これは第一回星新一賞に応募した作品です。星新一賞は理系的な発想で文学としての価値のみならず、現実の科学も刺激して更なる発想を引き出し人の心を刺激しようというのが狙いです。2013年10月末に応募が締め切られ、2014年3月に入選作品が発表される予定です。星新一の世界を辿るようにSF調に仕上げてみました。
サッカーボールのような星
2013年10月27日
西成 恭介
ある若い男が足を滑らせ滝から落下した。男は轟音と共に流れ落ちる水流の中で自分の死を覚悟した。ところが落下するにつれ周りの水は消えていき、まるで空中で宇宙遊泳をしているような気分になった。落ちて行く先は妙に明るく輝いていて樹木も生い茂っている。フワフワと漂っていくうちにふんわりと地面に着地した。周りを見渡すとまるでスーパーマンの生まれ故郷の惑星クリプトンみたいに水晶のような結晶がゴロゴロとしている。男は最早自分は死後の世界にいるに違いないと思った。男は宇宙遊泳の要領で移動を始めたが、その動きにあまり慣れていない事もあり、結晶みたいな石にぶつかり膝を怪我した。痛いのだ。本物の血が出ているのだ。男は初めて自分がまだ生きていることに気が付いた。
果たしてここは何処なのだろうと好奇心が湧き再び遊泳を始めた。周りは水晶ばかりではない。ダイヤモンドやサファイヤや、金が詰まった岩がゴロゴロしている。横たわり休んでいると遠くに人影が見えた。声をかけると向こうから近づいてきた。言葉が通じることに感激した。ところが近くに寄るとすごい大男で自分の背丈の4倍もある。こんな大男は見たことも聞いたこともない。自分はアリスの不思議な国に迷い込んだ夢を見ているのかと、自分の眼を疑った。だが膝の痛さが、これは現実なのだと男を諭していた。
高きより低きに流れる水のように常にエントロピーは増大している。地球の表面は海と陸に覆われてはいるものの、内部は鉄とニッケルを主成分とする8千度のコアと、溶けた岩石であるマントルから成っている。エントロピーの法則により、灼熱の地球内部もいつかは冷えていく定めにある。
星が寿命を終え消滅する時は、通常温度低下により内部が収縮するため表面が陥没と地割れを繰り返しながら、やがて木端微塵に砕け散り宇宙の塵へと帰って行く。ところが衛星を持つ星の場合は、偶には塵へと戻らないものもある。地表に大きな穴が何か所も開き内部のマントルが外部に吹き出すケースだ。大量のマントルが地表を覆い星の直径が大きくなると慣性モーメントが大きくなり、同時に距離が近づいた衛星との万有引力も作用して、更に大量のマントルの噴出を加速させ最終的にはコアも地表に流出して内部は空になる。まるで巨大なサッカーボールのような星が誕生するのだ。
サッカーボールの生成過程で、殆どの海水は蒸発して空を覆うことになるが、一部の海水はカラになった内部に流れ込む。海水と適度な高温が巨大な水熱合成の場を提供することになる。長い時間をかけて内部には、ケイ素から成る水晶、炭素から成るダイヤモンド、アルミニウムから成るサファイヤなどの鉱石や、金の鉱脈などが大量に形成される。この星は、見かけは鉄から成る赤い岩の塊に過ぎないが、中身は莫大な財宝の宝庫に生まれ変わる。
このサッカーボールは高速で自転している。赤道付近の地層は厚くしっかりしているが、南北極付近は地層が極めて薄く、内部と地表の行き来も不可能ではない。地表は万有引力が働いているから、地表に垂直に立つことは可能だ。内部は遠心力が働いているので、赤道付近では重力が大きいが、南北極付近では無重力に近い。赤道では中心に頭を向けて立つ事が出来、南北極では宇宙遊泳が出来る。サッカーボールの中心では常時プラズマが発生しているので、内部は真っ暗ではなく常時昼間の明るさがあるが夜はない。
23世紀初頭の地球では遺伝子工学が完成の域に達し、この技術があらゆる面でフルに活用されている。病気の治療法では主流の座にあり病人は数えるほどしかいなくなった。また生まれてくる子供は、生まれる前から容姿や性格を選択する事が出来、人生すらも設計可能だ。生まれた子供の脳には、遺伝子を提供した人の経験や記憶も同時に形成される。通常はその記憶は眠ったままの状態となり存在すら分からないが、脳の活性化次第ではその記憶が蘇えることもある。人間の知識や経験は遺伝的に脳を介在して連続性が保たれているのだ。テロメアの数をコントロールすることも可能となり、平均寿命は200歳を超えた。ロシアで出土したマンモスも遺伝子工学により復元し動物園で飼われている。この時代の人間たちは、ノアの子供ニムロドがバベルの塔の建設を提案したように、神を超えたと過信していた。
ところが、地球に大変動が起こり始めた。各地で火山活動が活発化し大地震が連日発生するようになった。世界の首脳や第一線級の科学者たちが集まり、現状の解析と対策を検討した結果、マグマ活動の活発化は当分続く見通しと結論され、終末論も議論された。生き延びるため都市を覆う程の大規模なシェルターと、後世に繋ぐため現代技術を詰め込んだタイムカプセルを作ることが決まり実行された。しかしこのタイムカプセルは小学校の庭に埋めるドラム缶のようなチャチなものではない。地球にある全ての動植物の遺伝子を集め冷凍保存した。勿論遺伝子の再生装置や育成装置も組み込まれた。電源には永久発電機が採用され、これらを全て包み込むカプセル材にはマグマにも耐えられるよう超強超耐熱性の特殊合金が開発された。再生・育成装置は、カプセルがマグマに接して高温になった後、常温に戻ると駆動が開始するようにセットされた。このタイムカプセルは三つ作られ、一つの大きさは東京ドームよりも大きかった。まさにノアの方舟のようで、ノア1号、ノア2号、ノア3号と命名された。地球上の生命の存続を託したタイムカプセルは、アメリカとヨーロッパと日本の地中に設置され、地球の終末を迎えることになった。しかし、その時代に終末が訪れることはなかった。何百年という時が過ぎタイムカプセルは埋めた場所も存在すらも忘れられてしまった。
20億年後地球はゴルディロックス・ゾーンからホットゾーンに突入し、地表の一部が溶け出し大きな穴が数か所開き内部のマントルが吹き出し、サッカーボール化していった。
60億年後サッカーボールの地表温度は生命体が存在出来る程度まで下がってきた。いよいよカプセルが駆動して嘗て地球にあった全ての動植物が再生される時を迎えつつあった。アメリカに埋められたカプセルはサッカーボールの表層に残り、ヨーロッパのカプセルは壊れてしまった。そして日本のカプセルは日本海溝のそばにあったためかサッカーボールの内側に移動していた。偶然にもサッカーボールの外側と内側に一つずつカプセルが設置された状態になった。
60億年前の地球の技術は確かなものだった。遺伝子再生・育成装置は設計通り稼働を始め動植物を再生・育成し、サッカーボールの外側と内側それぞれに種や卵や生まれたばかりの動物やヒトまでも放出し始めた。形は異なるが再び地球に生命が戻ってきたのだ。
更にそれから千年程が経過した。
外側の世界は、嘗ての地球と較べると過酷な世界になっていた。地球はその表面を緑色から赤色に変えていた。土はコアにあった鉄を主成分としているためベンガラ色になり、緑色の元となる植物は育ちにくい環境になっていた。大きな樹木は育たないのでステップ気候帯のように草原と砂漠の景色が続いている。地球が一回り大きくなったせいかマイナス80度の極寒とプラス80度の極暑が存在し、常に強風が吹き荒れている。海はあるが、月が近づいたため干満の差が大きくなり魚を獲ることも難しい。地球と同じように自転しているので昼夜はあるが、昼と夜の寒暖差が激しい。人間が住むことの出来る地帯は極めて限られている。勿論植物が育つ地帯も限られている。従って米も小麦もトウモロコシも収穫量は極めて少ない。食料は極上の貴重品だ。貨幣制度も確立していたがインフレが酷く、実態は物々交換が主体になっていた。恐竜やマンモスなどの大型動物は真っ先に滅んでしまった。残るのは人間と小動物ばかりの世界だ。しかもその人間は代を経る毎に身長が縮んでいった。過酷な環境下では人間も小型化するとエネルギー効率がよくなるために順応したのだろう。
そんな過酷な環境の中で外雄という名前の若者が逞しく育っていた。60億年前ではあるが当時の地球の人間として優秀な遺伝子を組み込まれた人間の血筋を引いているので、頭脳は明晰、運動神経は抜群だ。遺伝子から再生された千年前の初代の人間は2m近くの身長がありルックスも良かったが、外雄の身長は1m程度しかなく細長く小さな眼をした顔をしていた。遺伝子の力よりも過酷な環境の影響力が強いのだ。
外雄にとっては生きるために食料を確保することが最重要の課題だった。今以上にエネルギーの元になる食物摂取量を減らしてしまうと、次世代の子供はもっと小型になりヒトとしての存続が危うくなる恐れに苛まれていた。貨幣は当てにならない。交換価値のあるものがほしいと何時も願っていた。そんな時風の噂で、北極には金銀財宝が眠っていることを知った。今の赤道はちょうど冬なので、北極の夏を目指すには良い季節だと思い、急遽北極行きを決断した。赤道から北極までは1万km以上あるが徒歩で行くしかない。外雄は半年をかけて歩き続けやっとの思いで夏の北極に到達した。噂では滝壺や洞窟の中に金銀財宝があるとのことで、外雄は滝と洞窟を虱潰しに調べて回った。北極で一番大きい滝の上に来た時、滝壺を見るとキラリと輝く何かが見えたような気がした。外雄は目を凝らし、身を乗り出して滝壺を凝視した。だがその時足が滑り滝壺へ真っ逆さまに落下していった。
一方内側の世界は、嘗ての地球と較べると全てが穏やかな世界になっていた。気温は一年中一定で温暖で住み心地が良い。風は微風で爽やかで、水面は鏡のように周りの景色を映している。赤道から南北回帰線の範囲は動き易い遠心力による重力があり住むのに適しているが、南北極は無重力になるので生活には適さない。上に凸の水平線は存在しない。あくまでもその先が見え、その先は上空へと続いているが左右の両端は中央よりも上にあり凹状態に見える。昔地球ではマゼランが世界一周を成功させるまで古代ギリシャの地球平面説が信じられていたが、このサッカーボールの南北極はまさに世界の端であり、平面説も全く間違っていたとは言えないもののようだ。そして赤道周辺はプトレマイオスの言う通り地球は丸かったと言える。但し球の外側ではなく、球の内側ではあるが。サッカーボールの中心では常時プラズマが生じているので明るく、昼しかなく夜はない。しかも土は嘗ての地球のプレートと同じ二酸化ケイ素なので植物は極めて良く育つ。植物は進化を遂げて鬱蒼と茂り、光の当たる上部では酸素を放出し、光の当たらない下部では炭酸ガスを糖に変えている。植物が内側世界の空気再生装置になっているのだ。米も小麦もトウモロコシも栽培は簡単であるし、果物も豊富だ。そして昼しかないため日照時間が長く、植物だけではなく動物の成長も促進されている。その結果全ての動物が嘗ての地球の時よりも数倍大きくなるのだ。豚は牛のようになり、鯵はマグロのように大きい。内男の千年前の祖先は60億年前の地球の人間と同じように2m弱の背丈だったが、内男の背丈は4mもある。顔は昔の公家みたいに、何も苦労などしたことのないような顔をしている。頭脳明晰、運動神経抜群であった先祖に較べ、内男はボンクラで動きも鈍く、退化しているのは間違いなさそうだ。水晶やダイヤやサファイヤや金がゴロゴロしているので、そのようなものに価値はない。食料も豊富にあるので貨幣制度など必要とする訳がなかった。この内側の世界で価値があるものといえば、成長を抑える特効薬くらいのものだった。
内男は聡明ではなかったが、今の生活に満足していた訳ではない。それなりの不満というか欲求はあった。何で毎日詰まらないのだろうか、もっと楽しい事はないのだろうか、という言わば贅沢な欲求だった。困ることのない毎日は、困ることが無いことが困る毎日に変わっていくのが世の常だ。ストレスのない人間が、ストレスのないことによってストレスを感じ太ってしまうようなものだ。内男もこの罠に嵌まってしまったらしい。内男は楽しくなることではなく、困ることを作るためにある冒険を計画した。
住み心地の良い赤道を離れ一度北極で暮らして見ようかと考えた。北極では遠心力が働かないから無重力になることは知っていた。無重力の世界で少し過ごせば、多分気持ちが悪くなって食欲もなくなり美味しいものが食べられなくなるかもしれないと思った。更に上手くいけば風の噂に聞いた外側の世界に出ることが出来るし、帰ることに苦労することが出来るかもしれないと思った。内男は己を本当に窮地に追い込むことを知ってか知らず分からないまに北極へと出発した。北極に近づくにつれ重力は小さくなり、内男の足は軽くなったが胃が重くなってきた。もうこんな困難さは充分だ、もう赤道に帰ろうと思った時に、上からヒトが降ってきたのを目撃してしまった。一瞬小さいものが落ちて来たので、猿か人間の子供か判断が出来なかった。だが人間の声がする。自分の好き嫌いの判断ではなく、助けに行かざるを得ないような気持ちになった。結局男に声をかけながら、内男は困る状況を求めて現場に行くことにした。現場には1m足らずの背丈ではあるが、大人のような顔をした男が膝から血を流しながら寝そべっていた。外雄だった。
内男が「大丈夫か」と尋ねると、外雄は「アア」と答える。不思議な事に会話は通じるのだ。内男は続けて「見かけない顔だが、お前は誰だ」と尋ねた。外雄は「滝からここに落ちた」と言う。内男は「この辺りには滝などない。本当のことを言え」と迫ったが外雄は「滝からだ」と繰り返すばかりだった。話が進まないので相手を知るために内男は「何でお前は大人のくせに小さいのだ」と聞くと外雄は「何でお前はそんなに大きいのだ」と返す。増々話は進まない。内男は暫らく考えて「お前は何処の国から来たのだ」と聞くと外雄は「地球からだ」と言う。内男の温厚な顔は一変し「ウソ抜かせ、ワシこそ地球の住人だが、お前など見たこともないし、お前のような種族も見たことがない」とがなり立てた。外雄は「お前こそ地球の住人を偽っているに違いない」と反駁する。内男と外雄の言い争いは暫らく続いた。暫らくして内男はこの男と絡んでいればもっと困った世界に行けるような気がしてきた。一方外雄はこの男を相手にしていれば財宝の在り処を知ることが出来るように思えてきた。
「ところで」と内男と外雄が同時に言った。やっと会話モードに入ることが出来た。二人は同時に「お前の望みは何なのだ」と質問した。内男は「一度は、あるに違いないと噂にある外側に出てみたい」と言い、外雄は「一度はここで暮らしてみたい」と言う。互いに互いの希望を叶える努力をすることにした。内男は自分の家の在り場所を教え自由に使っても良いことを許可した。外雄は落ちた滝の下まで案内し、滝の上まで這い上がるのを手助けしてあげた。目出度く両者の願いは叶うことになった。
1年ほど過ぎた時、内男は外側の世界を隈なく散策し、嘗て内側で暮らした時に近所にあったノア3号と全く同じ形のタイムカプセル1号を見つけた。そして内男は外雄が60億年前の義兄弟であることを知った。同じ頃外雄も3号を見つけ内男のことを知った。
内男は至れり尽くせりの内側から環境の厳しい外側に出られたことを喜んだ。苦労はあるものの、自分の努力が実を結ぶことがあることを体験し生きる喜びを感じる術を掴んだ。
一方外雄は既に外側の世界は忘れてしまい、自堕落な生活に溺れ嘗ての1mの背丈は何と今は4mにも達しようとしている。
人間は環境を少しは変える事は出来るが、環境は人間を良くも悪くも大きく変えることが出来る力を持っている。だが、いつの世もその方向を決める要素は人間の心の中に在るようだ。
あらすじ
23世紀初頭地球全体で火山活動が活発化し、地球が終末を迎えるかもしれないという事態になった。対策として都市を覆う巨大なシェルターと3つのタイムカプセルが作られた。カプセルには、地球上の全ての動植物の遺伝子が集められ冷凍保全された。遺伝子再生・育成装置と永久発電機が組み込まれた。しかしその時代には地球は終末を迎えずカプセルは時とともに忘れ去られてしまった。20億年後マグマが地表に吹き出し、地球は中空のサッカーボールのようになってしまう。60億年後に地表温度が常温に戻ると、設計通りカプセルが開き再生・育成装置が稼働して、60億年前の種や卵や生き物を送り出す。タイムカプセルは偶然に、1つは外側に、1つは内側に設置された状態になっていた。その後60億年前の遺伝子を元にした世界が、外側と内側で別々に形成される。外側は環境が過酷で生き延びるのが厳しい世界で、内側は穏やかで何の不自由もなく宝石がゴロゴロしている世界になる。外側と内側は南北極で行き来できるところもある。外側の男は物々交換で食料を得たいために内側の宝石を手に入れようと北極を目指す。内側の男は何不自由ない生活に飽き飽きし自分を困ったことへと追い込もうとする。過酷な外側の世界に行ってみようと北極へ行く。外側の男が内側の入口になっている滝から足を滑らせて落下し内側の世界に落ちる。それを目撃した内側の男は助けに行き、両者が初めて出会う。互いの望みを叶えるため、世界を交換する。勤勉だった外側の男は内側の男の家に住み自堕落な生活に落ちていく。自堕落だった内側の男は外側の世界に行って、苦しくても自分の努力が実を結ぶことを体験し、生きる喜びを感じる術を掴む。人間は環境を少しは変える事は出来るが、環境は人間を良くも悪くも大きく変えることが出来る力を持っている。だが、いつの世もその方向を決める要素は人間の心の中に在る。