名古屋場所10日目で大関魁皇が引退表明をした。1988年春場所に花田兄弟、曙とともに初土俵を踏み23年をむかえた。上手からの強烈な投げ技が持ち味の怪力大関と言われた。通算成績1047勝700負158休、優勝5回、殊勲賞10回、敢闘賞5回。1047勝は、千代の富士の1045勝を更新した通算最多勝記録だ。大関在位は千代大海とならび歴代1位の65場所で、10年間一度も関脇に陥落することはなかった。力士として実に立派な成績を残した人物だと思う。しかし何かしっくりこない。10年間65場所も大関を維持できるということは、どういうことなのだろうか。ルールは「2場所連続で負け越した場合関脇へ降格する。しかし、降格直後の場所で10勝以上の勝ち星を挙げれば大関に復帰できる」であり、魁皇は2場所連続で負け越したことがない。角番大関が8勝7敗で勝ち越す例は多く、大関互助会とも揶揄されている。互助会になれば明らかに八百長だ。今後、年寄「浅香山」には、大相撲浄化のため経験を生かし八百長問題にも取り組んでもらわなければなるまい。
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