幼児の脳死判定による臓器移植という問題が自分の頭の中を混乱させている。元来自分は物事の白黒をはっきりさせる性質ではあるが、いくら考えてもこの問題には答えが出てこない。20年近く前兄が肺ガンになり、まだモルヒネで朦朧とする前に、医者に検体か臓器移植提供かを申し出て、医者からガンの転移も考えられるので不可です、と断られたという話を思い出した。若いときは自分が死ぬとは思ってもいないから、臓器提供のことなど考えない。しかしそろそろ墓場が近づいてくると何か人の役に立ちたいと思い、臓器提供でも出来るかなと考えることはあるだろう。しかし墓場に近づきすぎた頃には臓器もくたびれて人の役には立ちそうもないことがやっと分かることになる。普通はそうだ。しかし、今回の日本で初めての幼児の臓器移植を提供した親御さんは、我が子の心臓は動いているのに脳死と判定されたことで、決断した。せめて我が子の一部でも生き続けている方がよいという思いで。凄い決断だ、究極の決断だと思う。この決断で命が助かる人がいるからだ。今の自分にはこのような決断は絶対出来ないことだけは分かる。脳死については、自分を脳死判定してもらうことはOKだが、他人のことは判断出来ない。臓器提供については、最早賞味期限切れになったしまたので判断不要となってしまった。若気の至りか、老人の過ちか。これからも幼児の脳死判定臓器移植の問題は自分の心の中で続くことになるはずだ。
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