29日 2月 2012
右眼の白内障手術をして1週間が過ぎた。術後の経過は順調であるが視力は不安定だ。視力の検査は、昔はカタカナだったと記憶しているが今は一部が欠けた輪っかのCの字型で上下左右を判断する。ランドルト環というらしい。手術前の視力は両目とも0.05前後だったので通常の視力検査表は見えず使えない。0.1以下の検査は、0.1のランドルト環を被験者のほうに近づける。例えば3m用の検査表の場合、被験者に1.2m近づけて見えた時は0.1×(3-1.2)/3=0.06となる。ちなみに0.01未満の場合は指の本数とか手のひらの動きが分かるかとかの方法があるらしいが幸いその経験はない。手術の次の日、驚くことに0.05の視力が1.0にまで改善されていた。ところが次の日は0.8に、その次の日は0.6に、そして5日目には0.3まで落ちてしまった。そして7日目の今日は0.6辺りをうろついている。少しは回復傾向にはあるので様子を見るしかないだろう。ゴルフのお誘いは泣く泣くご辞退した。早く視力が安定して良く見えるようになることを期待したい。果報は寝て待て、かな。
28日 2月 2012
仏の無声白黒映画「アーティスト」がアカデミー賞の作品賞、主演男優賞、監督賞、作曲賞、衣装デザイン賞の計5部門を受賞した。「アーティスト」は、サイレントからトーキーに移り変わる時代のハリウッドを舞台に、時代に翻弄されるスター俳優の姿を白黒の無声映画として描いた作品。サイレント映画が作品賞を受賞するのは83年ぶりとのことで、映画界でも潮目が変わったことを感じさせる出来事だ。一方由紀さおりはピンク・マルティーニとのコラボレーション「1969」が海外で高く評価されミュージックチャートで1位を獲得するなど大ヒットとなっている。先日テレビを見ていたら自分の好きなエッセイスト朝美納豆(アーサー・ビナート)が由紀さおりのヒット理由について語っていた。ビナート曰く「アメリカ人には日本語が分からないから言葉に共感しているのではないし、曲そのものでもない。由紀さおりは歌によってあるイメージを表現し、聞き手は詩でもなく曲でもなく由紀さおりの発するイメージと同じイメージを見ているから共感するのだ」。確かにそう思う。海をseaとかla merとか言わなくても送り手が海のイメージを表現出来れば受け手は海を感じる事が出来るのだろう。昔から欧米人は意見を言葉に表して主張しないと相手を理解しないと言われていたが最近はそうでもなさそうだ。歌の世界でも潮目が変わったことを感じさせる。欧米人が阿吽の呼吸を理解する時も近いような気がする。
27日 2月 2012
2001年に尾身沖縄担当相が、沖縄に国際的な大学院大学を設置するという構想を提唱したことに端を発する沖縄科学技術大学院大学が世界の脚光を浴びている。沖縄振興策の一環であり、特殊な学校法人で私立ではあるが内閣府が運営費を補助している。世界トップレベルの研究、学生と教員の半数以上は外国人で公用語は英語、学部や学科の壁もない。2011年11月に開校し今秋から大学院生を受け入れる。研究者は専門性が深まれば深まるほど周りに壁が出来狭い領域に陥り易い。革新的な発想をするにはその壁が邪魔だ。沖縄科技大には研究領域の壁がない。学問の境界領域で生まれる大発見が期待される。沖縄発の新しい大学の世界のモデルとして海外から注目されている。莫大な金額となっている沖縄振興費を単に箱モノ行政に使うのではなく、頭脳や人間育成に注ぎ込み沖縄を世界トップレベルの学術文化県にすることこそが真の沖縄振興になるはずだ。
26日 2月 2012
日本相撲協会の理事選が行われ10名の理事が決まったが、過去に黒い噂のあった人物が半数以上を占めこの先改革が進むとは思えない。ところがそのような状況下でも改革を推し進めている人物がいる。貴乃花親方だ。大阪の春場所の担当部長になった貴乃花親方が精力的に革新的な営業活動を行っている。貴乃花全盛時代は15日間満員御礼が当たり前だったが、貴乃花引退後は7~8日満員御礼が出ればいいくらい相撲人気は落ち込んでいる。貴乃花親方の目標は「15日間満員御礼にすること」とのこと。初日の3月11日に大震災被災地の子供を招待したり、橋下市長、吉本興業、ガンバ大阪に働きかけ、地元の大阪人を取り込むことに精を出している。貴乃花親方の相撲界を超えた活動が、新風を呼び込み相撲界を再び活性化させそうだ。春場所が成功し興業が軌道に乗れば、2年後には貴乃花理事長が誕生するかもしれない。その時から大相撲が再び国技として輝きだすのだろう。
25日 2月 2012
国会に巣食う犯罪者達に共通する欠点は、人格に劣り度量がなく懐が狭いため信頼を得られないことだ。例を挙げればきりがないが現役議員ならずともOBも同様。河村名古屋市長がいい例だ。名古屋市の姉妹友好都市である中国・南京市一行の表敬訪問を受けた際、河村は「戦闘行為はあったが世に言う南京大虐殺はなかった」と持論を吐いた。歴史検証からみれば河村の言は正しいが、南京市から来訪したお客さんに言う言葉ではない。南京大虐殺は中国は勿論のこと日本でも米国でも、あったものと見做されている。歴史検証が進み現在では、なかったと結論付けられているが共通認識には至っていない。河村は何故言ったのか、その後如何に対応したのか。河村の父が南京市で終戦を迎えた時に市民から親切にされたので大虐殺などあるはずがないというのが根拠。父の言葉を信じ南京大虐殺はなかったと昔から今でも広言。南京市からの訪問者に対し、相手かまわず広言。中国主要メディアで批難報道され動揺。礼儀を欠いたと反省、しかし発言撤回はしないと。これを契機に日中間の議論を深めたいと問題をすり替えた。河村は人格が伴わず大言壮語の性癖がある。南京大殺戮などなかった、と言い切ることは自分自身を大物と見誤らせる麻酔的効果がある。小人ほど酔いしれるものだ。しかし小人は、その反響には考えが及ばない。こう言えばこう言うはずだ、こうすればこう動くかもしれない、と思いを巡らし、結果的に相手の信頼を勝ち取っていくのが真っ当な政治家に違いない。今の政治家に人格者はいないと結論付けるのが妥当だろう。極めて残念。
24日 2月 2012
国会に巣食う犯罪者達の最大の欠点は、政治家のくせに政治力のないことだ。政治力とは、社会的な意味では「自己の意を貫き通す力」を指すが、ただ闇雲に貫けば良いというものではない。真の政治力とは「駆け引きや巧みな根回しなどで、複雑な利害関係を現実的に処理しうる能力」と定義出来る。真の政治力がないために違憲違法状態を作り出してしまうことになる。主要政治家は政治力となる源は持っている。小沢は議員の頭数、鳩山は親の残した財産、野田は巧みな舌先三寸、山口は池田会長の気分次第、但し谷垣は偶々生き残ってしまった領袖なので例外的に政治力の源はない。源は持っているが、使い方が分からない。利害関係を現実的に丸く収める妥協点を見出す能力がない。谷垣などはこの能力の事を「談合」と言う素っ頓狂だ。だから国会は子供レベルの言い争いに終始し、何も決められない子供政治になってしまう。「妥協点を見出す能力」が使えるようになれば、大阪維新や石原新党の出番は遠のくはずだが、子供が大人になるには時間がかかる。かくして民主自民は子供から大人になれず老い先短い老人の道を歩むことになる。
23日 2月 2012
護憲にしても改憲にしても政治家が日本国憲法について語る資格はない。2009年の前回衆院選で最高裁は1票の格差を違憲状態と指摘した。それを受け衆院選挙区画定審議会設置法が定められたが、各党の合意が得られず勧告期間内に格差是正は出来なかった。まさに国会議員たちが違憲状態を放置し、かつ法律を犯す違法状態を作り出した。主犯は民主党野田佳彦、自民党谷垣禎一、公明党山口那津男。議員としての資質とプライドのなさ、長としてのリーダーシップ力のなさ、国民よりも党利を優先する器量の狭さ、まことに情けない限りだ。国会議員は罰則がなければ法に従わないということを自ら身をもって立証してしまった。自らの手で法律を制定したくせに自らその法律を破る人間の風上にも置けないどうしようもない輩だ。そもそも日本国憲法の前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し云々」で始まり、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三大原理が示されている。政治家が「国民のため」と言えば「嘘をつけ」と石を投げられる時代が、もうすぐそこまで来ている。
22日 2月 2012
以前富士市に住んでいたことがある。富士市の毘沙門天大祭のだるま市は、群馬県の高崎や東京都の深大寺とともに日本三大だるま市として有名だ。だるまさんは五穀豊穣や商売繁昌などの縁起物として人気がある。買った時に願いを込めて片目を書き、願いが叶った時にもう片方の目を書き入れるのが習わしだ。先週左眼の白内障手術が終わり、良く見えるようになった。今日はこれから右眼の手術。今はまるでだるまさんのようになった心境だ。開運とまではいかなくても開眼はする。開眼は開運へと続くかもしれない。しかし、だるまさんのままでいると1年後には燃やされてしまうので、足腰を鍛えて脱皮しなければならない。その先に再びテニスが出来る楽しみが待っている。
21日 2月 2012
中国広東省恵州市の裁判所が同市内の電器店にiPadの販売停止を命じる判決を下した。香港に上場している唯冠国際の傘下にある唯冠科技がアップルに商標権侵害を訴えた。北京近郊の石家荘でもiPadの販売禁止を命じていたとのこと。中国のタブレット型端末市場ではiPadはシェアが76%と突出しておりアップルへの影響は極めて大きい。すでに中国では「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」の中国表記である「越光」「一目惚」が商標登録されている。このためヨーカドーで発売されたコメの袋にも漢字ではブランドが表記できず「新潟県産」「宮城県産」とあるだけらしい。「青森」「勝沼」は異議申し立てにより不許可になったが、「富山、福井、愛知、山口、香川、佐賀」はすでに登録されている。巨大なチャイニーズガンダムをガンダムではないと言い張っていたことが微笑ましく感じる。法は法かも知れないが、中国には近代国家としてのプライドを持つべき時期はすでに来ているだろうに。習近平国家主席の誕生を待つしかないのだろうか。
20日 2月 2012
支離滅裂な谷垣の言動には開いた口が塞がらない。民主が殆んどの公約を不履行にした現在では、民主と自民には政策の違いはない。ところが過去の経緯ばかりに拘り協議拒否の日々が続いている。なんと自民のお家芸である事前協議を「談合」と定義した。常識はあったであろう大人から聞き分けのないガキになってしまったらしい。驚くことに、今度は小沢元代表との連携の可能性を言い出した。当面最大の政治課題である消費増税では、水と油の仲である小沢にだ。内閣不信任決議案提出のためなら何でもする、なり振り構わない。それだけ自民内部から追い込まれているということかもしれない。谷垣は、何もしないから追い込まれていることを、いつになったら気付くのだろうか。引退後日経の「私の履歴書」を書く段になって、自分で自分の整合性のない考えをまとめきれず辞退することになることは目に見えている。