AIBOがaiboに生れ変わった。ソニーが11年前に生産を中止したアイボAIBOの後継機を発売すると発表した。名称はaiboで小文字に変わった。周囲の状況を把握するカメラやセンサーを備え、全身が電子部品の固まりだ。かつてのAIBOと異なりクラウド技術も使って飼い主とともに身のこなしを変えていく。AIも活用し人に好かれるのに必要な動きを最大公約数のように結論づけて、飼い主による好みの違いに対応する。行く行くは、愛玩犬としての役割だけではなく、子どもの見守りや高齢者の認知症対策も見込んでいるという。益々生きたペットに近づいてきた。それだけに、先代AIBOの息の根を止めた平井社長が「愛情の対象となるロボットにする」と嘯いているが、先代の二の舞いにならないか極めて心配だ。ぶっちゃけ、ソニーが新アイボを売り出すとの記事にムカッとした。そして先代を殺した平井の「愛情の対象となるロボットにする」という発言にムカッとした。更にaibo生産中止という第3のムカッが起きないことを願いたいものだ。
月初めの新聞に「駅前にファミマオープン」のチラシが入っていた。いつの間に出来たのだろうかと思ったら、サンクスのリニューアル。サンクスがファミマに経営統合され、店名がファミマに統一される戦略の一貫のようだ。そのファミマが、24時間営業を止める方針だという。真夜中に店を開いていても、売上げは大して上がらないだろうし、犯罪の温床にもなるから、止めた方が良いのではないかと思っていた。ファミマもやっと実情が分かったのかと思っていたら、とんでもない勘違いだった。問題は人件費の高騰。でも、人件費の高騰はファミマには響かない。何故なら、ファミマはフライチャイズ店の売上げからマージンを吸い上げるタイプの経営。酷い言い方をすれば「フライチャイズ店が人件費の高騰に苦しもうが、営業時間を延ばしてコストをかけても売上げが上がればOK」という経営方針だ。でも、フライチャイズ店は、人件費だけでなく、ドラッグストアにも顧客を奪われているのが現状だ。ファミマの24時間営業中止は、フライチャイズ店をこれ以上苦しめては死んでしまうから、死なない範囲で手綱を緩めようという戦術に見えてきた。ローソンでも24時間営業を止めることが出来なかった。自分はコンビニ経営の専門家ではないから、この業界が横並びなのかは知らない。でも、限りなくブラックな業界に見える。どうしてウイン・ウインを目指さないのだろうか。コンビニの将来も怪しくなってきたようだ。
相続税対策のためなのか、近所の数百坪の邸宅が消えつつある。我が家の隣も3百坪の土地が6区画に分割され戸建て住宅が建築され始めた。今までは隣の庭を借景として楽しんでいたが、住宅が眼前に迫ってきた。2階の書斎の窓から毎日見えるので建築の様子が良く分かる。ハウスメーカーは伊藤忠のイトーピアホーム。基礎工事は2人で大工は1人と人手が少ないことに驚いた。大工が1人で床を作り、平らな床の上で壁のパーツを作り、それを1人で立てかけて壁が出来る。1階の壁が出来ると2階の床を張り、1階と同じように2階の壁を作り、最後は屋根を完成させる。大工の仕事は、殆どがパーツの組み合わせと釘打ちで、ノコギリ作業は殆ど無い。木材の接合は全てが釘。釘打ち機で打ちまくる。途方も無いほど釘が使われる。釘の塊の家だ。一見地震に弱そうに見える。釘打ちだけで強度に問題は無いのか心配になった。調べてみるとツーバイフォーという工法だ。ツーバイフォーは壁で強度を持たすため地震に強く密閉性も良い。工法が標準化されているので、大工の技量に影響されずに、品質が安定した家を作ることが出来るなどのメリットがある。反面、壁に大きな開口部を設けにくく、増改築の自由度は低いのがデメリットとのこと。会社にいた頃、仕事の関係で住宅の勉強をしたことがあり、木造軸組工法、鉄骨軸組工法、プレハブ工法などの単語が懐かしく思い出される。ツーバイフォーという言葉も知っていたが、現物の工程を見るのは初めて。百聞は一見にしかず。机上の勉強だけでは、物の役に立たないことを実感した次第。
カタルーニャ自治州の独立問題が揺れている。投票当日スペイン政府は憲法違反だとして暴力で投票を阻止した。しかし、住民投票では9割が賛成。自治州の州議会が独立宣言をし、州民は祝賀ムードだ。だが、政府は自治権を停止し、州首相や幹部を解任し、議会も解散させた。政府の暴力的な行使に対し、解任された州首相は政府のような暴力的な対応はしないと言っている。欧州連合や仏英独などの主要国は一斉に「独立は認めない」との立場を打ち出した。何故なのだろう。中国での漢民族による少数民族の迫害には非難するくせに、どうして欧州での少数民族の独立に反対するのだろうか。カタルーニャは地域独自の文化や歴史や言語を持ち、一つの纏まった文化圏だ。世の中は多様性が求められている。独自の文化を守り育てることこそ心豊かな世界に繋がるはずだ。スペイン政府の高圧的に独立を封じ込めるやり方は間違っていると思う。出来る限りカタルーニャの文化と自治権を尊重し、緩い繋がりのスペイン合衆国を目指すべきだと思う。カタルーニャはアイデンティティーが保障されれば、スペイン残留も選択肢の一つになるはずだ。独立問題の諸悪の根源は、政府の乱暴な阻止行動にあると思う。
2週間ほど前に、史上初めて太陽系の外から彗星が飛来し過ぎ去って行ったとのこと。恒星間彗星と言うそうだ。恒星とは太陽のように自ら光を発し、地球のような惑星や彗星を持つ星のこと。恒星間彗星は、こと座のベガの方向から来たらしい。直径は400メートル以下で、秒速25.5キロで移動。地球から約2400万キロ離れた場所を安全に通過し、今後ペガサス座の方向に進み、太陽系を脱出するとみられている。確認されれば恒星間の軌道を飛行する初の「恒星間彗星」となるとのこと。以前から理論的には知られていたが、何しろ初めての事なので、国際天文学連合は新しい命名ルールの制定に迫られそうだ。人類は古代の時から星の位置や動きを観測して、暦を作り政治や生活に役立ててきた。天文学の父ガリレオは、望遠鏡と物理学を駆使して地動説に辿り着いた。今や宇宙の構造も分かりつつある。そして重力波観測により宇宙の成り立ちまで解明しようとする時代に来ている。星空を眺めながら、よくぞ天体の動きが分かるものだと感心してしまう。天文学に無知な自分にとって恒星間彗星は、エイリアンにも見えるし、幸せを運ぶ星の王子様にも見える。世はデジタル時代だが、自分のようなアナログ人間の方が夢を追う楽しみをより多く得られるような気がしてきた。
衆院選で自民が大勝し、安倍首相も菅官房長官も、話の初めに必ず「謙虚に丁寧に」を枕詞に使っている。「モリカケよ去れ」という念仏に聞こえてくる。でも舌の先も乾く間もなく、大勝に酔って傲慢さと傲りがもう顔を出だしたようだ。一つは特別国会の会期だ。自民は8日間を提案しているが、野党はもっと長い期間を要求している。モリカケ問題で国会本来の議題は長いこと議論もされていない状態が続いている。それを補う意味でも、自民は野党の提案を受け入れるべきだと思う。自民の8日間とは、モリカケの禊ぎは済んだという傲慢さの現れとしか映らない。決して丁寧な国会運営ではない。もう一つは、国会質問時間の与党/野党の時間配分だ。従来与党/野党の配分は、2/8で行われるのが慣習だったが、自民は7/3を要求し始めた。根拠は議席数で配分すべきという。だが、その理屈は間違っている。結果として保守が3分の2以上の議席を獲得したが、それは偶々小選挙区制という特殊事情によるよるものだ。国民の意見を真に反映している獲得投票数でみれば、自民は3分の1しか無い。配分は3/7が妥当なところだ。時の権力の傲慢さを防止するには、例えば、時間配分は獲得投票数比とするなどのルール作りが必要だ。謙虚さとか丁寧さとかは、言葉で言うものではなく、態度や行動で示すものだ。言葉で言うほど怪しく見えてくる。
昨日カミサンが白内障の手術を受けた。20~30年前は難しい手術だったようだが、今は簡単だ。自分は4年前に町医者で手術をしたが、カミサンは市立病院だ。町医者は日帰り手術だった。前日に目薬を与えられ自宅で点眼し、翌日の手術に臨んだ。マンションの一室に患者が5~6人いて、小さな待合室で麻酔の点眼があり、30分程度おきに手術室に呼び込まれる。手術は簡単だ。眼の周りにフィルムを貼られ明るさで何も見えなくなる。医者が手術中に、水晶体を削っています、レンズを入れます、と声をかけてくる。手術の実時間は5分程度だったと思う。痛さも怖さも無かった。怖く感じなかったのは、数ヶ月前に網膜の表皮を剥離して再接着させるという、考えるだけでも恐ろしい手術を経験したためだろう。眼をいじるのは怖いものだ。一方カミサンは2泊3日の入院手術だ。手術当日病院に行くと、何とベッドに横たわり点滴をしている。点滴をしながら車椅子に乗り手術室へ向かう。手術室の前の待合室で待っていると45分後に出て来た。車椅子に乗りながら病室に向かう。落ち着いたところで話を聞くと、手術内容は4年前の自分の時と殆ど同じだ。そこで、日帰り手術と入院手術の違いは何だろうかと考えてみた。患者側からみると、入院手術は万一という場合を考えた安心という保険なのだろう。一方医者側からみると、リスクの軽減策なのだろう。町医者は手術に難のある患者を選別することによりリスクを避ける。市立病院は少し難しい患者も受け入れ、総合力でリスクを乗り越えるということかもしれないと思った。何はともあれ無事に手術が終わって良かったと安堵した。手術とは、自分の時よりも心配するものだということを体験した次第。
質量の単位「キログラム」の定義が130年ぶりに書き換えられることになるようだ。現在パリに重さ1kgの分銅「キログラム原器」が保管されている。地球上の全ての重さはこれが基準になっている。元来1kgとは1リットルの水の重さと定義されていたが、条件により変動するため、白金とイリジウムの合金で原器が作られた。これも僅かに変化するため新たな基準が求められていた。国際単位系は基礎物理定数による再定義が進んでいる。メートルも嘗ては合金製のメートル原器だったが、299,792,458分の1秒間に光が真空中を進む距離として再定義された。国際単位系で時代遅れの定義が残っていたのが質量の単位だ。新しい定義はプランク定数に基づくという。プランク定数とは量子論の基本的な普遍定数で、光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数のこと。まさか大学時代に量子力学で習ったプランク定数が、質量の単位に関係するとは夢にも思わなかった。産総研は高純度なシリコン結晶で定数を精密に測定し、これまでより詳しい小数点以下43位までの値を特定。キログラムを厳密に定めるのに必要な水準をクリアしたとのこと。来年11月の国際会議で正式に決定される予定。日本が国際単位の基準に関わるのは初めてだ。まずは目出度し、目出度し。
都議選が行われたのが7月。都民ファーストと公明が過半数を制したのは記憶に新しい。そして、3か月後の衆院選。ファースト様々と靡いた前原民進が雪崩のように靡いてしまった。勝ち馬に乗れば勝てるという訳では無い。その時は勝ち馬でも、続くとは限らない。それが現実になってしまった。何故希望の党は、脆くも敗れ去ってしまったのだろうか。最後に踏ん切れなかった小池、元々統治能力に欠ける若狭、党の主張を消化不足だった細野、これらが張本人だと思う。でも、若狭と細野の罪は軽い。何故なら廊下鳶のようなものからだ。だが、小池の重さは違う。小池は終始都知事に留まる様な発言をしていた。違う。時が来れば出馬しようとしていた。世間では「排除の論理」発言が水を差したと言われている。でも自分は違うと思う。「排除」の次に「自ら出馬」があれば、事態は変わっていたと思う。従って、敗因は「出馬取りやめ」にある。関ヶ原の合戦でも同じ事だが、物事を決する時に、お頭が外国で物見うさんするはずがない。現場にいるものだ。しかも、小池はパリで「鉄の天井があった」と宣った。ガラスの天井とは、ヒラリーが米国の女性蔑視の比喩として言ったことが言葉だが、ガラスを鉄に変えた意味は何なのだろうか。いくら考えても思いつかない。小池は流行りの言葉で他人を煙に巻くのが得意だ。ファーストもそう、鉄の天井もそう、挙げ句の果ては、ベーシックインカムとほざく。洋風かぶれの戯言に聞こえてくる。
今日は衆院投票日。選挙結果は気になるが、流れは自民大勝とほぼ決まっている。でも突如もっと気になるニュースが流れてきた。トランプがケネディ暗殺の捜査資料の機密指定を解除すると発表した。ケネディが暗殺されて半世紀以上経ったのに、まだ未公開資料が存在している。1992年に法律が制定され、25年後に公開されることが決まっている。その25年後が今月の26日になる。大統領権限で未公開の継続も可能だが、トランプは継続しないと言っている。ケネディ暗殺には色々な陰謀説がある。その最たるものがCIA陰謀説だ。CIAは公開に猛反対している。いかにも怪しい。この機密指定解除は単に法律に基づき実行するという類いでは無さそうだ。いま現在CIAは大統領府から独立して活動をしている。トランプはCIAを大統領府の指揮下に置きたいと思っている。どうもケネディ暗殺の機密指定解除は、トランプのCIAに対するジョーカーのようだ。従って、CIAがトランプの軍門に降れば解除は取りやめ、従わなければ解除に踏み切ることになりそうだ。トランプだけに博打打ちとしての力量がジョーカーに託されているようだ。
2週間前ほどに、日産の堕落ぶりを「やっちゃえ日産」に書いて非難したが、どうも実情は違うようだ。国から製造後の完成検査を委託されている正規の検査員ではなく、資格の無い補助検査員が合否を判定していたのだから、日産の無資格検査は間違いなく違法だ。少なくとも法律上は違法だ。でも実質的にはどうなのだろうか。自動車の異常は即大事故に直結するので製造工場は品質管理の塊と言える状態にある。品質は工程で作り込むものだから、各工程には精通した職人が目を光らせている。日本の自動車の品質が素晴らしい由縁でもある。その汗の結晶としての出荷前の自動車を車検として完成検査する人の資格が問題になった。では、完成検査は何をするのだろうか。国交省が求めているのは「公的な車検場における検査官と同等技量を持つという資格制度を社内で設け、資格があると認定された人物が検査を行え」ということだ。言い方を変えると「民間の車検工場と同じ技術レベルで行え」ということだ。エンジンは動くのか、ハンドルは回るのか、ブレーキは正常か、オイルは適正かという類いだ。日産の現場から見れば、完成検査員の格付けは低いに違いない。単に作動をチェックするだけなのだから。日産は今増産中だ。猫の手も借りたい位だ。有能な社員は現場に回し生産性を上げるのが当たり前。現場の物作りに自信があればあるほどその傾向は強くなる。結果として、工場長は現場を重視し、完成検査を軽視した。でも、実質的な間違いでは無い。では、誰が間違ったのだろうか。国交省だ。真面な自動車も作れない時代の検査員制度を未だに続けている国交省にこそ問題がある。国交省は許認可を与えれば済むというものではない。もし、国交省が許認可の内容を見直していて現代風に修正していれば、今回の事態は防げたはずだ。法令に従わない日産にも3分の不備があるが、国交省には7分の責任があると思う。
最近「貴方の過払い金を取り戻します」というCMを見かけなくなったと思っていたら、この法律事務所が問題を起こしているようだ。このCMを出しているアディーレ法律事務所が「今から1カ月間は着手金は無料」などと期間限定キャンペーンのように宣伝していたが、実際は5年近く同じサービスを継続していた。これに対し消費者庁は、こうした宣伝は受け手に有利さを錯覚させる景品表示法違反に当たるとして、宣伝をやめるよう措置命令を出した。それを受け東京弁護士会がアディーレに業務停止2カ月の懲戒処分を課した。問題は業務停止の期間だ。日弁連の基準では、業務停止期間が1カ月を超える場合、依頼者との委任契約をすべて解除しなければならないことになっている。業務停止1カ月と2カ月では、実刑と執行猶予ぐらいの差があるという。2カ月になると事務所継続も危ぶまれる。業務停止2カ月の処分は重すぎるのではないかと問題になっている。だが、そもそも消費者庁が消費者に有利誤認となる景品表示法違反だと指摘したこと自体が正しいのだろうか。消費者から見て「今から1カ月間」であろうが「今から半年間」でも、大した変わりは無い。1カ月間と限られたからといって、消費者が損をすることも無い。消費者は錯覚などしない。寧ろ短期間の方が被害を最小に出来、消費者に有利だ。景品表示法違反は消費者庁の判断ミスだと思う。更に、東京弁護士会の処分も過重過ぎると思う。やっかみによる、成長目覚ましいアディーレ潰しにも映る。不当な行為に立ち向かうはずの東京弁護士会が、不当な営業妨害をしているようにも見える。
日本の選挙は騒々しい。道路では演説してはならず、名前の連呼だけが許されている。是非とも法律を改正して「道路の連呼」を禁止してほしいものだと願っている。でも街頭演説は聴いてみたい。候補者や応援弁士の主張を生の声で直接聴いてみたいもだと思う。だが、誰が何処に何時来るのかが分からない。そんな要望に応えたサイト「街頭演説動画まる見えマップ」が出来た。誰でも投稿出来るし、見ることも出来る。過去の動画も見られるし、今後の予定も分かるので賢いサイトだと思う。今や応援弁士の主張・話力・人気が候補者の当落を左右させる時代だ。当落すれすれの候補者ほど有力な弁士の応援を願っている。まさに党首の出番だ。ところが、候補者から応援演説を辞退される党首もいる。安倍総裁だ。更に安倍は遊説演説の日程を隠すステルス作戦や突如場所を変更するゲリラ演説を実行中だ。本来であれば、事前に首相の応援演説の場所と時間を指定すれば、いやでも人が集まる。そこで首相が実績や公約をアピールすれば効果抜群のはず。何故コソコソしているのだろう。間違いなく「丁寧に説明する」と言って説明しないモリ・カケ問題についてのヤジを恐れているからだろう。脛に傷を持つ安倍は打たれ弱い。本人は国会で野党にヤジを飛ばすくせに、野党からヤジを飛ばされると、答弁を中断してまでして怒り出す。街頭演説では、ステルス作戦やゲリラ演説だけでなく、反対のプラカードを掲げる人たちの前に自民党関係者が幟を持って封殺するという黒幕作戦まで行う始末だ。ヤジられても「傷口に塩をすり込むな」くらい度胸のある反撃があれば演説も盛り上がるものを。
重い元素の生成が中性子星の合体によるものであることが解明され、今まで考えても見なかった化学の一面を思い知らされた。今まで化学はまず元素ありきで考えていた。その元素が如何にして生成されたのかなど一度も考えたことが無かったからだ。高校入学当時最も成績が悪かったのが化学だったが、卒業時は最も成績の良いのが化学になった。当時洋服屋さんになりたかったが、取り敢えず大学で化学を勉強することにした。初志貫徹していれば、文化服装学院で学んで今頃はデザイナーになっていたかもしれない。大学時代から現在に至るまで「物事の本質とは何か」を考えている。人生の本質も考えていたから、他人からは新興宗教の教祖の雰囲気がすると言われたものだ。大学では、本質を追求するため物理化学を専攻した。それに嵌まって就職先も化学会社を選んだ。元素の組み合わせや反応を利用して新商品を創り出す仕事が面白かった。まさに元素ありきの人生だった。今回、元素の生成の歴史を初めて知った。誕生直後の宇宙には水素やヘリウムなどの軽い元素しか無かった。その後、恒星内部の核融合反応で、炭素や酸素、鉄までの元素が作られた。鉄より重い元素はブラックホールや中性子星の合体で生じるものと考えられていた。今まさに、中性子星の合体により、大半の金やプラチナなどの重い元素が生成されたことが観測されたのだ。絶え間ない真理の探究は、革新的な未来を拓くに違いない。
欧米の研究グループが、中性子星の合体で重力波が発生する様子を初めて捉えたと発表した。重力波は、ブラックホールなどの非常に重い天体が運動する際に時間や空間が伸び縮みする「時空のひずみ」が、波紋のように宇宙空間に広がっていく現象。アインシュタインが1916年に予言したが、ひずみは極めて小さく観測は困難だった。ブラックホールが合体した時の重力波を初めて観測したのが2年前の2015年。その研究者らが今年ノーベル物理学賞を受賞と発表されたたが授賞式はまだでホヤホヤ状態。そしてその受賞者らが、今夏中性子星による重力波観測の快挙だ。まさに新しい天文学の夜明けと言われている。中性子星の質量は太陽とほぼ同じで、直径は20kmの超高密度な物体だ。ブラックホールは合体時のエネルギーを内部に吸収するため外からは何も見えない。だが中性子星の場合はエネルギーを外部に放出する。研究者らは世界の研究機関に呼びかけ、多種多様な方法での観測を実現したとのこと。その結果、天文台や衛星が目で見える光や赤外線、電波、X線で観測し、鉄より重い元素の放出が確認された。重い元素は、電子素子や反応触媒などで人類にとって極めて有用だが、どのように生まれたかは推測の域を出ていなかった。これで中性子星の情報が分かるようになる。それが分かると素粒子物理学に示唆を与えることになる。今年のノーベル物理学賞は世紀のノーベル物理学賞と言えそうだ。
神戸製鋼のデータ改ざんや日産自動車の検査不正などで目立たないが、商工中金も不正の塊だ。商工中金は政府と民間団体が共同で出資する唯一の政府系金融機関だ。小泉政権時に民営化が決められたが、リーマンショックで見直され政府の関与が継続し今に至っている。政府が噛んでいるいるから真面かと思うと、決してそうではない。経産省の天下り先で、社長は元経産省事務次官。内実はハチャメチャだ。主として中小企業金融の円滑化のため、預金の受け入れ、資金の移動や貸し付け等の業務を行っている。リーマンショックや東日本大震災など政府が危機と認定した事象によって、一時的に経営が悪化した中小企業に低利融資する制度で不正が行われていた。しかも全店でだ。デフレを拡大解釈して、本来は危機的状況でない企業にまで低利融資を行っていたという。更に企業経営が悪化したかのようにデータを改ざんし融資して融資実績を水増ししていたというから相当悪質だ。元事務次官は、国のお金は湯水とでも思っているのだろうか。民営化を推進し、天下りを根絶すべきだと思う。
夕方のニュースによると、今年3月那須茶臼岳での訓練中の高校生死亡事故は「訓練を主催した県の高校体育連盟の危機管理意識の欠如が最大の要因だ」と検証委員会が報告したとのこと。7つの高校の山岳部の生徒らが雪崩に巻き込まれ、生徒ら8人が死亡し40人がけがをした痛ましい事故だった。検証委は「7年前にも同じ雪崩が起き重大事故が起きていた。だが県連盟に報告されず、文書も引き継ぎされていなかった。悪天候にもかかわらず訓練の代替案が事前に準備されていなかった。更に訓練変更の内容は、気象データや専門家の助言に基づいたものではなく、危険性の十分な認識を欠いた状態であった」と当時の指導員をボロクソに指摘している。果たして本当にそれが正しい指摘なのだろうか。事故が起きる前と後では見方が違うものだ。事故前に指導員は7年前の事故を身にしみて感じていたのだろうか。悪天候を予想しても万全の計画を立てる人などいるのだろうか。気象の変動に逐一専門家の助言を仰ぐ山男などいるのだろうか。次々と疑問が湧いてくる。簡単に言うと検証委の検証は後付に過ぎないと思う。では、実際の現場ではどうだったのだろうか。あくまで推測ではあるがこうだ。訓練に参加した高校体育連盟の幹部には冬山のベテランがいた。ベテランの言うことは絶大だ。異論を挟もうとしても誰も挟めるはずが無い。権威とはそういうものだ。そういうものは検証しても表には現れない。もっと厄介なことは、ベテラン自身がオピニオンリーダーであったことに気付かないことだ。でも、ベテランは、きっと管理者全員の責任とした検証委の報告に納得しているに違いない。結果として検証委の検証は役に立たないものと言えそうだ。
酷いギックリ腰になってから早くも1週間が経った。幸い経過は順調。腰を庇いながらも普段の生活に戻りつつある。普段は、朝食後に歯を磨いて洗顔し、その後に電気シェーバーで髭を剃ることがルーチン化していた。だがギックリ腰発症時は腰を曲げることが出来ず、洗顔が出来なかった。次いでという訳でもなかったが、毎日髭を剃ることも止めてしまった。改めて1週間後の鏡に映った自分の顔を見ると、小さな発見があった。第一の発見はアゴ髭にかなりの白髪があることだった。今まで毎日剃っていたから分からなかった。剃らずして初めて知った我が身の出来事だ。鼻の下の髭は昔から格好が良い。カイザー髭とでも言うのだろうか。どじょう髭でもないし、チョビ髭でもない。勿論山賊髭でもない。形を整える訳でもなく富士山型に凜々しく生えている。しかも、頭髪とアゴ髭はロマンスグレーになってきたのに、眉毛と鼻の下の髭は真っ黒で白髪が無い。これも期せずして分かったことだ。突然ギックリ腰になってしまって我が身の不幸を嘆いていたが、ギックリ腰もそれ程悪いものでもないと思うようになった。普段は分からない自分を再発見させてくれるのだから。「災い転じて福となす」と言うよりは「不幸と幸福を足すとゼロではなくプラス」ということなのだろう。勿論「不幸と幸福を足すとゼロではなくプラス」という言葉など聞いたことが無いだろう。今、初めて自分が創作した言葉なのだから。
上には上があるものだ。いや、下には下がいるものだ。東洋ゴム以下の会社があった。神戸製鋼だ。2度あることは3度ある。3度あることは4度ある、とまで言われた東洋ゴム。免震ゴムに続き防振ゴムのデータ改ざんが明るみに出て、再発防止策が打たれたが、その下でも改ざんが行われた。救いようのない会社だ。でも不祥事は全て同じ工場からだった。一方神戸製鋼は聞くに堪えない。まずアルミ地金のデータ改ざんが明らかになり、その後出るわ出るわの大騒ぎ。主力製品である線材などの鉄鋼事業でも不正があきらかになり9製品に及ぶという。神戸製鋼の事業は縦割りだが、殆どの事業で不正が行われていた。取締役会で把握しながら今まで公表せずに隠していた。グループ会社での不正も判明し、中国やタイなど海外拠点で生産した製品でもデータ改ざんや未検査出荷もあったという。これほど改ざん一色の会社も珍しい。何故こうなったのか理解に苦しむ。社訓には「KOBELCOの3つの約束 神戸製鋼グループの社会に対する約束事であり、グループで共有する価値観。1.信頼される技術、製品、サービスを提供します。2.社員一人ひとりを活かし、グループの和を尊びます。3.たゆまぬ変革により、新たな価値を創造します。」とある。この社訓をジッと眺めていると見えてくるものがある。社訓はお約束事を最も大事にしている。客との約束を守るために、不良品でもデータを改ざんし、スペック通りのデータを添えて出荷する。グループの和を尊ぶゆえに、全社一丸となって改ざんに走る。社訓を「絶対改ざんしない」と改めれば、不正は無くなるかもしれない。そんな訳は無いほど、根が深そうだ。
今回の衆院解散の大義について、安倍の「国難突破解散」に対し、野党は「モリ・カケ隠し解散」だと主張している。10日の公示前TBSで党首討論が行われた。野党は揃ってモリ・カケの情報公開について集中砲火を浴びせたが、安倍は「この問題は自分が関与していたかに尽きる」と問題をはぐらかした。更に収録の合間に「いつまでモリ・カケやってるんだ!」と声を荒らげ、突然怒り出したという。丁寧に説明すると言っていたのに、舌の乾く間もなくこの始末だ。公示後テレビ朝日でも党首討論が行われた。これもモリ・カケ問題に時間の大半を消費した。党首討論としてはお粗末だ。公示前と後では、党首討論の意味合いが全く違うはず。公示前であれば、何のための解散なのかを討議する必要がある。TBSの党首討論は、内容的には収穫は無かったが当は得ていたと思う。だが、テレビ朝日の党首討論はいただけない。既に公示後なのだから、政策を中心に討議すべきものであった。この時こそ、安倍は「いつまでモリ・カケを」と怒り出し、議論を真面な俎上に載せるべきだったと思う。国民は解散に大義は無く、モリ・カケ隠しだと認識している。驕った安倍政権への批判は強い。懲らしめたいと望んでいる。だが自公の圧勝が予想されている。困ったものだと思う。最早自民自身による自浄作用しか期待出来そうもない。寂しい限りだ。
サッカーW杯南米予選で6位に低迷し、本戦出場が絶望的で大陸間プレーオフも危ぶまれていたアルゼンチンが奇跡的にW杯出場権を獲得した。アルゼンチンは予選最終節でエクアドルと対戦。開始早々エクアドルが1点を先制したが、メッシのハットトリックで逆転し3-1で快勝。その結果3位に這い上がり本戦出場権を獲得した。強豪アルゼンチンの底力が見事に発揮された最終戦だった。一方既に出場権を獲得している日本はショボい試合が続き、実力は落ちるばかりだ。キリンカップで世界ランク113位の格下ニュージーランドに対しベストメンバーで戦い辛うじて2-1の辛勝。48位のハイチとは控え選手主体で3-3の引き分け。ベストメンバーで臨んだ対ニュージーランド戦では日本の実力の低下が現れていた。対ハイチ戦ではボロボロだった。ハリル監督が選手の不甲斐なさに怒っていたが、原因は選手なのだろうか。連携プレーも経験したことの無い控え選手を寄せ集めても機能するチームが出来る訳がない。それを機能させるのが監督の仕事のはず。その上でゲームで采配を振るうことになる。現実は、控え選手に自信を無くさせ、やる気を削いでいる。育っていない。レギュラーは劣化し、控え選手を潰している。次回の対ブラジル戦がハリルの最後の采配になるかもしれない。
ゴルフのベストシーズンだというのに、今日のゴルフはキャンセルした。ギックリ腰になってしまったからだ。5日ほど前、近所の店で商品を見るため少し屈んだとき、右腰に痛みが走った。騙し騙ししながら、普段の倍以上の時間をかけて我が家に辿り着いた。でも思の外軽症で、ゴルフが出来そうなほど回復した。ところが3日前書斎で机に向かっているとき、急なクシャミに襲われた。いつもならばクシャミ時の筋肉の収縮による衝撃を机に手を着いて和らげるのだが、その暇が無かった。クシャミの衝撃により腰の裏側に激痛が走った。痛さはほどなく消えたが下半身を動かすことが出来なくなった。じっとしていれば痛くはないが、立ち上がろうとすると筋肉が硬直し激痛がやってくる。1時間以上唯々椅子に座る時間が続いた。椅子と尻が接着してしまったかのように椅子と身体が一体化し、思いがけず初めて車椅子生活の大変さを体験した。痛み止めを飲みひたすら待った。なんとか立ち上がることは出来たが歩けない。少しでも右腰に力が入ると硬直し激痛がやって来る。傍にあったゴルフクラブ2本を杖代わりにして寝室に着いた。ベットに横たわるのも一苦労だった。何もかにもがスローモーションの世界だ。いつもならば1秒足らずで横になれるのに15分くらいかかってしまった。寝返りも容易ではない。あれから3日が過ぎた。寝起きや椅子の腰掛けには苦労するが、杖無しで歩けるようには回復した。病気になると健康の有り難さがしみじみと分かるものだ。
希望の党に民進党を売った前原が窮地に立たされている。地元京都では反前原運動が勃発したとか。当然だと思う。前原は2つの大きな過ちを犯した。前原は代表に就いたとき既に保守とリベラルに分党すべきと思っていたと告白している。1つ目の過ちは、党代表として分党しなかったこと。分党後、希望にすり寄れば首班指名も夢ではなかったはずだ。ところが分党を小池に委ねてしまった。2つ目はリベラルも含め全員で希望に移籍出来ると、仲間を騙して移籍の了解を得たこと。首相が解散についてウソをつくことは政界の常識と認められている。だが前原のウソは詐欺行為で悪質だ。騙される方もチョロいが民進党全員を敵に回した。リーダーとしての素質は無い。と言うよりも、政治家としても人間としても失格だ。今後一生「仲間を売った裏切り者」というレッテルが付いて回ることになるはずだ。政治家として生きていく道は残っていない。もう選挙に出るよりは、政治家以外の道を探した方が賢明だ。だが信頼を必要とするチームワーク的仕事には拒絶される。残された道は、一匹狼の悪役評論家かネタばらしタレント程度しか有りそうも無い。
ソニーの平井社長がイヌ型の家庭用ロボットAIBOを復活させると発表した。3年前にAIBOのメンテナンス事業を廃止し、AIBOに死亡宣告を突きつけたのは平井本人だ。メンテナンス事業の廃止が、何を意味するのかは「医師に見放されたAIBO」に書いた通りだ。先端技術の放棄とペットのト殺を意味する。その張本人が、ぬけぬけと今になって嘗ての技術者を招集して再開するという。自ら手にかけて殺したAIBOを天国から地上に無理矢理引き戻そうとする行為だ。悪魔のなせる技か頓馬のなせるドジと言える。どの面を下げて頼みに行けるのだろう。平井の心変わりはAIの進化にあるようだ。GoogleなどがAIを目を見張るように進化させている。今更ソニーがGoogleに追いつくことは出来ない。でもAIとメカの融合ならばと誰かに諭されたに違いない。しかし、3年のブランクは大きい。もし、AIBO事業を継続していれば、今頃ソニーはAIロボットの第一線で活躍していたかもしれない。平井の致命的な欠陥は3つある。AIBOが先端AIに繋がっていることを見抜ける素養が無かったこと。ペットを殺すことに躊躇する人間的な感情を持ち合わせないこと。劣性がはっきりしてからAIを後追いする見識の無さ。経営者としては失格だ。ソニーには、未来を見通せる経営者が必要だ。第二の大賀典雄の登場が待たれてならない。
このところ毎日のように政界の事を書いている。傍からは相当政治ネタが好きそうに見えるだろうが、自分は決して政治が好きな訳ではない。何故なのだろうかと考えてみた。よくよく考えると、今の政治が生活に直結し、かつ面白いからだという結論に至った。本来はウイットのある随筆風の文章を書きたかった。だが、才能に乏しく、題材が次から次へと湧き出る訳ではない。書き初めは、これは面白いという事を書く。次は面白さを捻り出す。その次は苦みの先に枯渇を味わう羽目になる。所詮その手の才能は無いのだからしょうが無い。でも何か心に感じたことを書きたいと思うように変わってきた。その対象が世相だった。世相は変わる。目まぐるしく変わる。そこに自分の居場所は無いが、一言くらいは参加出来る。それが良い。自分は元々若い頃から視野を広くするよう努めてきた。何事に付け第三者的判断が出来ることこそ最上と思ってきた。今もそれを実行しているつもりだ。だから今の自分は縦横無尽に野を駆け巡る犬にでもなったかなような気持ちがしている。でも15年前に会社を辞める時の自分は違う。その頃は仕事に集中していた。経済のことは少しは興味があったが、政治のことは全く無関心だった。だが今になって、政治が企業活動や生活に直結していること実感するようになってきた。興味の対象は、仕事から世相に変わったが、好奇心は尽きない。老いて再び児子になる、ということかもしれない。
希望の党が「ユリノミクス」なる経済政策を発表した。アベノミクスを補完するもので、民間活力を引き出し経済成長と財政再建の両立を目指すというもの。目玉政策は、内部留保への課税だ。アベノミクスで企業の内部留保は400兆円に膨らんでいる。だが、設備投資や賃金に反映されないから景気は一向に良くならない。内部留保に課税すれば、消費増税分の財源になる。美味そうな話だが、内部留保税は法人税との二重課税と言えそうだ。そう一筋縄では行きそうもない。寧ろ安倍政権が下げた法人税率を上げるべきだと思う。安倍は海外企業の取り込みや国内企業の流出防止や設備投資拡大を狙って法人税を下げたが、効果は出ていない。現在は法人税率で企業が立地を検討する時代ではない。企業から見て投資する対象が無いからだ。だから内部に貯め込むだけになっている。一方ユリノミクスの一環で「希望への道しるべ」として、12のゼロ政策を掲げた。原発ゼロ、隠ぺいゼロ、企業団体献金ゼロ、待機児童ゼロ、受動喫煙ゼロ、満員電車ゼロ、ペット殺処分ゼロ、フードロスゼロ、ブラック企業ゼロ、花粉症ゼロ、移動困難者ゼロ、電柱ゼロ。玉石混淆だが、美辞麗句で固めて具体策が分かり難い他党の公約よりも具体的で明解だ。問題は「ユリノミクス」の英訳urinomics。urinomicsの和訳は「尿政策」。この政策が垂れ流しにならなければ良いのだが。
希望の党が公認・公約を巡り綻びが生じているとのことだが、選挙公約は的を射ていると思う。公約は、安倍政権の憲法9条自衛隊明記に反対、消費増税10%の中止、安保法・秘密保護法・共謀罪法の違憲3法の廃止、原発ゼロ、外国人の地方参政権付与に反対などだ。憲法改正は姑息な手段を使わずに正々堂々と全国民を入れて議論すべきものだ。国は1000兆円の負債というが、政府資産を見直すべきだ。「財務省と大新聞が隠す本当は世界一の日本経済:上念司:講談社α新書」によると、政府は700兆円の資産を持っている。日銀も含めれば、日本の資産はプラス。従って、消費増税など全く必要ない。秘密保護法は隠蔽の温床となるし、共謀罪法は世界の常識であるプライバシー保護を全く無視しており、乱用されることは目に見えている。未だに福島の住民は帰ることが出来ないし、原発事故の後処理の見通しも立っていない。今後は事故だけでなく原発テロも予想されている。原発再稼働はクレージーとしか言い様がない。日経はフランス人を想定し、付与反対に苦言を述べているが視野が狭過ぎる。今でも中国が北海道の水源地を買収している。もし参政権が付与されれば、中国は国策として大量の中国人を沖縄に移住させ、選挙により中国特区になるか中国そのものになる恐れもある。希望の党の公約は、安倍政権の愚策を是正するもので極めて真面な内容だと思う。しかし残念ながら将来に希望の光を抱かせる前向きな政策は無い。所詮小池個人の発想の限界かもしれない。
憲法とは国の統治のあり方を定める基本的なルールだ。そのルールをベースに法律が出来ている。憲法は「国民が国家に守らせる法」であり、法律は「国家が国民に守らせる法」であると言える。憲法は誰のものかと言えば「国民が国家に守らせる法」なのだから、当然国民のものに違いない。言い方を変えれば、憲法は国家権力から国民を守るためにある法なのだ。国家は思想弾圧や徴兵制などの制約を国民に課そうとしても憲法が阻む。その憲法の下で国民は思想や表現の自由や苦役から逃れることが出来る。憲法は国民のものなのに、政党が勝手に率先して改憲しようとしている。これでは本末転倒だ。憲法は未来永劫変わらないというものではないから、時代に合った改正は必要だ。本来在るべきプロセスは下記の通りだ。まず国民の間で憲法を改正すべきという世論が高まる。憲法改正を論点とした選挙で改憲か護憲かが決まる。改憲であれば草案が作成され憲法改正発議が行われる。国民投票で賛成が過半数を占めれば改憲される。政党が出来ることは、国民が議論しやすいように改憲案を作成しマナ板に乗せるところまでだ。だが、改憲案を党の選挙公約にして勝てば、国会で改正しようとするのが現実だ。だが改憲は公約の一つに過ぎない。自民が勝っても改憲に賛成したとは言えない。選挙結果で改正に動くことは全く間違っている。これでは憲法が政党や国会のものになってしまう。今我々は「憲法は国民のものだよ」という大きな声を挙げないといけないと思う。
希望の党から排除されたリベラル派枝野が立憲民主党を立ち上げた。民進党が保守系とリベラルに分かれ、分かり易い構図になった。それにしても「立憲民主党」とは、古色蒼然たる名称を選んだものだ。立憲何々党という言葉は半世紀以上前の高校時代に授業で聞いたことがある。もう忘れてしまったので調べてみると、明治時代に大隈重信が中心となって結成した「立憲改進党」だ。どうやら党名というものは、進化しない類いらしい。いや中身が進化していない所為かもしれない。辞書によると、立憲主義とは「憲法に基づいて政治を行うという原理」と書いてある。今の日本は立憲主義なのだから、ことさら「立憲民主党」と名乗るのは奇妙な感じがする。寧ろ「護憲民主党」と名乗った方が当を得ていると思う。今回の衆院選の焦点の一つは改憲か護憲かだ。自民は憲法に自衛隊を明記する積極的な改憲派で、希望は具体策は無いが心情的な改憲派で、立憲民主と共産が頑固な護憲派に色分け出来る。今回の選挙で改憲派が圧倒的多数になる。だが、国民の間では憲法論議など盛り上がってはいない。政治家だけが先走りしている。国民も憲法とは何か、どういう位置づけなのか、どうあるべきなのかを考える時期が来つつあるようだ。
矢沢永吉のCM「やっちゃえ日産」でお馴染みの日産が、全面改良した電気自動車リーフの発売日である今日、緊急会見を開いた。でも会見の内容はリーフではなく、121万台のリコール。リコールの原因は無資格者が完成車検査を行っていたのが国の検査で判明したからだ。自動車メーカーは、道路運送車両法に基づき、出荷前の最終段階で完成検査を実施する。完成検査は本来国が行う検査だが、それぞれの工場が代行している。社内で完成検査員と認められた従業員が検査することになっている。しかし、日産では国内の全工場で無資格の補助検査員も行っていたという。簡単に言うと、実質的な完成検査は行われていたが、法律に基づく国の完成検査を受けずに121万台も出荷していたということだ。杜撰な管理体制だと思う。しかも、原因究明には1か月もかかるという。普通の会社であれば3日で原因究明と対策までこぎ着くことが出来る。何とも悠長な会社のようだ。経営管理にも問題があるようだ。一方で検査を丸投げする国交省の体質にも問題がありそうだ。日産といえば、不正塗れの三菱自動車に乗り込んで、真面な会社に立て直すと意気込んでいた会社だ。せめてCMを「やっちゃえ日産」から「やっちゃた日産」に変えてウソでも猛省ぶりを見せるべきではないかと思う。やっちゃえ日産。
希望/民進の合流問題について、大物政治家の問題発言・姿勢がいやに目立っている。安倍首相は「看板を変えた政党に希望は生まれない」と批判し、菅官房長官は「選挙目当ての数合わせだ」と批判している。安倍は自民党総裁でもあるから、他党を批判するのは分からなくはない。だが菅は自民党員である前に官房長官だ。その地位の人物が露骨に他党を批判するのは禁じ手だ。公明山口は、これぞとばかりに民進に対し過激な発言を繰り返している。公明の本来の主張は、自民よりも希望に近い。過激な発言をするほど山口がダーティに見えてくる。希望との合流を決めた前原代表は、仲間を売った政治家として悪名を残すことになるだろう。希望での政治生命も長くは続くまい。希望合流に真っ先に喜んだのは菅元首相だ。自分が拒絶されるなど夢にも思わなかったようだ。志が低く浮き草のようなもの。いや川に流れるゴミ同然と言うべきだろう。野田前首相は「先に離党した奴の股ぐらを潜れるか」と息巻いているが、不思議なことに民進の命名に拘った旧維新の江田の声が伝わってこない。真っ先に希望に歩み寄りたいだろうに、いまは唯々チャンスを窺っているのかもしれない。共産党との共闘に熱心な枝野も希望への合流を望んでいた。まさに選挙目当ての泥船からの脱走そのもの。理念も恥も無いことがバレバレだ。ここにいる大物政治家は、品格と人格と信念が疑われる面々と言えそうだ。