ニューヨーク市が肥満防止のためコークのサイズを規制した条例の施行が、裁判所により差し止められたらしい。ブルームバーグ市長は2千人以上のニューヨーカーが糖尿病の影響で死亡したとして、上告する意向を示したとのこと。NYのコーラ問題は三権分立に触れる問題のようだ。問題の因果関係はある程度はっきりしている。コーラはダイエットの敵であることは間違いない。だからコーラの飲み過ぎをセーブさせることは人道上正しいと言える。だがコーラは民間会社が任意に販売しているものだ。そのコーラを健康上悪いかと言って、販売に箍を嵌めて良いのだろうか。行政が司法をコントロールしようとしているようだ。それが問われている裁判だ。正解は、裁判所の判断は間違っている、箍を嵌めるべきだと思う。本来、人が太ろうが痩せようが問題ではない。そんなことに行政が首を突っ込むことではない。しかし、市民の大勢が太って糖尿病になる事実を見ていながら、それは本人の問題だと涼や顔をしている行政は仕事をしていないのと同然と言える。司法は常に正しいとは限らない。総論反対各論賛成。
連合会長に「目を覆いたくなるような党内の混乱に費やす時間はない」と苦言を呈された民主の海江田代表も恥ずかしいが、横路前衆院議長の発言も恥ずかしい。横路が労働組合の会合で「有権者の2割の支持しかない自民が戦後日本の社会を基本的に変えることを許してはならない」と言ったとか。確かに投票率5割で自民票4割だから2割が支持したことになる。数字は合っているが中味が間違っている。問題は投票率だ。自民、公明、共産は手堅く組織票を固め躍進した。一方大量の浮動票は棄権に回った。投票率が大幅に下がったのは浮動票が棄権したからで、その最大の要因は民主への失望にあるのは明白。横路ら自身が投票率を下げたのに、下がって選ばれた政党の正当性を認めない自己矛盾。投票率低下を非難したり嘆くことの出来る人は、投票した人だけだ。国会議員に投票率低下を云々する資格はない。泥棒にも三分の道理と言う諺があるが、横路には一分の道理もない。まさに盗人猛々しいとは、こういうことを言うのだろう。
昨年末に引退を表明した松井秀喜の引退セレモニーがヤンキースタジアムで行われた。ヤンキースは松井と一日限りのマイナー契約を結び、松井をチームの一員として迎えた。松井はヤンキースに7年在籍し、2009年にはワールドシリーズのMVPを獲得した。その後、エンゼルス、アスレチックスに移り最後はレイズで野球選手人生を終えた。野球界では引退した選手の元の所属は最後に属したチーム名にするのが慣習だ。だからヤンキースが一日限りの契約を結ばなければ、元レイズの松井というふうに紹介されることになる。松井の背番号は55。引退セレモニーの日は今季のヤンキースの55試合目のホームゲームの日。ヤンキースの対戦相手は奇しくも何とレイズだ。ヤンキースは何故松井と一日限りの契約を結んだのだろうか。当時のトーリ監督は、松井のチームの勝利を最優先する献身的な姿勢を絶賛していた。ジーターと並ぶ模範選手と評価しているのだろう。ヤンキースから見ても、元ヤンキースの松井と呼ばせたかったに違いない。松井にとっても元ヤンキースは勲章だ。これからはその勲章を背負って野球界の更なる発展に力を尽くしてほしいものだ。
PGAカナダオープンが面白い。石川遼は残念ながら予選落ちしたが、松山英樹は16位に食い込んだ。日本人選手の海外での活躍は何とも誇らしく自然に応援をしたくなるものだ。だがこの大会ではそれ以上に応援したいと思ったアメリカ人がいた。ハンター・メーハン選手だ。2日目終了時点で2位に2打差をつけて首位に立っていたが、急遽棄権した。奥さんの陣痛が始まったとの連絡があり、出産に立ち会うためダラスに帰ってしまったのだ。日本人には考えられないことだ。日本人なら仕事が優先、たとえ親の死に目に会えなくても仕事を遂行するものだと教わってきた。ましてや子供の出産に立ち会うため仕事を投げ出すなどもっての外と言われそうだ。日本には仕事至上主義の人が多い。しかし親の死や子供の出産以上に大事な仕事をしている人はどれほどいるのだろうか。やせ我慢などせずに素直に心の命ずるままに行動した方が、豊かな人生が送れると思うのだが。メーハン選手の次回の活躍を願っている。
極最近興味を持ったことについて話してみたい。自分は物書きを目指しているので模範になりそうな作家を常々チェックしている。その一人が高橋源一郎。この人の言葉は百戦錬磨というか才気満開で、思っていることを伝えることが抜群に上手いし的確だ。しかも、その文章を読んでいるだけでライブ感を味わえるのが良い。源一郎は文章の達人というよりも、抜群の感覚を伝えることの出来る才能を持っていることに特長があるのだと思う。「国民のコトバ:高橋源一郎:毎日新聞社」を読んでみた。内容は一長一短あり、部分的には普通の人には薦めない方が良いのかもしれないとも思うところもある。だが世界中の誰にも絶対読んでほしいと思うピカイチな章を見つけた。「ケセンな」ことばだ。「イエスの言葉 ケセン語訳:山浦玄嗣:文春新書」を紹介し、自分なりの見方を加えてある。源一郎の解釈というよりも、人間の真理を突いているのだと思う。ケセンという気仙語が当時のキリストの生の言葉を言い表している。すぐ読みたいと思いアマゾンで注文した。自分がケセン人になれたら、と思うがまだ読んではいない。ケセン語が世界の宗教界を一新するような気がする。と言うよりもケセン語の普及こそが世界平和に繋がることになることとは間違いないというような気になってきた。読んでからまた発信したい。山浦さんの新解釈新約聖書を。
大敗した野党が揉めている。現体制維持派と体制刷新派と政界再編派の三つ巴になっている。民主は菅の首も切れない海江田が続投することで弱体化が一層進みそうだ。幹事長を辞めた細野は維新とみんなとの連携を模索し始めた。維新は橋下代表が辞意を表明したが、橋下が外れれば維新消滅は必至なので慎太郎は慰留に必死だ。みんなは総会で渡辺代表と江田書記長がいると議論が出来ないとのことで、両者とも退場を命ぜられた体たらく。社民は福島がやっと辞意を表明し消滅すかに見えたが、脱原発の山本に擦り寄っている。自民が大勝しネジレが解消した今、個々の政党、個々の派閥が自説を叫んでも雑音にしかならない。ゴーイングマイウェイの共産を除く野党は、まず初めに対自民の対立軸を設定する必要がある。そのためにやるべきことは解党することだ。党の柵から離れ日本の行く末を考えて、議論しながら対立軸を模索すべきだ。時間はタップリある。向こう3年間は選挙がない。実行出来れば野党は立ち直れるはずだ。だが器の大きい旗振り役はいない。自民の天下が続きそうだ。
日本郵政が米アフラックと業務提携すると発表した。米政府は長年日本の保険市場の閉鎖性を指摘し、日本郵政の郵便局ネットワークをかんぽ生命以外の民間保険会社にも全面開放するよう求めていた。日本のTPP交渉が始まったので、日本郵政はどの道何処かと組むことになると踏んだから業務提携に踏み切ったのだろう。TPPの進展に拘らず、今後は全国2万か所の郵便局でアフラックへの勧誘が行われることになる。だが日本郵政は民営化されているのだから、どこと組もうと問題はない。しかし、一方で問題な公共組織もある。商工会議所だ。商工会議所は法に基づいて経産省が所管する特別認可法人で、国からの補助金を受けている。だから、法で特定の団体等の利益を目的とした事業は行ってはならない、と規定されている。商工会議所は全国に514あり、それに属する会員事業所は127万もある。その商工会議所が仏アクサの代理店紛いとなり、会員事業所にアクサ保険を斡旋しアクサから数十億円の手数料を得ている。これは明らかに違法行為だ。TPP以前に違法であろうがなかろうが、日本の保険市場が解放されているのは間違いない。
カネボウの美白化粧品が問題を起こしている。美白にならず醜白になる。症状を訴えた件数は、5月13日に3件、その後の調査で39件になり、現在は重い症状の訴えが2250件。販売済みの回収対象商品は45万個あり、7月4日から回収を始め約15万個を回収したとのこと。消費者庁は5月の時点で使用中止を呼びかけていれば少しでも被害を防げたはずだと言っている。だがもっと前に販売を中止すべきだった。45万個販売で重症2250件だから発生率は0.5%。発生率としては極めて高い数値といえる。これ程の数値であれば、販売前のテストで重症例が確認されていたことは間違いないだろう。問題が有りながら何故販売に踏み切ったのだろうか。品質安全チェック体制が杜撰なのか、品質安全よりも販売計画を優先させたのか、親会社の花王流の効率化による業績改善の副作用によるものか、原因はその何れかだろう。カネボウはこの問題で被害者への治療や相談や補償で相当な費用が発生するだけではなく、商品全体の売上が大幅に落ち込むことになる。醜白問題は時間が経てば解決するだろうが、失われた信用は戻ってこない。品質安全を軽く扱うときついしっぺ返しが来るものだ。
土星探査機カッシーニが15億キロ離れた地球をとらえた写真を送ってきた。写真には土星と土星の輪の向こうに芥子粒みたいに小さな地球と月が写っている。その芥子粒の上では、いつの時代も国や民族がいがみ合い戦争を繰り返している。シリアのアラブの春では7万人を超える人が亡くなり、騒乱は未だに収まる気配はない。日本では野党勢力が結集出来ず自民が圧勝した。戦争でも選挙でも、もっと大局的な見方が出来れば対応は変わってくるはずなのに。月に行ったアポロ計画の宇宙飛行士たちは、月で神の啓示を受け帰還後宗教活動に転じた者が多いらしい。オランダの旅行会社の火星ツアーには2万人を超す応募があったとのこと。火星まで行くことが出来れば、神と同じレベルに到達出来るかもしれない。紛争の指導者を火星ツアーに送り込む制度があってもよさそうな気がする。
戦いを終えた戦将たちの立ち姿ほど、何を言わずとも世相を如実に語るものはない。参院選が終わった今もかくの通りだ。自民は圧倒的な支持もないのに圧勝した。安倍はラッキーとは思っているが確信はない。石破は全国郵便局長会の取りまとめに失敗し幹事長更迭は避けられない状況にあったが、圧勝という結果と真っ黒に日焼けした容姿で同情を買い何とか首が繋がりそうだ。民主の惨敗は予想通りだが、気の利いた後処理も出来ない無能ぶりだ。敗因は3代続いた党代表にあるのは明白。更に海江田の無能さが致命的で参院選で火に油を注いだことは間違いない。海江田は続投し細野は辞めるという。辞めるべきは海江田で、続投すれば民主は消滅する。日本維新も負け組だが、石原も橋下も代表を去る気配はない。石原も橋下もいなくなってしまえば、役者のいない田舎芝居の劇場に客は入らない。維新のメンバーは知っている、拠り所は政治思想や信念ではなく人気役者だということを。公明の山口は胸を撫で下ろしているはずだ。自民が大きくもなく小さくもないことを。絶対多数の与党として活動出来る。しかも自民とみんなと維新を足しても3分の2に達しないので憲法改正は出来ない。だが公明は、なれるはずのない動力のある弥次郎兵衛になろうとしている。共産の増はフロックだ。野党が乱立したため対保守票が流れただけ。議席増にニンマリする前に、党の名称を改名することの方が先決だろう。みんな、社民、みどり、大地にも一言言いたいが、傷に塩を擦り込むことは止めようと思う。
参議院選挙の投票に行ってきた。いつもと較べ人出があり、投票率が上がるかなと感じたが、前回よりも5%程度低くなりそうとのニュースが流れていた。昔は選挙結果がどうなるのか興味を持って夜遅くまでテレビを見ていた。しかし今は投票締め切りの午後8時になると、開票もされていないのに、いきなり当確情報が流される。出口調査というやつだ。NHKは1700ヶ所、14万人以上から回答を集めたらしい。民放各局も独自に同じような出口調査をやっているようで当確の判断が早い。自分は一度も出口調査に当たったことはない。もし自分が当たったとしても自分の投票内容をしゃべるはずがない。それが普通だと思っていたが、どうやら自分の方が異端らしい。出口調査の功罪を考えてみた。投票する側にとって功はない。開票もせずに当確が出てくると、自分の投じた1票の軽さを感じてしまう。自分が投票しようがしまいが既に結果は決まっているような気持ちになる。自分が棄権しても結果は変わらないように思えてくる。出口調査は、心理的に1票の重さを軽くし、更に棄権へと導く罪深いものと言えそうだ。
相手が緊張している時に、自分の力を抜いて、軽るくイナすという高度な技術ほど、自分を喜るこばせるものはない。だから自分はテニスが好きだ。今までのテニス人生を考えるとイナす世界が好きで、そのひとときの自分に酔っていたのではないかと思うくらいだ。そんな自分を喜ばせるシーンが昨日あった。球宴第1戦のDeNA浜の三浦の投球だ。球速測定不能の超スローカーブで二刀流の大谷も打ち取とった。試合後、巨人の原は三浦を絶賛したとのこと。原が褒めた理由は、簡単には打てないそのコントロールの絶品さにだ。確かに解説の工藤も、その難しいコントロールを褒めていた。三浦の一つの武器なのだろう。そして今日は阪神の藤波が日本ハムの中田に超スローボールを2球投げたらしい。超スローボールは藤波の持ち球ではない。こうなるとおふざけだ。質の悪い関西新喜劇そのものだ。球宴は悪ふざけをする場ではない。昨日は若手を褒めたが、今日は若手を嘆いた。野球人気復活の道はまだまだ険しそうだ。
久々にプロ野球オールスター戦のテレビ中継を最後まで観た。この10年位は余り観なかったし、観ても面白くもなく飽きてしまうので途中で消すことが常だった。ところが今日の野球は面白かった。先発田中対前田の投げ合いで始まり、沢村、大谷らのストレート勝負は迫力があった。何と言っても大谷がピカ一だった。150km以上の剛速球13球で1イニングを0に抑え、打者としてのヒットはなかったものの守備ではナイスプレーも披露した。ベテラン選手は最後にオマケで出てきたようなところも良かった。今日のゲームを最終回まで観ることが出来たのは、若手が主役となり活躍したからに違いない。例年であると、ベテランが大きな顔をして主役を張るが、大して活躍する訳でもない。期待以下の結果しか残せない。スポーツの醍醐味である先の分からないハラハラドキドキを醸し出すことが出来ない。だから面白くなかった。活きのいいフレッシュな顔ぶれが活躍すれば野球人気は復活しそうだ。だがそのためには、監督やオーナーの若返りが必須のようだ。
いよいよ今日から全英オープンが始まる。今年の会場はミュアフィールド。このゴルフクラブは今でも伝統を守り女性のメンバーはいないとのこと。今時そんなクラブがあるのかと思い、調べてみた。クラブの正式名称はザ・オナラブル・カンパニー・オブ・エジンバラ・ゴルファーズという。今から270年も前に創立された世界最古のゴルフクラブで、ゴルフルールブックの発祥の地でもあるとのこと。この地でこれまで15回の全英オープンが開催され、全英オープンが72ホール競技になったのも、4日間競技になったのもこのミュアフィールドだ。コースはフラットでコブやヘコミも殆んどなく、ウォーターハザードも木もなく、ブラインドホールは一つしかないフェアーな設計だ。しかしバンカーが151もあり、グリーンは小さい。ミュアフィールドの生んだチャンピオンは、プレーヤー、ニクラス、トレビノ、ワトソン、ファルド。最高の技術を有する実力者しか勝てないコースだ。ミュアフィールドはまさにゴルフの歴史そのものといえる。男女平等の時代ではあるが、伝統を守り女性のメンバーがいないことも肯ける。松山の活躍を期待したい。
絵画のことを知っているかと聞かれると、実のところ、まあソコソコと言うよりか、コソコソと言うか、あまり知りませんとしか答えようがない。聞くところによるとオランダのクンストハル・ロッテルダム美術館で昨年ピカソなどの名画が盗まれたらしい。犯人と思しき人の母親は、証拠隠滅のため地中に隠し、その後掘り起し燃やしたとの報道。盗まれた絵画は、ピカソの「アルルカンの顔」や、モネやマティスなど時価総額は100億円以上とみられている。もし本当の話であれば、文化財産の消失はまことに痛ましい事だ。だがその母親の行為はそれ以上に痛ましいことかもしれないとも思う。この母親は、窃盗という子供の罪は充分理解していたに違いない。もしかしたら子供の罪を隠すために、価値の分からない絵画を燃やしただけかもしれない。もしそうであれば母親の罪はどれ程のものだろうかと思う。要はその母親が、その価値を知っていたか否かが重要で、告白次第で、天国か地獄へ行くことになるのだろう。この事件で、嘗て日本の製紙会社の社長が「自分が死んだらこの絵を一緒に燃やしてくれ」と言った話を思い出した。この社長は間違いなく地獄へ行ってしまったのだろう、さてこの母親はどちらへ行くのだろうか。
今年4月に出版された探偵小説「The Cuckoo’s Calling:ロバート・ガルブレイス」は、僅か1500冊しか売れていなかったが、突如アマゾン英の書籍1位に駆け上ったとのこと。新人作家のデビュー作としては完成度が高いので調べた結果、ハリー・ポッターの作者J・K・ローリングがガルブレイスというペンネームで書いていたことが判明したからだ。ローリングは、大規模な宣伝や期待を背負わずに解放的な気分で執筆出来たことを喜んでいるという。ハリポタ作家という大看板を背負っていると、なかなかそこから抜け出せない見えない縛りがあるのだろう。だが名前を変えれば新たな人格や思想が生まれ、その名前が新たな発想で新たな文章を紡ぎ出し新たな世界を創り出す。たとえペンネームといえども、人格や思想が存在する証だ。大作家が異なるペンネームを使い執筆することは良い事だと思う。主題の絞り方、文章、構成等の技術は完成領域にある。その高い技術を駆使して新しい上質な小説世界を産み出してくれる。素晴らしいことだと思う。惜しむらくは作家名の発覚が早過ぎた。もっと遅ければ、驚きと感嘆と称賛が倍加していたであろうに。
先日このブログで今流行りのブラック企業について少し書いたが、自分は基本的にマイナスな事を考えたり書いたりする事は好きではない。そこで、ブラックではなくホワイトな事を考えてみた。ブラック企業というものがあるのならば、ホワイト企業というものもあるはずだ。インターネットで検索すると、あるにはある。例えば、東洋経済の新卒の定着率の高い会社はホワイト企業だというもの。四国電力がナンバーワンで、三機工業、日本化薬と続く。それはそれで良いのだが何かしっくりこない。更なる検索を続けると「はなまるうどん」なるものが現れた。讃岐うどんの専門店で、全国展開している。家族同伴の転勤OK、完全週休2日制、採用は面接官が出向くなどホワイトっぽく、更に香川のうどん他店もHPで紹介している。調べてみるとわが町のイオンにも「はなまるうどん」店があることが分かった。近日中に正体を確かめることにした。乞うご期待。
自分が生まれてこの方、テレビほど影響を受けたものはないと思う。勿論放送の内容ではなくテレビ技術の進歩にだ。小学校に上がる頃、裕福な家庭がテレビを設置するようになり、時々見せてもらいに行ったことがある。白黒のスーパーマンは今でもこの眼に焼き付いている。品川駅の街頭テレビのプロレスも懐かしい。中学生になり我が家の居間にもテレビが置かれた。家族全員揃ってテレビの前に正座して見たものだ。高校生の時はカラーになり東京オリンピックを楽しんだ。それから何十年も経ってから松下電器がブラウン管のハイビジョンテレビを発売した。当時は相当高価だったが清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入した。買ってよかったと思っている。臨場感抜群で、MLBの試合など、かつて現地で見た時と全く同じような気分にしてくれた。我が眼で見た米国のイチローとハイビジョンのイチローがダブって見えた。そして数年前3Dが持て囃された。割高を承知で購入したが、パフォーマンスが今一だった。3Dの概念は良いのだが、眼鏡が必要で長い時間見ると頭が痛くなるのが欠点だった。そして今は4Kになろうとしている。今までの自分の経験から言えば、4Kはそれだけでは成功しないと思う。より綺麗に見れるというテレビ技術だけが進歩しても発展はしない。文化を変えるテレビ技術こそが時代を切り開いて来たし、これからも切り拓いていくのだろうと思う。そこに日本のテレビメーカーの浮沈がかかっているはずだ。
日本人の死因のトップ3は、ガン、心疾患、脳血管疾患と言われている。ひと昔前はガンは治らないものと言われていたが、医学が進歩し、まるで浦島太郎が竜宮城から戻ってきて驚いているのと同じ位状況が変わっている。いま最も脚光を浴び期待されているのがFAS阻害薬。ガン細胞の旺盛な増殖力は、FASが作る脂肪酸の分解エネルギーを使っていたためだったことが解明されたとのこと。そのFASの働きを抑えればガン細胞が死滅するという。原理的に今までの抗ガン剤のような副作用もないらしい。これとは別にガンにはならないハダカデバネズミの研究で、ヒアルロン酸の分子量の大きさがガンの発生をコントロールしていることが分かったとのこと。更に有効な研究もある。末期ガンは激痛が襲う。神経が傷つく痛さはモルヒネでも効きにくい。その原因が脊髄で増えるCCL-1というたんぱく質であることが分かり、CCL-1の働きを妨げる物質を注射すると痛さが和らぐという。あと10年もすると、ガンは治せるものになり、たとえ末期になっても苦しむことも無くなるかもしれない。ガンは医学の進歩に任せるとして、心と脳の疾患は自分の努力で生活習慣を正すしかあるまい。
日中韓の経済、政治、学術分野の協力関係を話し合う日中韓賢人会議が、日中韓3カ国共通の常用漢字800字の選定草案を発表した。漢字は日中韓3カ国の共通する歴史文化遺産であり、3カ国文化交流の重要な絆で、未来志向の関係づくりに向けた原動力の一つになるとの認識が一致し創案されたとのこと。漢字の使用は中国では3千年、韓国日本では千年の歴史がある。但し中国では複雑な漢字を簡略化した簡体字が使われており、韓国では20年前位にハングル1本になり漢字は使用禁止されている。漢字は表意文字なので、簡体字でもある程度意味は解るが、ハングルは音節文字なので意味はさっぱり解らない。20~30年前の韓国のテレビには漢字交じりのテロップが流れていたので、何とか意味が通じたことを覚えている。日中韓3カ国共通の漢字800字が決まり活用されていけば、意思の疎通は格段に向上するはずだ。まさに未来志向の関係づくりの起爆剤として期待したい。
1946年に選挙権は20歳以上の男女と定められ現在に至っている。2007年に公布された国民投票法では18歳以上と規定されているが、公職選挙法が改正されていないので今でも20歳にならないと選挙権が得られない。日本は猛烈に高齢化が進んでおり、若者が政治に興味を持ちその意見も反映させるためには、選挙権の年齢を引き下げることが早急に必要だ。世界を見ても9割の国は18才以下に選挙権を与えている。オーストリアは何と16歳だ。日本は選挙権年齢については超後進国といえる。巷では一向に盛り上がらない参院選だが、高校生による参院選模擬選挙は熱を帯びつつあるようだ。高校生が中心に立ち上げた18歳選挙権を目指す団体TEEN'S RIGHTS MOVEMENTが、全国の高校生を対象に参院選模擬選挙を企画している。各党の公約を読み較べして投票してもらい、その結果は参院選終了後に公表するとのこと。未来志向の若者が長期的な視点で投票した結果がどう出るのか楽しみだ。一人でも多くの高校生が投票することを願いたい。
松山で全国知事会議があり、その議決内容には注目していた。何故なら、いま選挙たけなわの参院は、本来果たすべき「良識の府」ではなく、衆院ダッシュ即ち衆院の紛い物の位置付けにしかないからだ。現に国民は参院などに期待はしていない。参院が機能しないので、更なる機能に頼るほかはない。だから自分は機能するはずと全国知事会に期待していた。全国知事会の主な議題は道州制、南海トラフ巨大地震の防災対策、来年度国家予算への要望事項。ところが結論は、道州制を先送りにしたばかりではなく、何と地震対策は各県に跨るので国への要望事項にするとしてしまった。一体、全国知事会とは何を議論し何を提言する場なのだろうかと思う。国と同じで何も決められない。決められないと言うよりは、本来決めるべきものを上に委ねる。情けない限りだ。県知事と言えば一国一城の主。一国の主の仕事は、その国の問題にだけ対処していれば良いというものではない。一国の主であるからこそ、全体の視野を持ち、他国との揉め事の解消や提携をはかるべき立場にある。そうする場が知事会ではあるのだが、その常識が通用しない。と言うよりは、はなからそんな心構えなど全くない。小粒の知事など寂しい限りだ。参院もダメ、知事会もダメとすると、国会は一院制しかないのかもしれない。
「日中未来の子ども100人の写真展」が上海と北京で開かれている。9月には福岡と東京で開催される。尖閣問題で日中間がギクシャクするなか、両国の未来を担う子ども達の姿を通じて相互の理解を深めてもらおうという趣旨の写真展だ。中国に住む日本人と中国人の有志が企画し、約千名の関係者がボランティアとして参加するらしい。見学に来た中国の小学生は「日本の子ども達は、自分達と生活の様子も顔も変わらないことが分かり、是非友達になりたい」と言い、主催者は「未来の主役になる子ども達の表情と言葉から、大人が現状を考えるきっかけになればよいと思う」と抱負を語っている。だが中国は今でも反日教育を徹底している。中国政府が誘導していることもあり、事ある毎に反日デモが起きる。しかし、実際に日本に来て日本を肌で感じた中国人は、殆んどの人が日本を好きになるという。結局ギクシャクの原因は両国政府の突っ張り合いと民間人の認識不足にあるのだろう。突っ張り合いだけでは物事は進まない。両国政府は柔軟織り交ぜた外交政策を取るべきだ。100人の子ども達が民間交流の大切さを教えてくれた。
最近ブラック企業という言葉をよく耳にするが、会社の実名は聞いたことが無い。社員を人間として扱わないノルマ達成至上主義の会社で、きつい、汚い、危険の旧3K職場ではなく、きつい、帰れない、給料が安いの新3K職場に近いように思っていた。かねがねどの様な企業をいうのか興味はあった。先日ブラック企業大賞なるものがあることを知った。労働組合や弁護士や大学教授らで構成するブラック企業大賞実行委員会が選考するとのこと。この委員会にはブラックと認定する基準がある。労働法違反による行政処分が出ていること。過労自殺などの犠牲者が出ていてそれが労災であると認定されていること。労働環境などをめぐって裁判になり企業側が負けていること。この3点だ。この賞は今年が2回目で8月に決定されるらしいが、その候補8社の社名と理由が公表された。過労自殺が労災に認定されたワタミ、追い出し部屋が違法とされたベネッセ、長時間労働で鬱病を発症した王将フード、突然死した社員に損害賠償命令が出た東急ハンズ、自殺の損害賠償を求められた西濃運輸等有名な会社ばかりだ。どうも自分のイメージとは異なる。これらの事例はレアケースで、ワタミも王将も東急も、社員は前向きで楽しく働いているように見えるからだ。そういう意味ではこの委員会の賞はブラック企業新人賞の方が合っているのかもしれない。大賞は、もっと目に見えないところでアクドク社員に蟻地獄の苦しみを強いている会社に与える方が世の為になりそうな気がする。
恒例の第一生命保険による「大人になったらなりたいもの」調査の結果が発表された。男子の1位は3年連続で「サッカー選手」女子の1位は16年連続で「食べ物屋さん」だったとのこと。こういう調査が長年続くと世相の移り変わりも感じる事が出来て楽しいものだ。だが、さらに推し進めて「なりたいもの」と言った子供をトレースして、その後どう変わったのかを調査することが出来れば、まさに生きたデータになることは間違いないはずだ。一例として、自分の例を示してみよう。小学生の頃、兄から「お前は大学の先生になると良い」と言われた。その言葉に影響されて中学生の頃は考古学者になることを考えていた。高校に入り苦手な化学を克服したが、実は洋裁かデザイナーで身を立てたい思っていた。取りあえず大学では化学を専攻して、その後すぐに洋裁の世界に進む積りだった。ところが化学の大学院に進み、更に化学会社に就職した。そしてその後30年以上化学会社の仕事をした。化学の仕事は楽しかったし、充実していたので悔いはない。そして55歳で退職し、今の生活をしている。一言でいうと「理系から文系へ」だ。マンション管理士の道も考えたが、今は物書きになることを目指している。自分の時の流れを並べてみると、今時のサッカー選手かもしれない第一志望が考古学者であり、それがデザイナイーに変わり、化学者になり、そして今は物書きの卵になっている。よくよく考えると大切なことは、なりたい自分になることだと思う。変遷したっていい。なりたい自分を追うのであれば、と思う。
東電社長と新潟県知事との会談のニュースを見たが、何か違和感を覚えた。東電は赤字回避のため柏崎刈羽原発の再稼働を目指し、安全審査を申請することにした。それを説明するため知事に会いに行った。知事は「何故取締役会にかける前に地元に説明しなかったのだ。地元の事前了解が先だ。申請を何故急ぐのか」と言い、挙げ句の果ては「やっぱりお金ですか」と蔑んだ。一方東電社長の受け答えは心許ない。何とか地元の了解と申請を同時進行でやりたいと言うのが精一杯だった。この構図は、意地の悪い代官が、関所を通る町人に無理難題をふっかけ甚振る光景とそっくりだ。泉田知事は就任直後は中越地震の後処理に活躍していたようだが、10年近くも知事を務めたので悪代官化したようだ。元々官僚出身なのでお金は天から降って来るものだと勘違いしているらしい。経済音痴と言える。一方広瀬社長は何のために新潟に行ったのだろう。泉田が「福島原発事故の検証なしに再稼働の議論はしないのが原則」と公言していたことは知っているはずだ。それに対する回答案もなくノコノコ出向き追い返された。子供の使いの方がもっと気が利いている。とても超一流会社の社長の器ではない。混迷は果てしなく続く。
非常に珍しいことだが、昨日も今日もカミサンのいないフリーな日になった。孫の手術の関係でカミサンが長男の家に泊まることになったからだ。我が家では、テレビの観たい番組はスポーツ以外は録画して、観たい時にCMを飛ばしながら楽しむことが多い。今日はカミサンもいないので普段は観ないような番組を直接見てみようと思った。偶々「名曲ベストヒット歌謡」という番組を見た。1960年から80年までのヒット曲を特集していた。1960年といえば自分が中学2年生、80年は社会人9年目のバリバリであった。殆んど全部の曲は一度は口遊んだ歌だった。今でもカラオケで歌えそうな気がした。そこで昔の失敗を思い出した。テレビを見ながら歌手と一緒に歌うことは易しいので、自分も簡単に歌えるものと勘違いする。歌える積りでカラオケに挑んでも、そう簡単に歌えるものではない。何度か歌えず恥をかいたことがある。その恥が原動力となり今の自分の持ち歌が出来たように思う。人は誰でも十八番なるものを持っている。その十八番は努力もせずに手に入いるものではなく、血と汗の結晶であることは間違いない。歌謡番組を見ていただけだが、カラオケの思い出が走馬灯のように蘇ってきた。
公職選挙法が改正され、今回の参院選からインターネットによる選挙活動が解禁になった。各党相当な金をかけホームページを作成したようだがパッとしない。その中で費用もかけずインターネットの力を最大限に活用している党がある。新党大地だ。鈴木宗男率いる新党大地が何と鈴木宗男を参院選比例区に擁立した。鈴木宗男は、公職の収賄罪で2年の実刑判決をくらい、刑期終了後も5年間は公民権が停止されているので今年の参院選には出馬出来ない。松山千春と佐藤優の入れ知恵で、予てから親交のある千葉県のNPOちば森林資源コンサーブの代表である鈴木宗男を急遽擁立したとのこと。党代表の鈴木宗男は、偶々同姓同名だっただけと言っているが、真の狙いは何なのだろう。党代表から見れば、本人は出馬出来ない、松山は出馬を辞退した、娘の貴子が最有力だったが石川衆院議員の辞職で幸か不幸か繰り上げ当選してしまった、要は出馬対象者もいないし党の目玉もない。ジリ貧だ。ところが千葉の宗男は新党大地の政治信条に共感している。まさに天の恵み、新党大地のカクシ玉だ。当然当選の可否など関係ない。新党大地は脚光を浴びる。現にこのブログでも鈴木宗男と6回も書いた。迂闊にも宗男の術中に嵌ってしまったようだ。
自分が子供の頃、太陽系の惑星は水金地火木土天海冥というのが正解だった。ところが2006年の国際天文学連合で冥王星が惑星から外された。冥王星は小さいし他にも同じような星があることが分かったからだ。だから今の惑星は水金地火木土天海と言う、メイがない。星の命名は国際天文学連合がすることになっている。そして、今その国際天文学連合が冥王星の4、5番目の衛星を命名した。そこにはスタートレックのバルカンも候補には上がっていたが、結果としてケルベロスとステュクスに決まった。ケルベロスはギリシャ神話に出てくる三つの頭を持つ冥界の犬で、ステュクスはギリシャ神話の地下の大河を支配する女神。理由は単純。バルカンはローマ神話の火の神で、ギリシャの神ではないからだ。これで冥王星の五つの月が全てギリシャ神話にちなんだ名前で命名されたことになる。冥王星はギリシャ神話に統一された持ち物となりスッキリしたかもしれないが、一国安泰になることはないかもしれない。何故ならバルカン星人は米国にも日本にも生きているかもしれないからだ。今でも星間の戦争は続いている。小さな地球の中で、トルコやエジプトのように同じイスラムという宗教世界の中で些細なことで仲たがいすることなど、あってはならいない事が起こっているのだから。
統一球問題の張本人である加藤コミッショナーが「私は知らなかった」と白を切ったのは、つい先日の事だったが、今度は何と「私の評価は歴史がする」とケツを捲くった。この台詞は2年前にも何処かで聞いたことがある。菅元首相だ。菅が総辞職する時に「歴史がどう評価するかは後世に委ねる」との首相談話を発表した。時の流れは速い。菅への歴史的評価はすでに刻まれている。来春から使われる高校の教科書日本史には「菅内閣は、放射能汚染の情報を十分に国民に開示しなかったことや、復興計画の立案と実行が遅れたことから、国民の批判を浴びて倒れた」と記述されている。そもそも「歴史が評価する」などという台詞は失敗した本人が言うべきものではない。烏滸がましいにも程がある。本来眼力のある人物が深層にあるものを見抜いて言う言葉だ。歴史は菅に対しすでにペケという評価を下したが、統一球問題の加藤など歴史のシミ程度にも残らないだろう。
世田谷区桜新町にあるサザエさんの銅像に課税されるというニュースがあった。桜新町は長谷川町子さんが住んでいた所で、地元商店会が地域の活性化のため、都と区の補助を受けて設置した。ところが突然都から固定資産税59万円の納税通知書が送り付けられたとのこと。課税理由は商店会が所有しているので、店舗の看板と同じ事業の宣伝目的だからという。だがサザエさんの銅像が収益目当てではないのは誰が見ても明らかだ。地域振興のシンボル以外の何物でもない。一方同じシンボルである柴又の寅さんや亀有の両さんは非課税扱いになっている。こちらは区が所有者になっているので地方税法により非課税とのこと。課税の基準は所有者と宣伝目的。但し公共性が高い場合や美術品と認定されると非課税になる。問題点は二つある。一つは、サザエさんの銅像を事業の宣伝目的と断定する根拠が曖昧な事。サザエさんは国民的アイドルで公共性は高いし漫画文化の美術品としても価値がある。もう一つは、地域振興という目的が同じでも所有者により課税が変わる地方税法の歪さ。商店会は一刻も早く区に寄贈した方が得策だ。そうすれば無用の税金は払わなくて済むし、メンテナンスも区がやってくれる。役所は税金を取り損ねた挙げ句、メンテ費用が発生し歳出増になる。バカなことをしたものだ。