カテゴリ:201610



31日 10月 2016
今日10月31日はハロウィンの日。日本は異文化を取り入れ同化させる天才だ。クリスマス、バレンタインに続きハロウィンも日本の子供と若者にすっかり定着してきた。ハロウィンと言えば、お化けカボチャ、魔女の帽子、ゾンビが定番だが、生憎その意味合いは全く知らない。そこで調べてみた。元々はケルト人の年末の行事とのこと。ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この日に夏が終わり明日から冬が始まる。年の終わりに死者の霊が家族を訪ねて来ると信じられていたが、同時に悪い精霊や魔女も出て来るため、身を守るために仮面を被り魔除けの焚き火を焚いていた。お化けカボチャは魔女たちを怖がらせる道具だったようだ。ケルト人の国はアイルランド。だから英語圏ではハロウィン祭りが盛んだが、その他の外国語圏では殆んど行われていないとのこと。日本は英会話が通じない英語圏と言えそうだ。そんな日本にもハロウィン的な行事がある。秋田の「なまはげ」だ。「なまはげ」は大晦日の行事。鬼や妖怪が、怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる。見た目は似ているが、意味合いは全く違うところが面白い。ハロウィンよりも「なまはげ」の方が、家族にとって有り難いものに思えるが流行らない。モロゾフなどの菓子メーカーの知恵が勝っているということかもしれない。
30日 10月 2016
日本郵船、商船三井、川崎汽船の海運大手3社がコンテナ船事業を統合すると発表した。だが3社合わせても世界6位でシェアは僅かの7%。国内では大手3社が主力の事業を統合するから歴史的転換点だと騒いでいるが、世界的な影響は殆んどなさそうだ。数か月前には韓国の海運最大手が経営破綻し話題になった。コンテナ船事業は設備過剰と需要不足の大波に洗われている。世界貿易量が減少している。製造業の地産地消が進んでいるし、お得意さんの新興国の経済が低迷中。しかも、保護主義の傾向が強まり各国で貿易制限措置が乱発されている。更に米国大統領選では両候補ともTPPには反対だ。当分は世界貿易量の増加は見込めない。果たして、その答えが大手3社の統合になるのだろうか。小手先では解決しない。正解は別の所にあるように思えるのだが。
29日 10月 2016
恒例の高校クラス会に行ってきた。毎年10月の最終土曜日に開催することになっている。会長と幹事は固定している。我が家のカミサンと自分は、開催案内と出欠確認と会計に徹している。全員今年度で70歳になる。昔に較べれば相当老けてはいるが、毎年会うので老いは感じない。でも、話題は毎年変遷していく。数年前は健康年齢とか年金の話が中心だった。ところが、今年は年老いた親の看護の苦労話とか自身のガン治療後の予後生活の話とか、切羽詰まる話題になってきた。勿論、元気な老人もいる。息子と組んでテニス大会で優勝したと自慢する人や、能を習いその声量をお披露目する人もいる。未だにタバコとの縁が切れずに電子タバコで紛らす人や、迷惑だからと我慢する人もいる。50数年前の当時のイメージと対比してみると面白い。健康そうに見えていた人が大病を患っていたり、さほどリーダーシップがあるとは思えなかった人が上場一部の会社の社長になっている。作家もいれば大学教授もいる。人生とは分からないものだ。だから面白い。昔を思い出しながら、まるでスポーツのLIVE中継を見ているような気持ちになった。
28日 10月 2016
国連の軍縮委員会が、核兵器を法的に禁止する条約の制定交渉を来年から開始する決議案を賛成多数で採択した。核兵器禁止条約を決議したのではなく、禁止条約を検討することを決議しただけだが。賛成は123ヶ国、反対は38ヶ国、棄権が16ヶ国。核保有国が反対票を投じたことは理解は出来る。特権そのものだから。でも、理解に苦しむ賛否が3件あった。核保有国の中国が棄権したこと。核開発に邁進する北朝鮮が反対票を入れたこと。そして、最大の不可解な投票は、唯一の被爆国である日本が反対票を投じたことだ。従来から日本は禁止条約に反対している。理由は、米国の核の傘に守られていると信じているからだろう。でも、会議ではそうは言わない。反対票を投じた大使は「核軍縮は核保有国と非保有国の総意の下で進めるべきだと主張してきたが、意思決定のあり方に反映されなかった」と訳の解らない反対理由を述べている。言い方を変えると「少数意見の禁止条約反対派の主張が通らないので、反対する」ということになる。更に言いかえると「民主的な多数決は間違っているので反対する」ということになる。さて、日本は核禁止そのものに賛成しているのだろうか、反対しているのだろうか。理解不能。
27日 10月 2016
幸神社を出て相国寺に向かった。宗旦稲荷で手を合わせ、相国寺内を拝観した。秀頼が再建したという大きな法堂の天井には八方睨みの鳴き龍が描かれている。真下で手を叩くと龍が鳴くと言う。自分の手打ちはそれ程ではなかったが、カミサンの手打ちの迫力に圧倒されたのか、龍の鳴き声が大きく響いた事に驚いた。方丈にはカラーで描かれた観音菩薩像が飾ってある。良く見ると絵柄は全て法華経の経文によって描かれた文字絵なのだ。昔の人の画才とセンスに感心した。今日は夏のように暑かった。Tシャツ姿ではあったが汗が噴き出してきた。少し日陰が欲しくて京都御苑の松林の中を歩くことにした。歩き始めると京都御所の清所門辺りに人だかりがある。近づくと申し込み不要で入場可能だという。チェックは軽い手荷物検査のみで入門証が渡された。ラッキーと思いながら、生まれて初めて御所を見学した。テレビでしか見たことのない紫宸殿が目の前にある。清涼殿も小御所も御池庭も間近で見ることが出来る。蹴鞠の庭では、昔の貴人たちの鞠を蹴る姿を想像してみた。貴重な体験だった。後で調べてみると、京都御所は今年の7月から一般公開されているとのこと。知らなかった。京都の路地裏巡りに京都御所見学というオマケが付いた楽しく貴重な京都の旅であった。
26日 10月 2016
京都は良く行く所だ。定番の観光地は避け、穴場巡りをすることにした。副題に「生粋の京都人が教えるひそかな愉しみ」と付いた「京都の路地裏:柏井壽:幻冬舎新書」が面白い。参考になる。ひっそりと佇む神社仏閣やそこでしか買えない名店や路地裏細道の美味しい店の幾つかを巡ることにした。寺は阿弥陀寺。門前に「織田信長公本廟」の石碑が建っている。織田信長とその子信忠の墓の横には、信長に殉じた蘭丸、力丸、坊丸や家来の墓が並び建っている。信長の遺体は見つかっていないが、如何にもこここそが真の御廟だと思わせる寺だ。その近くには幸神社(さいのかみのやしろ)がある。気付かず通り過ぎてしまうほど小さな社だ。出雲阿国が巫女をしていたという伝説があり歌舞伎の発祥とも関わっている。また京都御所の鬼門除けとして重要な役割を担っている。極めて簡素でひっそりとはしているが、奥深い歴史を持っている。そのギャップが歴史を肌で感じさせてくれる。その近くには、そこでしか買えない漬物の店野呂本店がある。名物の青てっぽうと幾つかの漬物を買った。帰宅後食するのが楽しみだ。和の文具店「裏具」を探した。地図を見てもなかなか見つからない。やっと小さな看板を見つけ、迷路のような細い軒下を進んでいく先にあった。センスの良い文具店で、まさに京都の裏路地を実感させてくれた。夕食は「燕」。京都駅八条東口近くの小路にある小さな和食店。出て来る料理の全てが絶品だった。京都に行く時は必ず寄るべき店になった。この本のお蔭で、京都巡りが増々面白くなってきた。
25日 10月 2016
昨年から宿の手配をしても都合が悪くなり行くことの出来なかった犬山行きが、3度目の正直でやっと実現した。犬山城は天守が国宝に指定された5城の一つ。現存する最古の城と言われている。城は小ぶりだが、修理や保全に相当手間がかかりそうな状況だ。10年ほど前に成瀬氏が個人保有を断念し財団法人化した理由が良く分かる。隣接地に名鉄犬山ホテルが所有する有楽苑がある。国宝茶室如庵で有名だ。有楽苑には3つの茶室がある。如庵は織田信長の実弟有楽斉により建仁寺に建造され、最終的には大磯の三井別邸から移設され現在の地に至っている。元庵は有楽斉が天満に構えた茶室を古い設計図をもとに復元したもの。茶を点てる亭主の後ろに床の間があり亭主床と呼ばれているようだ。躙り口もあるが、殿様用の大きな入口もある。いかにも殿様レベルの亭主と正客が使っていたことを彷彿とさせる構えになっていて興味深かった。現代の建築家が設計した弘庵で薄茶を戴いた。東京の有楽町とは、有楽斉が住んでいたことから名付けられたという。有楽町には勤めていた会社の本社があり5年間も通った場所だ。また如庵は、長年自分が住んでいた平塚の隣町である大磯から移築されたという。茶道も数年間にわたり義母から習って一通りの点前は出来る。何か有楽苑を訪れたのが必然のように思えてきた。
24日 10月 2016
先日もまた目の不自由な人が駅のホームから転落する事故があった。早急に安全柵を設ける必要があるが、設置スペースが取れないとか、車両によってドアの位置が違うとかの問題があり、なかなか安全対策が進まないのが現状だ。ところが、京急と三菱重工が「どこでもドア」を開発したとのこと。京急には、都営地下鉄、京成の車両もが乗り入れ、走っている車両の種類は15種類にもなる。「どこでもドア」は2ドア、3ドア、4ドアに対応出来るとのこと。その上、車両にホームドアと連動させる装置を設置する必要が無く、ホームドア側がドア位置を検知し開閉する仕組みになっているという優れもの。正式名称は「マルチドア対応ホームドア」というのだそうだが「どこでもドア」の呼称がなんとも素晴らしい。まるでドラえもんの世界にいるようだ。是非とも技術を早急に完成させ、全国の各駅に設置し安全を向上させてほしいものだと思う。
23日 10月 2016
原発再稼働反対の知事が2人誕生した。鹿児島県と新潟県。まさに民意は脱原発という見えないうねりが出ている。小泉元首相は安倍首相に対し「何故分からないのか」と詰め寄った。野党が脱原発を旗印にすれば、与党は選挙に負けると諭すが安倍は聴く耳を持たない。まさに日本の原発に対する構図が鮮明に描かれている。日本政府は原発再稼働にまっしぐらだけでなく、発送電分離の話も既に立ち消えになってしまった。今後もこのような綱引きが繰り返されていくのだろうか。ところが、お隣の台湾は違う。蔡英文政権が発足し、2025年に原発ゼロにすることを決めた。電源構成を再生エネルギーにシフトし、発送電分離も行う計画だという。日本より遥かに進んでいる。理由は日本の3.11。東日本大震災の悲惨さを見て、脱原発に世論が高まった。台湾は日本と同様に地震が多いのだから当然と言えば当然だ。だが、その当然が日本では当然にはならない。日本とは極めて不思議な国だと思う。台湾は、日本の大震災を「他山の石」としたが、いつになったら日本は「自山の石」と思えるようになるのだろうか。
22日 10月 2016
目出度く(?)ノーベル賞受賞が決まったボブ・ディランが、未だにウンともスンとも言わず雲隠れしている。選考委員会が連日連絡を試みたが梨の礫。とうとう選考委員会が痺れを切らした。委員会の一員がボブ・ディランをテレビ番組で「無礼で傲慢だ」と非難した。ボブ・ディランは、伝統や制度など既存の価値観にとらわれない生き方を追求する「ヒッピー文化」を先駆けた人物だ。歌詞がノーベル文学賞に値しようが、信条は反体制派。権威を重視するノーベル賞など、元々クソ喰らえと思っているに違いない。そう考えると、ボブ・ディランが無視続けている状況が良く分かる。もっと強く表現すれば「ノーベル賞辞退」だが、そうはせず無視しているのはボブ・ディランの思いやりかもしれない。選考委員会は、選考時にボブ・ディランの信条を理解していたはずだ。上から目線の権威でボブ・ディランの信条をねじ伏せられるとでも思っていたのだろうか。「無礼で傲慢だ」という言葉が、それを証明している。だが傲慢であるのはノーベル賞選考委員会の方と言える。「去る者は追わず」程度の許容さで、辞退者を許容していればノーベル賞の権威も維持出来たと思う。だが、辞退者を非難するのであれば既に権威は地に落ちたと見るべきだろう。ノーベル賞の価値を選考委員会自身が貶めているように思う。

さらに表示する