シャープらしさ

鴻海傘下で再建したはずのシャープが再崩壊し、未だに再浮上する気配は無い。シャープは町田社長時代に液晶テレビの亀山モデルで一世を風靡した。図に乗って堺に大工場を建設したが、中国や韓国の安価液晶台頭により競争力を失った。その結果、堺工場が重荷になり赤字に転落。鴻海に買われてしまった。でも、鴻海から来た戴正呉社長が債務超過の解消等により、見事にシャープ再建を成し遂げた。ここまでは良かったが、後が悪かった。戴社長は、日の丸液晶に拘った。JDI白山工場を買収し、残存者利益に舵を切ってしまった。液晶ディスプレイを生産する堺工場の運営会社SDPも完全子会社化した。これが再崩壊の引き金になったと言われている。シャープと言えば、先行者利益が経営理念だった。シャープの創業者である早川徳次は常に「他社がまねしてくれる商品をつくれ」と口にし、当時のシャープには独創性を重んじる社風が根付いていた。シャープが再生するには原点に戻るしかない。有機ELにはまだ望みはある。KDDIとの人工知能向けデータセンター運営にも望みはある。要は如何にシャープらしさを導き出せるかだと思う。