明日から日本ではレバ刺しが、米加州ではフォアグラが禁止になるが、その理由に文化レベルの深さと浅さが象徴されている。レバ刺しもフォアグラも古くから食されてきた伝統のある食材だ。レバ刺し禁止の発端は昨年の焼肉酒家えびすのO157付きユッケによる食中毒死亡事件。それまではユッケによる食中毒死亡はほとんど発生していなかっただけに極めて特異的な事件だった。その後の調べで焼肉酒家えびすは異常なほどに食中毒を繰り返す極めて悪質な業者であることが判明している。厚労省が極めて短期間にレバ刺し禁止令を出したのは、一言でいえば勇み足。これは日本の食文化の一部を壊す愚挙に出たと言える。同じような状況であったのがダイオキシン。モルモットが特異的にダイオキシンに反応し死亡することから、異常に早く成立したのがダイオキシン法。しかしダイオキシンは人に対してはそれほど有害ではない。旧ウクライナのユシチェンコ大統領が身をもって証明している。事実今ではたき火をしても怒られない。要するにレバ刺しにしてもダイオキシンにしても、政府のオッチョコチョイのオタンコナスが何も分からずに作ってしまった法律だ。文化レベルは極めて浅いと言える。一方フォアグラの禁止には、賛成とも反対とも言い難い。米加州のフォアグラ禁止の理由は、ガチョウへの餌のやり方。ガチョウの口をあけロートを突っ込みエサを流し込む。可哀そうと思えば可哀そう。しかし食用と思えば食用。この悩むところに文化レベルの深さがあると思う。
小沢グループの離党をめぐり妥協点のあるはずがない小沢/輿石会談がズルズルと繰り返されている。消費増税法案撤回なければ離党という小沢元代表の要求を民主が飲むはずがない。会談の結論が「お互いに何かいい知恵があるかどうか考えてみよう」とは情けない。小沢側から見れば、衆院解散の主導権を握れる頭数が揃うまで少しでも時間稼ぎをしたいというのが本音だろう。しかし目出度く解散にたどり着いたとしても、選挙で大幅に頭数が減ることは目に見えている。小沢新党のほとんどは1年生議員で選挙に通る見込みは極めて小さい。また国民は小沢新党に期待していないという調査結果が既に出ている。つまり小沢にとって離党と解散総選挙は何のメリットもないのが現実だ。だが小沢には離党新党結成の道を歩んでほしいと思う。水と油が共存する政党が、整合性のある政策など策定出来るはずがない。小沢離党が実現すれば政策本位の政党間の争いに近づき、少しは政治を機能させることになるはずだ。小沢/輿石会談の月曜の結論に期待したい。
財政健全化団体となった泉佐野市の財政健全化の方法がユニークだ。国内の行政で初めて3月に市の命名権を売却することを、そして今度は犬税の導入を発表した。泉佐野市は平成6年の関西国際空港の開港に合わせ約2千億円をかけインフラ整備をしたものの、見込みが外れ大赤字となり財政健全化団体に落ち込んでしまった。そこで考えたのが市の命名権。スポーツ施設や公会堂ならばいざ知らず、市の命名権はやめた方が良い。キューピー市や東洋製罐市なんていただけない。契約期間が過ぎればまた元に戻すか他企業名になるし、市民も愛着が湧かないだろう。同市は環境美化推進条例で、ペットのふんの放置やたばこの吸い殻のポイ捨てを禁止。違反者には1000円の過料の徴収を定めているが、実際の徴収例はない。市長は「モラル、マナーの向上を市民に求めたい。啓発で効果がなければ導入したい」と言っている。啓発活動で改善されなければ2年後をめどに導入に踏み切るとのこと。マナーの悪い市民を躾けるには良い方法だ。使う必要のないモノに貴重な税金を使うのは愚の骨頂。この啓発活動がうまくいけば、不要な税金使用も減り市民のマナーも向上する。全国の市町村にとっても泉佐野市を手本に、課税という恐喝によるマナーの向上を検討することは一考の価値があると思う。
株主総会が最盛期を迎えているが今年の総会ほど問題の多い年はない。特に電機業界は甚だしい。パナソニックの中村元会長、ソニーのストリンガー会長、シャープの町田元会長らは莫大な赤字を作った張本人なのに、株主総会ではパナの大坪会長、ソニーの平井社長、シャープの片山会長らが釈明し責められた。敗因は単に中村、町田の無謀な設備投資、ストリンガーの技術軽視にある。パナとソニーは共同で有機ELテレビ技術開発に集中するとのことだが、単に新しいテレビを作っても収益源になるはずがない。再浮上を図るにはアップルを良く研究し更なる新しいビジネスモデルの構築が必須だ。シャープは鴻海と組んだのが致命的。骨の髄までシャブリ尽くされたあげくシャープというブランド名だけが残るのは目に見えている。最早シャープを救う道はない。結局天皇と呼ばれる裸の王様を天に頂く会社は盛者必衰の道を歩むことになるものだ。裸の王様を生ませない風土作りこそが再起のきっかけになるはずだ。
消費増税法案が衆院本会議において賛成363票、反対96票で可決された。民主党内からは、小沢グループを中心に57人が反対票を投じ、欠席や棄権が19人あった。自分は一体改革の中身が伴えば消費増税に賛成だった。しかし一体改革の中身を骨抜きにしてしまった政治には失望を感じる。そもそも野田が政治生命を懸けたという消費増税法案はマニフェストには記載されていない。本来であれば、野田は法案成立前に衆院を解散し国民に信を問うべきであった。それが本道だ。本道を踏み外した野田には今後骨抜きにした中身に骨を入れる責務がある。この責務に政治生命を懸けてこそ一人前の政治家といえることになる。一方党議拘束のかかった法案に反対した57人は党の処分がどうあれ自ら離党すべきだ。それがけじめというものだ。次回選挙で「民主党の造反議員」という立場での立候補はあり得ない。信用のない民主党代表に造反した信用の置けない民主党議員などに票を入れる者はいない。彼らには新しい党で新しいマニフェストで選挙に臨む道しか残っていない。果たして彼らはどこまで考えていたのであろうか。
万葉集に詠まれ「潮待ちの港」として知られている鞆の浦の埋立て架橋計画が、1983年の計画策定以来30年経過した今やっと計画が撤回され景勝が保全されることになった。鞆の浦には古い町並みが残り、都市景観100選、美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれたところ。江戸時代の港湾施設である常夜燈、雁木、波止場、焚場、船番所が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみで歴史的価値も高い。アニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台としても有名だ。埋立て架橋計画の発端は道が狭いこと。景勝を壊してでも交通の便を良くしようという県の計画に対し、コストはかかるがトンネルを作り景観を保全しようという案が対立していた。湯崎広島県知事は今までの県の計画を撤回し景観優先を決断した。良い決断だと思う。野放図に道路を作り続ける行政は良くないと思うが、歴史的景勝地を保全するため割高のトンネル道路にすることは充分価値がある。これを契機に鞆の浦が景勝地として栄えることを願いたい。
相当久し振りに日経の三面が真面な記事を載せている。「塩害で荒れた農地は沃野に変わる」という記事。東日本大震災の津波で東北地方の田畑は壊滅的な被害を受けた。津波によりナトリウムが2倍も増え、塩害のため作物の実りは絶望的なはずと言われていた。しかし今日の日経によると、海のミネラルが陸に留まりカリウム、マグネシウム豊富な沃野に変わりつつあるという。ナトリウム濃度は表土の混合で水はけを良くすることと梅雨の大雨で大幅に低下し、土壌の酸性化は無償の鉄鋼スラグで中和することにより防いだ。実際に青いイネが順調に育っているとのこと。農水省の塩害マニュアルでは「海底土砂を田畑の外へ除外する」だが、重労働でコスト高。しかしこの方法は「海底土砂を除外せず田畑の土と混ぜるだけ」で、効率的だけでなく沃野が得られ一石二鳥。これを発案し実証したのが東京農大の後藤教授。まさに地についた研究だ。東北地方の早期復旧を願う。
ユーロ危機に喘ぐギリシャの後に控えるスペインでは「日曜営業」の可否について揉めているらしい。スペインの現行法では基本的に日曜日は営業が禁じられているので、営業が認められればこれにより約4人に1人が失業している現状を改善し、約2万人の雇用に繋がると期待されているからだ。しかし少し変だ、「日曜営業がない」ことも「日曜営業に反対する」ことにも違和感を覚える。元々スペインには有名なシエスタがある。昼寝を貪りながら、かつ日曜営業もないのか、これで良いのかと思った。一方日本では「日曜営業」は当たり前だ。平日の繁華街は人もまばらで、やっていけるのかと心配になるほど。しかし土日は凄い、人で溢れている。だから日本から見ればスペインは惰眠を貪り過ぎている、と見るのが常識かもしれない。しかしスペインの朝は早く、それでシエスタを補いバランスをとっている。日曜営業しないのは家族との絆を大切にしているからだ。いまグローバル化という言葉が、世界を均質化させている。均質化は本当に良い事なのだろうか。均質化よりも各地各国の良き伝統を繋いでいくことの方が、人類に心の豊かさと幸せをもたらすのではないかと思う。従ってスペインについては日曜営業反対、シエスタ存続賛成。
三男に子供が生まれ、これで我が家は孫が5人になった。最近夫の子育てをイクメンと称して報道されることが多いが、我が家の子供たちも流行に乗ってか乗らずかは分からないがイクメンだ。長男は頭脳系教育に重点を置いている。0歳から始まり5歳になった今でも続いている。確かに効果はありそうで間違いなく賢そうに育っている。次男は運動系教育を推奨実行している。足が速いのでリレー選手に選ばれた。動作も俊敏で器用だ。下の男の子には球技のセンスの良さを感じる。さて今回の三男はどのような教育方針をとるのだろうか。三男は末っ子なので、いつも兄の後を追って育ってきた。しかしいつの間にか大人になって自分なりに相応な生活を築いている。子供の時のように兄の真似をしないことだけは確かだ。イクメンになることも間違いない。これから三男がどのような子育てをするのかを楽しみにしている。
日本で初めてのボクシング世界王座統一戦は見応えのある良い試合だった。世界ミニマム級WBC王者井岡一翔vs同級WBA王者八重樫東。内容は互角に近かったが勝負は3-0で井岡が制した。試合内容も良かったが、試合後の反応はもっと良かった。ボクシングの試合は負けた側が判定に不服を述べることがよくあるが、八重樫側は素直に敗北を認める潔さがあった。更に八重樫の大橋ジム会長は「負けたのは悔しいが、井岡にはボクシングの美しさが詰まっていた」と称賛さえした。一方勝った井岡は有頂天になるのかと思ったら豈図らんや、両タイトルを返上するという。次戦はライトフライ級で2階級制覇を目指すとのこと。この若者には日本初となる王座統一の王者でさえ「通過点」との位置付けらしい。爽やかさと聡明さを感じた。それにしても最近のスポーツ界のトップ選手に共通する爽やかさと聡明さは、一体どこから出てくるのだろうかと思う。精進に精進を重ねると邪念が払拭され残ったものが聡明さなのかなと、自分には全く分からないが勝手に推測している。日本の一途な若者畏るべし。
ムバラク前エジプト大統領とこのブログには、微かではあるが縁がある。このブログを始めたのは昨年の2月。その時の書き出しが「2011年2月12日テレビ放送のトップニュースはエジプトのムバラク大統領辞任であった。ついにイスラム社会の民主化が本格的に始まろうとしている。この歴史的転換点と同時期にブログを始めることになった。これから更に加速化する時代の流れの中で何を感じ、何を書くことになるのか、胸がワクワクしている」。そして今日のニュースによると「ムバラク前大統領が心停止」。チュニジアで端を発した「アラブの春」でムバラク政権は崩壊した。そして今エジプトでは、治安が悪化して観光客が激減し経済は疲弊している。初めての大統領選が行われイスラム主義ムスリム同胞団の大統領が生まれた。しかし国の実権はムバラク時代の軍評議会が握っている。これからムスリム同胞団と軍評議会との権力闘争がエスカレートすることになる。しかしそこには「アラブの春」を動かした国民は存在していない。そこにエジプトの悲しい現実がある。
政府が2012年版の科学技術白書を閣議決定したが、その内容はお粗末だ。白書では、東日本大震災と原発事故により最先端とされた科学技術の限界が露呈したと強調しているが、その指摘は正しくない。この大震災で科学技術的に問題があったのは地震学会の大地震予測と放射能除染技術程度だ。原発のメルトダウン、放射能汚染予測非公開、児童生徒らの被ばく線量の高め設定等は全て政治的判断ミスによるもので、決して科学技術の限界ではない。寧ろ科学技術は確立されていた。科学技術白書は、科学技術の限界と主張するよりも、科学技術を有効に活用出来なかったことを反省すべきだ。SPEEDIの非公開しかり、米国の放射能実測データの隠蔽しかり、被ばく線量20ミリシーベルト設定しかり。白書で「大災害に直面しこれまでの科学技術の在り方が厳しく問い直される事態になった」としているが「大災害に直面しこれまでの科学技術の正しい活用の仕方が厳しく問い直される事態になった」と訂正すべきだと思う。
ギリシャを発端として始まったユーロ危機は、アイルランド、ポルトガルそして今回のスペインと続いている。ギリシャは緊縮財政派が過半数を獲得し今回の危機は何とか乗り切りそうだが、不動産バブルの弾けたスペインは正念場を迎えているし、その後は大物のイタリアが控えている。今後スペインへの財政支援が決まってもユーロ危機は続くことになるはずだ。ギリシャ支援もスペイン支援も危機の解決策ではなく、その場凌ぎに過ぎないからだ。根本解決策は財政統合。各国の国家予算と国債発行をユーロが承認するシステムを導入しない限り解決はしない。将来このシステム導入時にユーロ加盟各国が篩にかけられ、導入国が新ユーロ合衆国を作ることになると思う。危機はまだまだ続く。
ムバラク政権の崩壊後、エジプトの歴史4000年初めてとなる大統領選が行われているが、「アラブの春」を呼び込んだ民衆が推す立候補者はなく、皮肉なことに選挙の盛り上がりはないとのこと。一方ギリシャでは今日が再選挙当日であるが、国民の8割はユーロ脱退を望んでいないとはいうものの、財政緊縮派対急進派は五分五分で未だにどちらに転ぶかわからない情勢とか。必ずしも国民の総意を反映する政治が良いとは言えないが、国民の総意を代表する立候補者がいない政治情勢ほど国民が困惑することはないだろう。だが待てよ。振り返って我が国の政治を見てみると、エジプトやギリシャと同じに「国民不在」状況だ。政治屋は狭い政治の世界の中だけで生きており国民のことなど眼中にない。エジプトもギリシャもそして日本も。今のような激動の時代にはイタリアのモンティ政権のように柵のない、政治屋ではない識者によるリーダーシップこそが求められているようだ。出でよ、識者。
生活保護受給がマスコミを賑わせている。民主党政権になってから急激に受給者が増え、年俸5000万円のお笑いタレントの親も受給していた事実が発覚したからだ。民法では親子は互いに扶養する義務があると謳っているが、民法をベースにした現行法では扶養しないことが法律違反ではない、という不可思議。お笑いの総本山である吉本興業は「芸人は所得が不安定なので今は高所得でも受給は問題ない」と訳の解らないことを言う。世の中狂っている。法律はどうあれ、日本では子が親の面倒をみるのが道理だ。儒教思想で永く培われた美徳を途絶えさせてはいけないと思う。民主のバラマキ政治が美徳をぶち壊し「プライドよりも金」に国民を誘導している結果かもしれない。民主は公約を殆んど撤廃したが、数少なく実行したバラマキ公約が日本の美徳を壊しつつある。嘆かわしいことだ。
幼児の脳死判定による臓器移植という問題が自分の頭の中を混乱させている。元来自分は物事の白黒をはっきりさせる性質ではあるが、いくら考えてもこの問題には答えが出てこない。20年近く前兄が肺ガンになり、まだモルヒネで朦朧とする前に、医者に検体か臓器移植提供かを申し出て、医者からガンの転移も考えられるので不可です、と断られたという話を思い出した。若いときは自分が死ぬとは思ってもいないから、臓器提供のことなど考えない。しかしそろそろ墓場が近づいてくると何か人の役に立ちたいと思い、臓器提供でも出来るかなと考えることはあるだろう。しかし墓場に近づきすぎた頃には臓器もくたびれて人の役には立ちそうもないことがやっと分かることになる。普通はそうだ。しかし、今回の日本で初めての幼児の臓器移植を提供した親御さんは、我が子の心臓は動いているのに脳死と判定されたことで、決断した。せめて我が子の一部でも生き続けている方がよいという思いで。凄い決断だ、究極の決断だと思う。この決断で命が助かる人がいるからだ。今の自分にはこのような決断は絶対出来ないことだけは分かる。脳死については、自分を脳死判定してもらうことはOKだが、他人のことは判断出来ない。臓器提供については、最早賞味期限切れになったしまたので判断不要となってしまった。若気の至りか、老人の過ちか。これからも幼児の脳死判定臓器移植の問題は自分の心の中で続くことになるはずだ。
日米欧は今年3月中国のレアアース輸出規制についてWTOに提訴し、WTOは問題視している。一方中国国内では「レアアースはヘロイン並みに儲かるがヘロインほどリスクはない。やらない方が損」ということで、官と民に裏社会も加わって採掘の一大狂騒曲が繰り広げられているらしい。レアアースの1元素であるジスプロシウムは2010年には500ドル/kg程度で推移していたが、2011年には4000ドル/kgまで高騰した。しかしあまりの高騰に日本では脱レアアース技術が進み輸入量が急減し、現在の価格は最高値に較べ約7割安くなったとのこと。「窮すれば通ず」の格言通り「必要は発明の母」を絵に描いたような展開だ。結局中国の出し惜しみ政策が、日本の技術を更に一歩引き上げることになった。そして中国にはアンフェアーな輸出規制の汚名と、レアアース採掘による環境汚染が残されることになった。第二の経済大国となった中国は、真の大国となるべく国の品位を上げる努力が必要だ。
取るに足らない小さな話だが、何となく引っかかった記事がある。日経の「白熱電球の販売自粛を」というニュース。LEDの価格は白熱電球よりは相当割高だが、白熱電球と較べ消費電力は6分の1。電力不足のおり省エネを目指すためLED浸透政策を推進することは十分理解出来る。しかし、だからと言って白熱電球の販売を規制することはいかがなものかと思う。白熱電球にはLEDでは得られない暖かさもあり食物を綺麗に彩り食欲をそそらせる効果もある。「白熱電球の販売自粛」は、枝野経産相と細野原子力行政担当相が考えたとのこと。本来枝野がやるべきことは、アメリカよりも一桁高い火力発電用燃料を安く仕入れる政策をうつことであり、細野は原発再稼働を可能にするため確固たる安全対策を作り上げることだ。決して「白熱電球の販売自粛」をすることではない。民主は「大きな政府作り」を目指しているが、これでは「大き過ぎる政府」になってしまう。判断は国民が行うもの。政府が「余計なお世話」をしてはならない。
サッカーW杯アジア最終予選の対オーストラリア戦は見応えのある良い試合だった。日本の速いパス回しとオーストラリアのファイティング・スピリットがぶつかり合い1-1で引き分けた。アウェーの重圧の中で怯むことなく戦うまでに成長した選手たちには拍手を送りたい。本田が主役、香川、川島、栗原が準主役で、内田が悪役の汚名を着せられた。内田の反則でPKを決められ同点に追いつかれた。しかしリプレーを見ても反則をしていない。今野や栗原のタックルの度に客席が騒いでPKをアピールしていたプレッシャーに主審が潰された結果と見るべきだろう。感心したのは、試合終了後ザッケローニ監督が内田のPKについてコメントしなかったことと、オジェック監督が「内田は反則していない」と言ったこと。試合内容も監督にも爽やかさを感じた。両チームとも切磋琢磨して世界のトップを目指してほしいものだ。
とんでもない実力のある新人ゴルファーが現れた、その名はキム・ヒョージュ。昨日のサントリー・レディースで国内最小ストローク61を記録し、72ホール競技での最小ストローク記録17アンダーに並びぶっちぎりで優勝した。フォームの完成度が極めて高いが、もっと驚いたのが年齢。16歳だ。勿論宮里藍の持つ国内女子ツアー最年少記録も更新した。韓国には、アン・ソンジュ、全美貞、李知姫、申ジエら実力者が多い。米国ツアーでも韓国勢が上位を席巻している。韓国は国を挙げて女子ゴルファーの育成をしている成果らしい。一方日本ではフィギュアスケートの層が厚い。17年前にフィギュアスケート強化部長に就任した城田憲子さんが新人発掘のため行った野辺山合宿は有名だ。日本スケート連盟と城田さんの取り組んだ選手強化が、今日の世界一線級の名選手を数々産み出してきた。日本の小中学校はもうそろそろ「出る杭を打つ」主義を卒業し、「出る杭を伸ばす」主義に変える必要がある。才能ある若者を発掘育成し大きく育てることは社会に活気を与えることになる。文科省も国策として各分野で若者の才能を伸ばす後押しをする時が来ている。
日本サッカーA代表は史上最強との評判通り、今まで勝ったことのないヨルダンに6-0で快勝し意気揚々だが、バレー男子は最終戦のイラン戦を待つことなく五輪代表を逃してしまった。サッカーは盛り上がるのに、バレーは盛り上がらない、その原因を考えてみた。50年近く前の東京オリンピックでは、バレー全盛でサッカーはマイナーだったのに、これが逆転している。サッカーはJリーグ創設以前から子供たちの下部組織育成に力を入れ骨太組織作りに成功し今の盤石な組織を築いている。そして監督は海外から、選手は海外へとグローバル化に成功した。一方、バレーは相変わらず国粋主義の井の中の蛙状態だ。海外に行く選手はいるが国内の反応は冷たい。外人監督を採用する気配は全くない。日本人の監督は、ヤクザ紛いのダークスーツで心も暗そうで溌剌とした選手の動きは望みようもない。更にテレビ中継でのチャラチャラしたジャニタレの応援は異常だ。聞くところによると、フジテレビが視聴率確保のためジャニタレで観客を繋ぎとめる戦略とか。ジャニタレが試合途中で帰ってしまうと観客も帰ってしまうので、試合中ジャニタレは終了後まで居る必要があり、そのためフジテレビは1億円も払っているとのこと。フジテレビが悪いとは言わないが、日本バレー協会は悪いと言える。松平元監督の怨念が消えるまでは日本のバレーが復活することはなさそうだ。成功体験が発展の足を引っ張る代表例のような気がしてならない。
1日に食塩8グラムと7000歩、これが厚生省の推奨する「健康寿命」のレジピだ。介護や寝たきりの制限を受けずに健康な生活を送ることが可能な期間を示す「健康寿命」を延ばす「第2次健康日本21」が厚生科学審議会の部会に提示された。厚労省は22年の健康寿命を、男性が70歳、女性が73歳と算出。健康寿命が平均寿命の伸び幅を上回るようにすることが目的だ。その目標の具体的達成手段の一つが書き出しの「1日に食塩8グラムと一日7000歩」。確かに正しいとは思うが、もっと良い方法がありそうだ。今朝の報道によると、老化の原因物質を日本の研究者たちが突き止めたらしい。免疫系のたんぱく質「C1q」。これを血中から取り除けば再生能力が衰えず寿命が延長するとのこと。しかしこのタンパク質は体内に侵入した細菌やウイルスを撃退する免疫を担う物質なので単純に取り除くだけでよいというものでもない。残念ながら今のところ長生きの特効薬などはありそうもない。ひたすら「1日に食塩8グラムと一日7000歩」を実行すること。これが最上の正しい健康の秘訣になりそうだ。
今日午後6時から野田首相が西川福井県知事に大飯原発3、4号機再稼働の必要性について説明することになったが、一体今更何を説明しようとしているのか意味不明だ。これは単なる儀式で、時の首相が福井県知事に直接説明したという事実作りで、首相も知事も阿吽の呼吸で事を進めようとしている魂胆は見え見えだ。原発再稼働の必要性はアホか極左でない限り国民は充分承知している。承知はしているが、安全は本当に問題はないのだろうか、と心配しているのが大多数の国民だ。政府はこれに答えていない。首相プラス、バカ、アホ、マヌケの4閣僚がOKを出しても安全とは言えない。確固たる安全対策の道筋さえ示されれば国民は再稼働に同意することは間違いない。しかし、野田にはこの国民感情が理解出来ない。消費税増税というど近眼のレンズに曇らされ真実が見えないのかもしれない。今日の結果は目に見えている。元々思慮が浅いのかもしれない。最近の言動は誠に残念。
民主党政権は2年前中国大使に丹羽伊藤忠元会長を任命したが、民間人起用には問題がありそうだ。商売ベースでは美味しい話が伊藤忠にだけ流れてしまうのではないかと危惧された。大使としては、尖閣諸島中国漁船衝突事件では中国から真夜中に呼び出され軽く扱われていた。日本政府の対中ODA打ち切り方針に対し、反対に増額を政府に要請。北京に新築した大使館の使用許可の見返りとして、中国が新潟に広大な土地を購入出来るよう口上書を提出。中国は既に契約済みで新潟に広大な治外法権の中国基地が出来ると問題になっている。更に東京都の尖閣諸島購入計画に対し、明確な反対表明をした。大事な外交の「が」の字も感じる事が出来ないばかりか、事なかれ主義で中国のお先棒を担いでいるだけにみえる。官僚を使いこなせない民主が生んだ失敗例だろう。今回の内閣改造では防衛相に民間の森本拓殖大大学院教授が任命された。一川、田中と続いた素人政治家よりは数段ましそうで問題もあるが期待はしたい。結局民主は官僚の使い方もダメ、政治家の実務もダメということか。
4月施行を目指していた原子力規制庁設置法案が未だに成立していないなかで、原子力安全・保安院が美浜原発2号機の40年超運転を認可する方針を決めたことは、今後の原子力行政を示唆する一件だ。電力不足目前という状況にありながら半年経過しても本格審議入り出来ない政治の無能さ。40年過ぎたら原則廃炉とする新制度が間に合わないから、現行法で40年超を認可する官僚の法律至上主義。決められない政治が続けば、安全は確保されず危機状態は保持されることになる。更にこの美浜原発の一件から原子力規制庁設置よりも重要な問題があることが分かる。何もしなければ原子力推進は続く。首相や原子力規制庁長官が「将来段階的に原子力をなくす」と言ってもなくならない。細野が「40年過ぎたら原則廃炉にする」と言っても、例外規定があるので40年超は継続される。原子力推進に歯止めはないから続くことになる。原子力推進の原動力は「原子力基本法」だ。原子力基本法の目的は、原子力の研究開発、利用の促進。原子力基本法を改正または廃止することがこの原動力を止めることになる。
2月に手術した白内障の治療がやっと終了したのも束の間、今度は緑内障の治療が始まった。白内障は通常は分からないが瞳孔を開くと黒目が白目になっていることが良く分かる。緑内障の点眼薬で数日は白目が赤く充血するかもと言われたが、案の定赤目になった。黒、白、緑、赤と目まぐるしく変化し、これに黄疸にでもなって黄が加われば、まるで五色不動だ。調べてみると東京の五色不動とは、目黒の瀧泉寺、目白の金乗院、目赤の南谷寺、目青の教学院、目黄の永久寺と最勝寺の不動尊の総称。5色になっているのは五行思想の五色からと言われている。五行思想とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説で、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底にあるらしい。目の色一つで色々勉強してしまった。目の色変えて緊急に取り組まなければならないこともないので、これを機会に五色不動巡りをしてみようかと思う。
8年前から始まった「クールビズ」が、今年は「スーパークールビズ」に進化した。「クールビズ」とは、室温28度でもオフィスで快適に過ごすための工夫のこと。今年は節電を促すため、より軽装化を進めたのが「スーパークールビズ」。環境省は「環境省におけるクールビズの服装の可否」なるものを発表し、率先実施するらしい。内容は、今までのクールビズで禁止していたポロシャツ、アロハシャツ、スニーカーをOKとし、Tシャツ、サンダルも執務室に限りOKとしている。一言でいうと「悪乗りのし過ぎ」だ。人間は悲しいから泣くのか、泣くから悲しくなるのか。両方とも正しい。服装も同じだ。清楚な服装であれば気もシャンとし無能な職員でも人並みの仕事をするかもしれない期待が出来る。しかし、アロハシャツにサンダル履きでは有能な職員でも心はハワイに飛んで行き真面な仕事は望むべくもないだろう。環境省のやることは見苦しいし暑苦しい。是非とも今夏は清楚な服装で爽やかに仕事をしてほしいものだ。
連日20万人を超える観光客でにぎわう東京スカイツリーの地元では、3月にこのブログ「スカイツリーの地元」で予想した通り観光客のポイ捨てが問題になっている。観光客の空き缶や弁当ガラのポイ捨てが多く、かつツリーが巻き起こす強烈な風がごみを吹き散らかし、地元住民はゴミ掃除とゴミ仕分けの日々らしい。住民はゴミ箱を増やせと区に交渉し、区はゴミ箱が多くなるとゴミの量が増えると反対しているとのこと。ゴミ箱がないからゴミが出るのか、逆にゴミ箱があるから増えるのか。答えは単純だ。人が増えたのだからゴミ箱を増やすべし。そして開業前から地元を悩ます問題もある。地元商店街は駅とツリーの間にはなく、人の流れを考えると集客は望めない。これも現実的な問題になっている。更に地元はゴミと集客以上に深刻な問題を抱えることになるかもしれない。強力な電波による電子機器障害だ。スカイツリーの空中線電力はスピルオーバーを防ぐため東京タワーの10kwよりも低く7kwに抑えられてはいるが、問題の有無はこれからどうなるかだ。結局、地元には何の恩恵もない。それが東京スカイツリーだ。観光客は高みの見物を決め込む前に、足元の迷惑を念頭に置くべきだ。自分が楽しめば他人には迷惑、楽しむ人は心得るべし。
あの強気の橋下市長が「正直、負けたといえば負けた。そう思われても仕方がない」と言ったことには驚いた。「原発再稼働8条件」を政府に突き付け、関西広域連合の強硬論が勢いづき突っ走る空気になっていた。事実松井府知事は未だに再稼働反対の姿勢を崩していないが、その空気の中で橋下市長は大飯原発の限定付再稼働を容認した。事実背景は、大飯原発の安全性はほぼ確認されており問題はない、政府の再稼働決定過程に大きな問題があった、この夏関西は約20%の電力不足に陥るのは確実らしい、の3点だ。独立性のある再稼働決定機関が出来るまでは再稼働を認めないとするのは正論ではあるが、国民生活や経済も考慮し大飯原発を暫定的に稼働するとした方が大人の判断と言える。橋下市長が、大人の判断をしたのか、再稼働反対によるブラックアウトで支持率激減を恐れたためなのかは、知る由もない。しかし結果として橋下市長が再稼働を容認したことは、勇気ある決断であり立派な行動だと思う。今後安全が確認された原発は稼働させ、寿命が尽きたら順次廃炉にし、いつかは原発がなくなる時代が来ることを願いたい。
全仏オープンテニス男子Sで、フランスのマチューがアメリカのイスナーを6-7、6-4、6-4、3-6、18-16と何と76ゲームも戦った末破った。午後3時半から午後9時過ぎまでの5時間41分を戦い続けたとのこと。これだけでも驚きだが、もっと驚くことがある。イスナーと言えば、2010年のウィンブルドン1回戦でフランスのマウーとのゲームでグランドスラム最長記録を塗り替えた試合があまりにも有名だ。そのときの対戦は3日間にわたり試合時間は11時間5分、ファイナルセットのスコアは70-68。このときはイスナーが勝った。イスナーは身長2m以上、体重110kgの巨漢で、時速210km台の高速サーブが売り。普通高速サーブが売りの選手の試合は淡泊でラリーが続かず短時間で終わることが多い。長く粘るには精神力が必要だ。イスナーが並外れた体力を持っていることは想像に難くないが、体力以上に想像を絶する精神力を持っているだろうことに驚嘆した。世の中に想像を絶する力を発揮する人がいるという事実が、人類の更なる能力を導き出すことになるかもしれない。人類の進歩は止まらない。