今日8月6日は出来事・記念行事が多い。筆頭は66年目の広島原爆の日。高校野球も開幕を迎えた。米格付け会社スタンダード&プアーズが米国債の格下げを行った。そして成田空港用地内のの団結小屋の取り壊しが始まった。今日は成田について考えてみた。1966年佐藤内閣は御料牧場があった三里塚芝山地区を空港候補地として閣議決定した。御料牧場は空港予定地の4割弱しかなかったが、政府は残り6割の地元への事前説明もしなかったため地元住民の猛反発を招いた。国主導で強引に経済基盤を整えることが正義と考えることは、中曽根元首相の原発推進と同じ構図だ。その後地元住民が反対しそれに野党が乗ったが、空港新設備のドンパチで社会党と共産党は新左翼の過激さに慄き脱退し、それ以来知らん顔の半兵衛を決め込んだ。そして新左翼と極一部の住民が団結小屋を作り成田空港の拡張を阻んできた。それから30年以上経って今回東京高裁の判決により小屋の取り壊しが始まった。やっと成田国際空港はフルオープンすることになる。結果として成田空港の経緯が日本経済に与えたマイナスは非常に大き過ぎた。成田の問題とは、第一に国策至上主義の上から目線で住民に有無を言わせず政策を実行しようとしたこと、第二は新左翼が抵抗を続けたこと、第三は新左翼の行動を批判すべきところを社会党と共産党が半兵衛を決め込んで新左翼を野放しにしたこと、第四は佐藤以降の内閣が何もしなかったことといえる。もしこれが第四から第三を是正する方向に進んでいれば、成田はもっと早く当時のハブ空港としての地位を築き日本は発展していたと思う。残念。
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