ジャーナリズムの有る国無い国

五輪開催の是非について、日本の新聞は殆ど態度を明らかにしないが、海外メディアは状況を的確に把握し、是非を明確にしている。日本の大新聞は自身が五輪サポーターだから、すでに五輪組織に飲み込まれジャーナリズムとしての機能を果たしていない。一方海外メディアはジャーナリズムの神髄を果たしている。英The Guardianは、生命を危機に晒す今大会の開催は本当に正当化されるかを日本政府とI O Cは問わねばならないと批判を展開している。大会を開催するのであれば、感染拡大を食い止めるためのルールを確実に施行する必要がある。日本政府は日本人の声に耳を傾けない。「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として実現する」という菅首相の約束は、楽観的どころかまったく間違っていると的確な見方をしている。独Frankfurter Rundschauは、スポーツ大国の1つが参加を辞退すれば、各国に連鎖反応が起き中止に追い込めるだろうと中止に前向きだ。仏Liberationは、IOCの暴走を止めるべきだ。公衆衛生や人命の価値は、コカ・コーラ社の広告の価値よりも低いのか。IOCに五輪の開催に関して自由な権限を与えることを拒否する、と手厳しい。一方スペインEl Mundoは、聖火リレーも始まり、施設は建設済みだし、予算も確定しテレビ局やスポンサーはすでにキャンペーンを開始しているからと、開催を肯定しているメディアも一部ある。まるで日本の新聞と同じだ。世界には日本と同様にジャーナリズムが存在しない国もあるということか。