデミックがあり約2万人が亡くなったことも記憶に新しい。そして3月には中国で病死した数千匹の豚が川に不法投棄されたという事件もあった。この豚とH7N9が結びついたと見る考えも強ち間違ってはいなそうだ。科学雑誌ネイチャーでも同様な推測をしているらしい。中国では大気汚染も酷く死者150万人とも言われている。中国は既に世界第2位の経済大国になったのだから、一歩進んで環境保全に舵を取る時期に来ている。その動きに全世界が注目し期待しているのだが。
今日の日経朝刊は、悲しいことに1面に保育所不足を取り上げている。働きたくても子供を預ける保育所がないから働けない。働けないなら今通っている上の子を退所させるという役所。何ともはや切ない話だ。日本は少子化においても世界のトップランナーだ。少子化を如何に解決するかが問われている。だが残念ながら答えはない。何故なら少子化担当大臣が全く動かないからだ。しかし答えは眼の前にもある。横浜市は、少し前までは待機児童の多さで有名だった。でも市の条例で保育の規制を緩和した結果、待機児童は激減しつつある。自分の長男一家は横浜に住んでいるお蔭で孫二人とも保育所に通っている。都内のママたちが可哀そうと言うほかはない。保育所や幼稚園の問題は、厚生省や文科省がかかわる問題ではなく、少子化相こそ真摯にかかわるべき重要マターといえる。国会の品位のないヤジだけで名を馳せた森まさこ少子化相には、ヤジる前に待機児童解消のため真面な大臣活動が必要だ。少子化担当とは何をすべき立場なのかが分からないのならば、即辞任したほうがよい。ミスキャスト、早く辞任を、または行動を。
ヤンキースのイチローが福岡を目指すというニュースがあった。今シーズン出だし不調のイチローがついに日本に復帰して、ソフトバンクに移籍するのかと思った。ところが大間違い。イチローは打率のことを言っていた。イチローの打率は13打席1安打で0.077。記録的な低打率だ。イチローは電話の市外局番を例えに言っていた。イチロー曰く「もう神戸(O78)よりも下がっちゃった、福岡(092)を目指して頑張るわ」。移籍話ではなく打率の目標値のことだった。大打者のイチローが、恰好を付けて3割などと言わないところが大打者の大打者たる所以だと思う。現状の窮地から一歩一歩到達可能な目標を設定しクリヤーしていこうという様子が良く窺える。足が地についているとは、こういうことを言うのだろうと感心した。早く東京(03)×10に来ることを願いたい。
石橋を叩きながら渡っていた白川と、石橋を叩き割った黒田のどちらが正しいのかは今は分からない。それはこれからの歴史が判断することになる。謂わば博打のようなものだ。結果は誰も分からないのだから、長か半かを賭けたに過ぎない。世の中にはそういう時もある。それはそれで良いと思う。しかし、この大転換ならでは許せないというものがある。黒田総裁の大胆金融緩和は日銀政策委員会の全員一致で可決されたという事実だ。全員一致とはどういう意味があるのだろう。総裁の黒田と副総裁の岩田と新任の中曽の意見はともあれ、それ以外のメンバー6名は白川時代に大胆緩和に反対してきた輩達だ。敢えて名を記して残そうと思う。神戸大学の宮尾、東電の森本、慶応大学の白井、三井住友ファイナンスの石田、モルガンスタンレー証券の佐藤そして野村証券の木内。これらの者はトップと世論に靡き寝返った。トップが赤と言えば赤と言い、白と言えば白と答えた人物なのだ。日銀の政策委員会とは何だったのだろうか。トップが方針を決める。その決めた方針の根拠を肯定するためにイエスマンの委員が存在する。そんな委員だったのだろう。昔はこういう人間を茶坊主と言った。もう茶坊主などいらない。黒田総裁が更なる日銀改革を実行することを望みたいと思う。
黒田日銀総裁が就任前に主張していた金融緩和をすることを日銀が決定した。しかも従来の小出し様子見の方法を取らずに、考え得る手法を最初から一斉投入する方法を採択した。従来の2倍の資金を市場に供給するという。市場に大胆緩和を印象づける狙いは当たり、市場は円安株高に反応した。まずは市場にデフレ克服期待を植えつけることに成功したといえるだろう。自ら退路を断ち自らの責任で大胆な決断をした勇気と信念を称えたい。デフレ克服の賽は投げられた。もう進むしかない。あとは政府の出番だ。この熱が冷めないうちに政府は矢継ぎ早に政策を打ち続ける必要がある。産業競争力会議での経済振興策を早期に具体化することと財政健全化の道筋を明確にすることだ。白川時代は動かぬ日銀に対して政府が主導力を持っていたが、黒田総裁の最初の1打で形勢は逆転した。いまボールは政府にある。どう投げ返すのか国中が関心を持って見守っている。ボールを投げ返さずに懐に隠してしまうことだけは避けてほしいと思うのだが。
大学生の就職活動の解禁時期の変更について、経済3団体の意見が分かれている。経済3団体とは、経団連、経済同友会、日本商工会議所。現在の解禁時期は3年生の12月だが、政府は4年生の4月に遅らすよう要請している。それに対し、経団連の米倉会長は「短期間に結婚相手を決めるようなものになるので遅らすのは反対」と言い、経済同友会の長谷川代表幹事は「大学側の要請が強いし、学生の質が低下する懸念もあるので4月まで遅らせるのが良い」と言い、日本商工会議所の岡村会頭は「個人的には4月だが、時期をコロコロ変えると学生も企業も混乱するので、難しい問題だ(どうしたら良いか分からない)」と言っている。岡村の回答は問題外なので、3年派の米倉と4年派の長谷川の対決となる。就活の解禁時期は、学生が時期を早めている訳ではない。企業側の都合で早められ学生はそれに従って行動せざるを得ない状況にある。学生の本分は勉学にあり就活ではない。勉学があってこそ、その結果として就活があるべきだ。従って答えは明白。就活は4年生になってから行うべきだ。更に言えば4年生の夏休みから解禁するのが理想的だ。企業の青田買いの自己中心的な努力が、学生の質低下に加担していることを、経団連はもっと自覚すべきだと思う。
最近エコ対策と称しレジのポリ袋の使用量を制限するスーパーが増えている。1袋につき2円徴収するとか、エコバックを持参すれば2円返金するとかスーパーにより色々の対応がある。サンフランシスコではポリ袋が禁止され紙袋やエコバックが使われている。ところがエコバックがバクテリアの温床になり食中毒が増え問題化しているとのこと。エコバックも使い方次第で悪者になるようだ。それでは果たしてポリ袋も本当に悪者なのだろうか。レジのポリ袋の使い捨ては無駄遣いだと言われている。だがポリエチは石油製品の副産物なのでスーパーのポリ袋を禁止しても直接エコには結び付かない。石油製品を作れば作るほどエチレンが生産されてしまうので、使い捨てがイコール無駄という訳ではない。ポリ袋はワンウエーなので清潔だ。買い物の役目を終えるとゴミ袋として再活用され焼却されることになる。最近の焼却炉は高性能な高温燃焼型になっており、生ゴミだけでは温度が上がらないから、わざわざ重油を加えて燃やしている。ポリエチは燃料として重油の替わりになるので、ゴミの中のポリエチが多いほど燃焼効率は良くなる。ポリエチは焼却炉でも役に立っているのだ。ポリ袋にエコ的な悪い点はない。ポリ袋の最大の欠点は、ゴミとして飛散して環境を汚すことだ。一人ひとりが飛散させないよう少し気を使えばポリ袋の欠点は無くせるはずだ。結局ポリ袋についての行政指導がトンチンカンなだけで、ポリエチは悪者ではない。人間に落ち度がある。
長嶋と松井がダブルで国民栄誉賞を受賞することになった。国民栄誉賞の授賞規定は「広く国民に敬愛され社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」となっており定義は極めて曖昧だ。そもそもこの賞は王貞治を称えるために創設されたもので、野球では王と衣笠が受賞している。長嶋も松井も受賞資格は十分にあるとは思う。しかし、国民的スターであった長嶋が何故今まで受賞していなかったが不思議だ。また野球をID化し近代野球を築いた野村が受賞していないのは何故なのだろう。単純に考えれば、時の首相の好みで決まる、ということなのかもしれない。それは良しとしてまずはお目出度い。長嶋が存命中に受賞したことは、大鵬が没後受賞したことの反省が現れており、一歩前進と言える。目出度し。目出度し。