参院予算委員会で立憲民主党議員が「コロナの影響で生活に苦しむ人たちへの対策を求めた」質問に対し、菅首相は何と「最終的には生活保護がある」と回答した。確かに生活保護は最終的なセーフティーネットだが、一国の首相が安易に最終救済措置を口走るべきではない。菅を始めとする政治家には、生活保護に至らないための救済策の策定が求められているからだ。始めから生活保護ありきであれば、政治家など不要だ。一口に軽く生活保護と言うが、生活保護を受けるか否かは人それぞれの思惑や信条がある。人気が出てガッポリ稼いでいたお笑い芸人の次長課長が母親に生活保護を受給させていたことが有名だ。一方で、プライドを守り、生活保護を拒絶し、食べる物も無く、ひっそりと死んでいった多くの老人もいた。要するに、菅は何でもお金で判断するお笑い芸人の次長課長レベルなのだ。もし、菅がひっそりと死んでいった老人を思い至る能力があれば、決して「最終的には生活保護がある」とは言えないはずだ。野球で言えば、菅は大幅にリードされた9回裏2アウト、ランナー無しでのピンチヒッター。しかも、全選手を使い果たし、打席に立った経験も無いピッチャーだ。ピンチを切り抜ける力は無い。思いつきの万策は尽きて「生活保護を」と叫ぶのは、道理に叶ってはいるのだが。
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