日本のDXを考える

中島聡と河野太郎の対談が、日本のDXを考える上で為になる。中島聡氏は、マイクロソフトでWindowsやインターネットエクスプローラーの開発を指揮した伝説のプログラマーだ。河野太郎は、強引が取り柄のデジタル相。結論から言うと「痛みを伴わない日本のDXに明るい未来はない」ということのようだ。日本のDXは、伝統的な企業がデジタル化に後れを取らないようにITゼネコンを雇って、デジタル化するのが殆どだ。つまり、DX化しても、新しいものは何も生まれない。一方、米国では、本屋がデジタル化するのではなくアマゾンが台頭し、放送局もデジタル化するのではなくNetflixに置き換わった。デジタル技術を使って新しいビジネスモデルを構築し、業界の構造そのものをひっくり返している。結局、日本ではDXがコストアップの要因になり、米国では利益の源泉になっている。日本では、ライドシェアにしてもドローンにしても、規制だらけで物事が進まない。マイナンバーと銀行口座は未だに紐付きになっていないし、マイナ保険証も進んでいないと中島氏は河野デジタル相を責める。確かに、中島氏が指摘する通り、河野デジタル相の歩みは遅い。しかし、今の政界で、痛みを伴うDX改革を推し進めることが出来るのは河野デジタル相くらいしかいない。規制改革を推し進めるには、強力なトップダウンが必要だ。いつの日か、河野が首相になるまで、日本のDXは進みそうもない。