30日 4月 2013
猪瀬知事が開き直ったり謝罪したりと右往左往している。米国でのインタビューで「イスラム教国が共有するのはアラー(神)だけで、互いに喧嘩しており、階級がある」と、オリンピック立候補地のライバルであるイスタンブールを批判した。国際オリンピック委員会IOCは、他都市を批判したり比較したりすることを禁じているので、すかさず事実確認に乗り出した。猪瀬の第一声は「真意が伝わっていない。通訳が間違えた」と強気の一点張り。インタビューをしたニューヨーク・タイムズの記者が、発言の真意は伝わっていると証言したため「雑談でイスタンブールについて述べたことがクローズアップされたことは残念」と修正。五輪招致活動としては大きな問題に発展しそうになり「不適切な発言があり、お詫びしないといけない。訂正したい」と謝罪に至った。猪瀬は石原に似て、他人を小馬鹿にして見下すところがある。都知事選で430万票を獲得したのは自分の力だと勘違いし、俺が俺がと態度がデカい。起こり得るべきして起きた失言と言える。だがこの失言の代償は大きい。IOCとイスラムを敵に回してしまった。覆水は盆には返らない。2020年東京五輪は儚い夢と消えつつある。
29日 4月 2013
福島原発事故に伴う放射性物質汚染土壌の中間貯蔵施設案が環境省から提示され、福島県の専門家会議が開かれた。環境省は楢葉、大熊、双葉3町の計9カ所を中間貯蔵施設の建設候補地に挙げ、平成27年1月の供用開始を目指しているとのこと。大方針では中間貯蔵施設から更に最終処分場に移すことになっている。だが中間貯蔵施設には地元が反対しており、最終処分場は候補地すら検討されていないのが現状だ。この専門家会議が指摘した最大の問題点は、中間貯蔵施設が設計上最終処分場に見えるということに尽きる。中間貯蔵施設から最終処分場に運ぶための掘削についての方法も説明もないからだ。環境省は指摘を受けてから、これから考えると言う。環境省が中間貯蔵施設という名の最終処分場を建設しようとしていることは見え見え。環境相は長くとも数年で替わる。取りあえず、という石原の無責任さが生んだ施設案と言える。中間貯蔵施設にしろ最終処分場にしろ、解決策を当てにならない国に任すべきではない。国民の一人ひとりが自分の問題として向き合ってこそ進む問題だ。その意識なくして解決の目処はない。自分の解決策は決めているが、他の人はどう考えているのだろうか。聴いてみたい。
28日 4月 2013
今年のゴールデンウイークは、間に平日3日を挟むため前半と後半に分かれた。世間では海外組が減少し、近場の国内組が増加したらしい。我が家は国内組の前半組になった。シンガポールからマレーシアに転勤になった長男が帰国し全員集合の日となった。今日は長男と近くのショートコースでゴルフを楽しんだ。自分は上手くなったと思っているが、長男もなかなかの腕前。子供たちが子供の頃に一緒によく遊んだ記憶が蘇えってきた。親は何時まで経っても親で、子供は何時まで経っても子供だ。40歳を過ぎた長男と遊びながら、子供が転びはしないかと気遣う自分が可笑しかった。何故なら転びそうな者は、今ではすっかり自分に替わっているのだから。今日はこれから全員集合の夕食が始まる。そして前半戦が終える。後半は休養だ。そして連休明けには軽井沢テニス合宿が待っている。充実したゴールデンウイークが始まった。
27日 4月 2013
今年はホームランがよく出る。野球は沢山点が入る試合の方が面白いので「飛ぶボール」は良いには良いのだが、昨年との変わり様が激しすぎる。2010年までは4社が供給していたボールをミズノ1社に絞った。表向きの理由はWBCとMLBの公認球に合わせるため。そして2011年から「統一球」という名の「飛ばないボール」になってプロ野球人気も下降線をたどってしまった。やがてWBCが始まり、統一球とWBC公認球が別物であることが判明し、統一球とは何だったのかが選手の内で話題になった。更に統一球はMLB公認球とも違う別物とのこと。更に更にその飛ばないボールの統一球が、突然今年は飛ぶようになった。一体統一球とは何だったのだろうか。本来はMLB公認球と同じ性能にすべきものだったはずだ。本道を踏み損ね、ミズノと結託した加藤コミッショナーの責任は重い。プロ野球を世界レベルに引き上げるべく仕事をするはずのコミッショナーが、反対に投手の足を引っ張る仕事をする。球のなせる業か、はたまた金のなせる業なのか。
26日 4月 2013
核拡散防止条約再検討会議のための準備委員会で、核の不使用を謳った共同声明が発表されたが、日本政府はこの声明に賛同しなかったとのこと。日本は世界で唯一の被爆国で、原爆の悲惨さを十分経験している。その日本が核不使用に賛同しなかったことに違和感を覚えた。共同声明には「いかなる状況下でも核兵器が再び使用されないことが人類の共存のためになる」と謳われている。「いかなる状況下でも」という文言が曲者だ。事実上北朝鮮は核保有国になった。日本は米国の核の傘の下にいる。もし北が日本に核攻撃してくれば、米国の反撃を頼りにすることになる。核も選択肢の一つに違いない。「いかなる状況下でも」に日本が賛成しては自己矛盾となる。今回の政府の判断は妥当だと思う。そもそも、核を持たない国が核を使わないという声明に賛同すること自体が誤りだ。核を使わないと声明すべきは核保有国だけ。そして核を持たない国が声明すべきは将来にわたって核を持たないということだ。核拡散防止条約再検討会議は見当はずれも甚だしい。
25日 4月 2013
登校児童の列にクレーン車が突っ込み小学生6人が死亡した事故の裁判で、被告本人と勤務先の会社と被告の母親が連帯して損害賠償金を払えとの判決が出た。事件の概要は下記の通り。28歳の被告が、てんかん患者であることを隠し就職して車を運転していた。事故当日薬を飲まずに出勤し仕事で運転中に発作により事故を起こした。母親は以前から子供がてんかん患者であることを隠し、当日薬を服用していないことも知っていた、というもの。果たして母親が連帯責任を負わなければならないのだろうか。てんかん患者であることを隠して運転免許を取得したことは、被告本人の罪だ。但しある条件を満たせばてんかん患者も取得出来るのが今の法律だ。てんかん患者が運転中に発作を起こすと極めて危険。極力運転は避けてほしい。だがいつも発作を起こす訳ではない。薬を飲まなければ必ず発作を起こすというものでもない。免許取得後、母親は子供がてんかん患者であることを一貫して隠し続けた。これが幇助と認定されたらしい。母親が子供の病気を隠し子供を庇うのは当たり前のことだ。母親は子供が必ず事故を起こすので積極的かつ強引に隠蔽工作をしたという訳ではない。隠すことは倫理的に間違ってはいるが、法律には触れていない。ましてや子供は28歳で、母親から見れば子供だが法律上は立派な大人だ。裁判官はマザコン育ちで母親の権力が絶大だったのだろうか、と疑いたくなる判決であった。
24日 4月 2013
ブラック企業とは入社を勧められない労働搾取企業と定義出来る。選別型、使い捨て型、無秩序型の3パターンがある。選別型では、新入社員の半分がうつ病などで辞めていくユニクロが有名だ。使い捨て型では、過労自殺を引き起こしたワタミなどの外食産業。無秩序型では、労働の買手市場をいいことにパワハラやセクハラを放置する企業など。一方ブラック企業の定義には当てはまらないが、ブラックリストに載る心底腐った経営をするブラックな企業もある。例えば三菱自動車。1970年代から30年間もリコールに繋がる不具合を隠し続けたが、2000年にとうとうバレて社長が辞任。その後も懲りもせず「空飛ぶタイヤ事件」を起こし、大型トレーラーのタイヤ脱落事故で何人もの犠牲者を出した。この被害を大きくしたのもリコール隠しの為せる業だ。そのため、二度とリコール隠しがないようにと、情報を共有出来る新品質情報システムを導入した。ところが現在も軽自動車からエンジンオイルが漏れる不具合を過小評価し、国交省からはリコール隠しと疑われている。不具合を隠すことが企業風土になり、延々と40年以上も悪い伝統を守っている困った会社だ。リコール自動車とでも改名しないと、悪しき伝統からは抜け出せないような気がする。
23日 4月 2013
四川省雅安市の地震被害は、死者約200人、被災者170万人以上とのこと。中国政府は発生直後に海外からの救援隊を断った。自力で十分対応出来ると言う。しかし被災者の生存率が下がる72時間が経過したが、ニュースには瓦礫の下を探す救援隊の姿は見られない。テントや衣類や食べ物も未だに行き渡っていないようだ。ただ目立つのは兵隊さんの数の多さと李首相一人の奮闘ぶりだけ。中国政府は何を考えているのだろうか。少なくとも第一に国民の命を助けるという考えはなさそうだ。まずはともかく政府の前向きな姿勢をアピールするのが一番らしい。それにしても一体誰に対するパフォーマンスなのだろうか。既に72時間が過ぎたので人命救助からインフラ復旧に軸足を移すらしい。いま世界中が中国の地震被害への対応に注目している。中国の国家としての評価は増々下がりそうな気配だ。
22日 4月 2013
香川、吉田や宮市のいるイングランド・プレミアリーグで、来季の試合から審判のゴール判定を補助するホークアイを導入することが決まった。2010FIFAワールドカップでの誤審は酷かった。FIFA大会では使われ出したが世界各国のリーグ戦ではプレミアリーグが初めての導入とのこと。ホークアイとは、ウインブルドンテニスで審判の判定に不服な時に「チャレンジ」と異議を申し立てるとCGが出てきてIN/OUTを判定するアレだ。コートの周りに設置した10台のハイスピードカメラで撮影し、画像処理により瞬時にボールの接地点を表示したり統計をとったりすることが出来る。サッカーに使えば、ゴール判定だけではなく、選手の動線や動いた距離やボールの動きを数値化出来る。選手にとっても監督にとっても役に立つ道具になるに違いない。審判はミスジャッジをすると即分かってしまうので今まで以上に真剣にジャッジを下すようになるだろうし、観客もミスジャッジの後味の悪さを味わ合わずに済むことになる。願ったり叶ったりのホークアイ導入と言えそうだ。
21日 4月 2013
茶道は型から入り、型で終わるような気がする。御持て成しの心に達するには数十年かかりそうだが、それまで生きてはいられまい。茶道の教科書には代表的な所作は書いてあるが、初心者が失敗し易いことは書かれてはいない。点前に入る前に水屋で棗の正面を確かめるために、棗を左右に大きく動かしたので中のお茶の山を崩してしまった。茶杓で掬ったあとも綺麗に山が残るのが理想らしい。山が大切だ。水指を運ぶ時に指がカエルにように開いていた。女形になった心境で指は開かない所作が望ましい。湯を茶碗に汲む時に左手が脚の付け根になく膝頭を5本の指で覆ってしまっていた。自信を持って背筋を伸ばし姿勢を正せば脚の付け根に来るのだが、これがオドオドしている初心者には難しい。客側の時茶碗の底銘を見るため高くかざして見てしまった。高価な茶碗を万が一にも割らぬよう膝に肘を当て屈み込むよう拝見することになっている。日常の所作とはかけ離れている。後片付けの時、茶碗を洗うのは食器洗いと同じと思い、茶筅を建水の中に置いてしまった。水屋には茶碗用、お手拭用、建水用の3種の専用の布巾がある。茶碗は上水道、建水は下水道の認識が必要であった。只唯一失敗しなかったのは、畳の縁を踏まないこと。これは子供の頃から躾けられていたのでなんとかクリヤー出来た。茶道の稽古が茶番に終わらぬよう努力は続けたい。茶道は日本人としての日常の基本的な所作なのだから。