カテゴリ:201507



31日 7月 2015
目出度くテレビ朝日の「若大将のゆうゆう散歩」がいよいよ終了するようだ。地井武男の「ちい散歩」を、加山雄三が引き継いだが尻すぼみに終わった。地井はぶっきらぼうで言葉使いも粗かったが、以外と腰の低さと人懐っこさで番組に馴染んでいた。ところが後を引き継いだ加山には当初からミスキャストだと感じていた。近所を散歩するほどの気楽さはないし、いつも上から目線だ。これでは茅ヶ崎以外では何処に行っても受けるはずがない。加山は80歳だからという理由で番組を降りるようだが、視聴者も番組スタッフもこれ幸いと歓迎しているようだ。加山が外れる理由はただ一つ。加山自身がこの番組を好きではなかったことだと思う。主役自身がツマラナイという番組が面白いはずがない。スタッフが頑張る訳がない。宜なるかなと思う。少し似た同じような事例もある。BS-TBSの吉田類の酒場放浪記だ。続編としておんな酒場放浪記とかキタローの夕焼け酒場が生まれた。しかし登場する役者が下手だ。おんな酒場放浪記では、知らないくせに知ったかぶりの女が飲む姿が、背伸びをしている仕草がアリアリでハナに付く。キタローは加山と同様上から目線だから酒場にはそぐわない。元来役者それぞれに特徴はあるはずだと思う。しかし二番煎じの役者はその特徴を超えられない。これが芸道の世界かもしれないと少し思った。
30日 7月 2015
福島原発事故を巡って2回目の検察審査会でも、東電元会長ら3人を起訴すべきと決議され強制起訴が決まった。起訴理由は「大きな地震や津波の可能性があったのに目をつぶって何ら効果的な対策を講じようとしなかった」こと。その根拠は「東電は平成20年に15.7mの津波を自ら試算していた事実から、災害が発生する危険を具体的に予測できたはず」というもの。ところが検察は「まれに発生するものまで備えておく必要があるとするなら、全ての重大な事故で責任者の過失が認められることになる」という理由で不起訴にしてきた。当時の東電や政府は「想定外」と弁明していた。ところが国際原子力機関IAEAは「想定外」ではないと一蹴した。2007年に、日本には設計基準を超える事故について検討する法的規制がないと指摘し、過酷事故に十分備えるよう求めていた。機器の故障などが大事故に至るすべての可能性を把握する安全評価の実施を勧告していたが、抜本的な対策を取っていなかった。10年ごとの定期安全レビューでも地震・津波予測の再評価が義務付けられておらず、過酷事故への対応や安全文化の見直しも含めて「国際的な慣行」に十分従っていなかったと指摘している。どう見ても、日本の原発は、IAEAの勧告や助言を無視し続け安全を蔑ろにしてきたことは間違いない事実だ。検察は一般論でお茶を濁し検察機能を果たしていない。一方検察審査会の3人起訴も中途半端だ。責任は原子力ムラをリードしてきた全ての人にある。抜本的な究明が必要だと思う。
29日 7月 2015
今日7月29日はWindows10無料アップグレードの開始日だ。日本マイクロソフトは、恰もWindows7と8が自動的にアップデートされてしまうような言い方をしていた。パソコンメーカーからは、Windows7を10にアップデートすると不都合が生じ易く、そのトラブルへのサポートはしないのでアップデートしないようにと忠告のメールが届いた。ネットを見ると、Windows10の自動アップデートを阻止する方法が詳細に説明されている。しかしながら自分にとっては余りにも複雑な操作なので手に負えない。困ったものだと思っていた。ところが数日前に日本マイクロソフトは、ユーザーが要望しない限り自動的にアップデートすることはないと表明した。なんだ、初めからちゃんと説明しておけよ、と腹立たしく思った。そして今日当日、本当に自動的にアップデートしないかと不安だった。もうすぐ0時になる。我がパソコンは無事明日を迎えそうだ。些かホッとした。Windows10は色々な機能が追加されて使い勝手が格段に向上している一歩先行くOSらしい。だが過去のOSとの連続性が無いところがあるのが最大の欠点だ。今までのユーザーを軽視しているとも受け取れる。本当に一歩先行く未来型のOSならば、全く別物のパソコンとして登場させるべきだったと思う。ユーザーにトラブルを押し付けるメーカーに明るい明日があるはずがない。
28日 7月 2015
24日に東京五輪のエンブレムが発表された。第一感は何とバランスの悪い図形のエンブレムだと思った。そしてパクリ問題が発生しそうな予感がした。幸か不幸かその悪い予感が的中した。ベルギーのデザイナーが自分の作品と驚くほど似ていると名乗り出た。この作品は白と黒の2色でTとLをイメージしているが、パッと見は似ている。直感的にエンブレムのデザイナーはこの作品を参考にしたのだなと思った。更にバルセロナのスタジオが作成した東日本大震災復興の寄付金活動の作品は、ベルギー以上に似ている。配色とパーツがそっくりなので、エンブレムはこの作品をアレンジしたものとも言えそうだ。一方先月発表された東京五輪の外国人観光客を案内するために生まれたボランティアチーム「おもてなし東京」の制服がダサかった。この制服ではボランティアする人が減ってしまうのではと心配する程だ。また新国立競技場ではデザインだけが先行し計画自体が白紙に戻ってしまった。どうも東京五輪はデザインがネックのようだ。今のうちに躓きに慣れておけば、本番での躓きはないと思うしかない。
27日 7月 2015
2000億円もの利益詐称をしながら、トップの首の挿げ替えだけで事を収めようとしている。問題企業の東芝だが、幕引きを図っているのは誰だかは分からない。第三者委員会は3代の歴代社長による組織的な不正と断定した。だが会計監査を担当した監査法人は一体何を監査していたのだろうか。また社外取締役が過半数を占める監査委員会の社外取締役たちは只飯を食っていただけなのだろうか。第三者委員会は、犯人役のトップらを断定したものの、検察役である監査法人や監査委員会が何故機能しなかったのかには触れていない。不思議なことに御咎めなしだ。更に日本取引所グループのCEOは、東芝株を監理銘柄にせずに一段緩い特設注意市場銘柄に指定すると温情的だ。極めて異常な事後処理が進んでいる。それらは基本的に日本の経済活動の大問題なので経団連当りが本腰を入れて取り組むべき問題だとは思うが、安倍ヨイショの榊原体制では改善を望めそうもない。一方トップに利益詐称を強制された事業部長レベルは可哀そうだ。逆立ちしても絞り出せない利益上乗せを強制されて、心ある人は東芝を去ったに違いない。去らずとも胃潰瘍で入院するはめになっているに違いない。そして現場を知る部下たちは事業部長を突き上げたに違いない。そして働く気力を失ったに違いない。あと1か月もすると誰しも東芝問題など忘れてしまう。そして無傷の人は平穏に、傷ついた人には過酷な人生が待ち受けている。やるせない世の中だ。
26日 7月 2015
数年前泉佐野市が財政難から市の名称の命名権売却構想を打ち出したが、応募した企業は無かった。変更に多額の費用がかかり、市民の反発もあったろうから、当然と言えば当然の結果だったと思う。でも、あまりにも酷い財政難を低減するため、藁にもすがったことは分からなくもない。ところが、滋賀県ではマジに県名を変更することを検討していたとのこと。今年2月県議会で県議から、県の知名度向上の為、県名を近江県とか琵琶湖県に変更してはどうかと提案がありマジに検討したようだ。6月に実施した県政世論調査で県名変更に関する質問を加え県民の意見を調査した結果「変える必要はない」が83%だったとのこと。知事は会見で「多くの県民が『滋賀』に強い愛着を持ち、重みがある県名と再認識した」と話したようだ。正直言って驚いた。県民は真面だが、滋賀県議会と県知事は相当お暇なようだ。香川県は「うどん県」でPRに成功している。だが香川県はうどん県に改名した訳ではない。あくまでバーチャルの県を創出し宣伝の舞台を作っているのだ。もし香川県民にうどん県への改名を問えば猛反対されるに決まっている。県名は永く住んでいると愛着が湧くものだ。滋賀県議会は、まず県議の滋賀愛着度を調査するべきだった。滋賀に愛着の無い県議たちが、滋賀のためにと言いながら時間潰しをしているようにも見える。
25日 7月 2015
下村文科相が全国の国立大学に対し、中期目標策定時に教員養成系と人文社会科学系の学部・大学院を廃止や見直しに取り組むよう通知したことが波紋を広げている。少子化だからこれ以上教員養成は不要だし、社会に即戦力にならない学生はいらないという経済界の意向に応えたようだ。一見正当な意見のようにも思えるが、真面目に考えてみると文科省の通知は的外れにみえる。本当に教員養成学科は不要なのだろうか。勿論従来通りの教員を型に填めて増産するのであれば不要と言える。しかし現在は教育の質自体が変わりつつある。8日のブログにも書いたが、今は受動的な講義から能動的な教育に変わる過渡期にある。従来型の先生はいらないが、未来的な先生は不足している。言い方を変えれば、教員養成の内容を改革すれば寧ろ増員が必要な状況にある。今教員養成学科を減らしてしまえば、教育の質の低下が早まるだけだ。一方人文社会科学は本当に会社に役に立たないのだろうか。経済界が即求める理系ばかりを育成すると科学的には発展するかもしれない。しかし会社や社会の成長は、科学だけによるものでもない。科学と経済と歴史を勘案して舵を取る人が必要になる。そういうバランス感覚のある人が人文社会系の人に多いのも事実だ。下村文科相の言う事は、何かにつけ薄っぺら過ぎる。東京五輪の総括者として失敗してしまったし、文科相としての判断も基本的に間違っている。しかも文科相としてあってなならない政治献金問題も博友会でバレテしまった。これだけ質の低い文科相も珍しい。安倍首相のオトモダチという命綱も風前の灯のようだ。
24日 7月 2015
毎日蒸し暑い日が続いている。世界の各地で異常気象が頻発している。米国では干ばつ被害を受けたり、逆に大雨による洪水が起きている。原因は兎も角温暖化していることは間違いない。北極では海氷が融けロシアが新しい航路開発に食指を伸ばしている。一方南極の西部でも氷河が融け始めているという報道もある。北極は海だから海氷が融けても世界の海水面は変わらないが、南極はオーストラリア大陸の2倍の面積もある大陸だから、その陸の上にある氷河が融けだすと海水面の上昇は免れない。世界中が温暖化、温暖化と騒いでいるが、これから寒冷化するという学説もあるようだ。欧州の科学者たちは、2030年までに過去370年ほど経験したことのない「ミニ氷河期」が訪れる可能性があると警告している。英国の研究者が太陽の内部を研究した結果、太陽活動が60%低下し、地球の気温が急低下すると予想したとのこと。こういう状況が起きたのは1700年前後にあり、それ以後は初めてらしい。1700年前後といえば、世界ではオスマン帝国が地中海の半分を征服していた頃だし、日本では赤穂浪士の討ち入りの頃だ。道理で雪が降っていた訳だ。今は誰でも温暖化と騒ぐ。だが打つ手が無い訳ではない。しかし人類にとって本当に怖いのは寒冷化だ。もし寒冷化が起これば、世界中で穀物の不作や食糧暴動が起きることは間違いない。暑さに耐えるか、寒さを凌ぐか、同じような忍耐が必要に思えるが、決して同じではない。寒冷化は食糧不足により世界の70億人を養えないことを意味する。温暖化よりも寒冷化の対策を急ぐべきだと思う。
23日 7月 2015
NASAがケプラー宇宙望遠鏡で、地球と太陽に最も良く似た惑星と恒星を見つけたと発表した。地球から1400光年離れた宇宙にある恒星「ケプラー452」とその周りを回る惑星「ケプラー452b」。惑星の直径は地球の1.6倍、公転周期は385日、惑星・恒星の距離は地球・太陽間よりも5%遠い、恒星の直径は太陽より10%大きく、温度は同程度、恒星の年齢は太陽より15億年古い60億歳というから、ほぼ瓜二つと言えそうだ。これだけ条件が揃うと、生命の存在も夢ではなさそうだ。NASAではこの惑星を「地球のいとこ」と呼んでいるそうだ。地球は太陽の周りを回っている惑星だから、謂わば太陽の子供だ。惑星ケプラー452bも恒星ケプラー452の周りを回っているから、恒星ケプラー452の子供だ。恒星同士が姉妹と考えれば、地球とケプラー452bは、まさに従姉妹と言える。上手い呼び方だと思う。ここでフと疑問が湧いてきた。恒星は男性なのだろうか、それとも女性なのだろうか。そして惑星はどちらなのだろうかと。恒星が惑星を産んだのだろうから、恒星は女性とみるべきだろう。地球は「母なる大地」というからには女性に違いない。斯くして恒星同士は兄弟ではなく、惑星同士も従兄弟ではないという結論になった。正しいか、間違っているかは別にして。
22日 7月 2015
最近はあまり聞かなくなったが数年前まで「一気飲み」が流行っていた。一気飲みの犠牲になるのは殆んど大学の歓迎コンパの新入生と相場が決まっていた。今日の朝刊に、一気飲みで死亡した息子の両親がサークル仲間21人に対し総額1億7千万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたとの記事が載っていた。訴訟を起こした理由は、異常と気付いていたのに放置したからだという。ろくに酒も飲めない新入生に無理やり酒を飲ませ、ぶっ倒れているのに何もしないとは酷い奴らだ。ご両親の気持ちも宜なるかなと思った。ところが記事の内容を読んで驚いた。亡くなった息子は当時東大の2年生で21歳、サークルのコンパ長だったとのこと。21歳といえば間違いなく大人だ。自分の行動には自分が責任をとる年齢だ。しかも東大生なのだから酒の怖さが分からぬほど頭が悪いという訳でもない。更にコンパ長というからには主催者側だ。決して新入生いじめではない。この両親が何故訴訟を起こしたのかが理解出来ない。ぶっ倒れた仲間を介抱しなかった仲間に落ち度があるのは間違いない。介抱しなかったのは何らかの理由があるはずだ。その時は意識があり本人が介抱を拒んだとか、介抱されない位仲間から嫌われていたとか。だがぶっ倒れた責任は息子自身にある。この両親の論理であれば、一気飲みをしている息子を制止しなかった仲間が悪いとでも言い出しそうだ。自分がこの親であれば、息子の出来損ないと諦める。サークル仲間には「もし救急車を呼んでくれていたら」と心の中で呟くかもしれない。間違っても訴訟など起こしはしない。この一家にはマザコンの強力な臭いがプンプンする。

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